この項目では、ガイアナ協同共和国について説明しています。その他のガイアナについては「ギアナ 」をご覧ください。
ガイアナ協同共和国
Co-operative Republic of Guyana
国の標語:One People, One Nation, One Destiny (英語) 一つの国民、一つの国家、一つの運命
国歌 :Dear Land of Guyana, of Rivers and Plains (英語) 親愛なるガイアナの土地
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ガイアナの衛星写真
ガイアナ協同共和国 (ガイアナきょうどうきょうわこく、英語 : Co-operative Republic of Guyana )、通称ガイアナ は、南アメリカ大陸 北東部に位置する共和制 国家 で、イギリス連邦 加盟国の一つ。東にスリナム 、西にベネズエラ 、南にブラジル と国境 を接し、北はカリブ海 、大西洋 に面する。首都はジョージタウン である。
ガイアナはその多様な文化と豊かな自然環境で知られている。国土の多くが熱帯雨林 で覆われ、生物多様性 に富み、多様な動植物が存在する。また、この国はカリブ海地域に属しているため、カリブ海の文化的要素も豊かに持っている。
経済的には、ガイアナは伝統的に農業と鉱業に依存してきた。特に砂糖、バナナ 、米の生産や金 、ボーキサイト の採掘が主要な産業である。2015年に海底油田 がエクソンモービル により発見され、産油国になった[ 3] 。
歴史的には、ガイアナはオランダ 、その後イギリスの植民地 であり、1966年に独立 を達成した。国民の多くは、アフリカ系 とインド系 の子孫で構成されているが、先住民族 、ヨーロッパ系、中国系 の住民もいる。公用語は英語 。
国名
1980年 に施行された現行憲法 (ガイアナの憲法 (英語版 ) )に明記された英語による公式国名 は 、Co-operative Republic of Guyana ()、日本語訳するとガイアナ協同共和国 となる。植民地時代はギアナと呼ばれていたが、ガイアナはその英語読みである[ 4] 。漢字表記は圭亜那 。
1970年 2月23日 、当時ガイアナの首相 であったフォーブス・バーナム は、協同組合 制度を基礎にした社会主義 政策を推進するとして、国名に「協同」を加えた「ガイアナ協同共和国」の成立を宣言した。その後、政策の変更などから、一時期「Republic of Guyana 」が使用され、日本国外務省 でも「ガイアナ共和国 」が2007年 頃から注釈付きで用いられていた[ 5] が、ガイアナ政府からの要請や、国際社会における同国への呼称等を総合的に判断し[ 6] 、2024年 5月27日 以降は従来の呼称に戻すこととなった。なお、ガイアナ共和国が用いられた期間、憲法上の国号変更はなされていない。
国名の由来は、原住民のアラワク 系インディヘナ の言葉で「豊かな水の地」を意味し、同国を含む地域一帯を指すギアナ と同語源である。
歴史
先コロンブス期
ヨーロッパ人の来航 以前において、現在のガイアナに相当する地域にはアラワク人 、カリブ人 、ワラオ人 (英語版 ) などが住んでおり、マニオク の栽培や、狩猟 、漁労 で生計を立てていた。
植民地時代
1498年 にヨーロッパ人 として初めてクリストファー・コロンブス が渡来し、1499年にはアロンソ・デ・オヘダ (英語版 ) とアメリゴ・ヴェスプッチ が上陸した。その後、この地に黄金郷が存在するとのエル・ドラード 伝説が信じられると、スペイン人 とポルトガル人 の手が及ばなかったこの地は「ワイルド・コースト」と呼ばれ、イギリス人 の活動の場になり、ウォルター・ローリー 卿の植民団が1595年と1616年にやって来たが、イギリス人の入植運動は失敗した。1598年にはオランダ人 が来航し、大きな川の合流地点に交易所を建設し、1621年以降、当時ブラジル植民地 (英語版 ) (1500年 –1815年 )北東部 を支配していたオランダ西インド会社 の管轄下に入った。
イギリス領ギアナの地図(1896年 )
17世紀 から18世紀 にオランダが3つの植民地(エセキボ、デメララ、バービス)を設立した。ナポレオン戦争 による変遷を経て1814年 からイギリスの植民地となり、オランダの3植民地は1831年 に統合され「イギリス領ギアナ 」となり、オランダ人の町だったスタブルークはイギリス王ジョージ3世 の名前からジョージタウン と改名され、イギリス領ギアナの首都になった。
1834年 に奴隷制度 が廃止されると、砂糖工場の労働力としてまず年季奉公人としてイングランド人 、アイルランド人 、マルタ人 、ドイツ人 、マデイラ諸島 からのポルトガル人などが導入されたが、やがて同じくイギリス領だったインド にも広げられ、約34万人のインド系移民が1838年 - 1917年までに流入した。彼らは主に黒人 奴隷廃止後の農園労働者となった。1860年代に金が発見されて一時景気が上昇したこともあった。
1899年 に憲法を改正するとベネズエラと国境紛争が発生した。ガイアナ総面積の3分の2にあたる西・中部のエセキボ地域 (159,500km2 )をベネズエラが自国領と主張し、国際仲裁(パリ仲裁裁定 (英語版 ) )でガイアナ帰属が決められたが、ベネスエラは2023年においても「150年にわたる土地収奪」として領土要求を続けている[ 3] 。
1917年にイギリス領インド政府によりインド人移民が禁止されたが、1928年にはイギリスの直轄植民地となり、女性参政権 も認められた。また、稲作 を行っていたインド系市民は都市に出て地位を向上させ、1953年 の初の総選挙でインド・パキスタン系のチェディ・ジェーガン が率いる人民進歩党 (英語版 ) (PPP)が勝利した。PPPはレーニン主義 、スターリン主義 を標榜しており、ガイアナの社会主義化を恐れたイギリスは1953年10月に4隻の軍艦と1,600名の兵士を派遣し、ガイアナ憲法を停止させ[ 4] 、暫定政府による統治が開始された。ガイアナの民衆の独立運動はこれを機に盛んになったが、一方で内部対立も激化し始めた。
1955年 にアフリカ 系弁護士 のフォーブス・バーナム が人民国民会議 (英語版 ) を結成し、人民進歩党から分裂した[ 4] 。PPPは急進主義的な政策を掲げ、インド・パキスタン系の支持を受けていたのに対しPNCは穏健主義的であり、黒人系の支持を得ていた。1961年8月の選挙ではPPPが勝利し、9月5日にはジェーガンが首相となった。ジェーガンは社会主義的な政策をさらに推し進め、砂糖産業の統制化を図ろうとしていたが、砂糖産業の労働者の多くを占めていたアフリカ系の反発を受けた。1962年4月5日にはゼネスト が宣言され、それとともにジョージタウンの焼き打ちに端を発した暴動が全国に広がった。政府はこれを制圧することができず、イギリス政府の力を借りざるを得なくなった。1964年 12月の選挙でPNCが白人の利益を代表する統一勢力UPPと連立し、政権を掌握した[ 4] 。ジェーガンはこの選挙が無効であると主張し、退陣を拒否していたが、憲法改正によってその地位を追われた。首相に就任したバーナムはボーキサイトを国有化し、電気、通信、流通などのインフラも国家に統制されるようになった。
独立以降
1966年 5月26日 にイギリス連邦王国 の一国として独立し、バーナムが引き続き首相となった。
1969年1月2日、ブラジルから侵入した反乱部隊が国境近くの町レセムとアンナイの町を占領する出来事があったが、数日後にはガイアナ軍に追い返された[ 7] 。社会主義の建設を目指したバーナムは、1970年 2月23日に共和制 移行を宣言し、ガイアナ協同共和国と国名を変更した。中国系のアーサー・チュン が初代大統領 となったが、イギリス連邦 には残留した。独立後も黒人勢力を代表する人民国民会議と、インド・パキスタン系でマルクス・レーニン主義 の人民進歩党との間で人種的対立が続き、政情不安が続いた。1978年 にはガイアナの密林奥地にジョーンズタウンと名付けて移住していた、アメリカ合衆国 のキリスト教 系の新宗教 団体「人民寺院 」(People's Temple)による集団自殺事件が発生し、教祖ジム・ジョーンズ とジョーンズの家族および信者を含めた914人が集団自殺した。
1980年 には大統領の権力の強化を盛り込んだ新憲法が制定され、バーナムが大統領となったが経済の悪化は収まらなかった。1985年 にバーナムが没し、副大統領のヒュー・デズモンド・ホイト (英語版 ) が大統領に就任した。ホイトはバーナム以来の社会主義政策を転換し、新自由主義 政策を採り入れた。1992年 10月には国際監視団のモニタリング下での総選挙で人民進歩党が勝利し、人民進歩党の代表であった植民地時代の元首相ジェーガンが大統領に就任した。ジェーガン大統領は新自由主義 政策を継承したが効果を出せないままに1997年 に没し、チェディの妻でもあるジャネット・ジェーガン が大統領に就任した。1999年 8月 、ジェーガン大統領の辞任に伴いバラット・ジャグデオ 蔵相が憲法上の規定により大統領に就任した。2011年 にドナルド・ラモター (英語版 ) が大統領になり、2015年にデヴィッド・グレンジャーに代わった。
エクソンモービルがガイアナの200キロメートル沖合で2019年末に海底油田の採掘を始めた。従来は1人当たり国内総生産 (GDP)が5000ドル程度と南米最貧国の一つだったが、油田収入で2024年には4倍に増えて南米で最も豊かな国になると国際通貨基金 (IMF)は予測している[ 8] 。
2023年12月3日、隣国ベネズエラ でエセキボ地域 の領有権が自国にあるとの主張への賛否を問う国民投票が行われ、95%以上が賛成している[ 9] 。
ガイアナのアリ大統領は同日「今後数時間、数日、数カ月の間、恐れることは何もない」とコメントした[ 3] (グアヤナ・エセキバ も参照)。
政治
国会議事堂
政体 は大統領制で、大統領は国家元首 であり、直接選挙ではなく各党の候補者名簿より選出される。行政 は政府が、立法 は国民議会 が担当する。司法 は行政、立法から独立している。行政府は大統領が指揮し、首相と大臣は大統領が任命する。憲法は1980年 10月6日 に施行された[ 10] 。
国民議会は一院制 、定数65名で、53名は比例代表 による選出、12名が各州議会より選出される。
歴史的には選挙の度に暴動などが起きていたが、2006年の国政選挙は初の平和的な選挙となった。
2015年 5月11日 に行われた総選挙で「国民統一のためのパートナーシップ及び変化のための同盟(APNU+AFC)」が勝利し、23年ぶりの政権交代が実現した。5月16日には軍出身のデービッド・A・グレンジャー が大統領に就任し、グレンジャーはAPNU+AFCのモーゼス・ナガムートゥー (英語版 ) を首相に任命した。新内閣は5月20日に発足した[ 10] 。
国際関係
カリブ共同体 の本部が置かれ、南米諸国連合 に加盟している。
領土問題
ガイアナの領土問題を表した地図 (赤色はベネズエラが領と主張するエセキボ地域、黄色はスリナムとの係争地)
隣国のベネズエラ、スリナムとは領土問題 を抱えている。その多くは植民地時代に起因し、国土の約8割が係争地域となっている。
ベネズエラ
グアヤナ・エセキバ (エセキボ地域)は、エセキボ川 以西の159,500平方キロメートルで、ベネズエラが領有権を主張している。大半は密林で、人口は約12万5000人[ 3] 。なお以下の島々もグアヤナ・エセキバに含まれる。
スリナム
ティグリ地域 (英語版 ) (ガイアナ国内ではニューリバー・トライアングルと呼ばれる):南東部に位置する三角形の地域で、面積は 15,600平方キロメートル[ 12] 。1969年にガイアナはスリナムを同地から放逐して以来、実効支配している。ガイアナの行政区画では東ベルビセ=コレンティネ州 、スリナムの行政区画ではシパリウィニ地方 に属している[ 13] 。
海上国境:海上国境付近には大量の鉱物資源が埋蔵されていると推定され、2000年6月にガイアナの許可を得て係争海域で操業していたCGXエナジーの職員をスリナム海軍が強制退去させたことで領土問題が浮上した。2007年9月20日の国際海洋法裁判所 の判決により、約 51,023平方キロメートルの係争海域はガイアナが約65パーセント、スリナムが約35パーセントの比率で分割された[ 14] [ 15] 。
日本との関係
国家安全保障
ガイアナ国防軍 (Guyana Defence Force:GDF )は、独立前の1965年 に創設され現在に至る。総員1,100人で、イギリス連邦 カリブ海諸国の軍隊の訓練を受け入れている。また、ガイアナ国内のみならずバハマ のニュープロビデンス島 に海軍 (沿岸警備隊 )の基地を設けている。
地方行政区分
ガイアナの州区分図
ガイアナは、10の州 (region)に分かれている。また、10州には27の県 がある。
バリマ=ワイニ州
クユニ=マザルニ州
デメララ=マハイカ州 (ジョージタウン)
東ベルビセ=コレンティネ州
エセキボ諸島=西デメララ州
マハイカ=ベルビセ州
ポメローン=スペナーム州
ポタロ=シパルニ州
アッパー・デメララ=ベルビセ州
アッパー・タクトゥ=アッパー・エセキボ州
バリマ=ワイニ州、クユニ=マザルニ州、エセキボ諸島=西デメララ州、ポメローン=スペナーム州、ポタロ=シパルニ州、アッパー・タクトゥ=アッパー・エセキボ州の6州はエセキボ地域 (面積15万9,500km2 )と呼ばれ、隣国ベネズエラが領土に要求している。
主要都市
地理
カイエトゥール滝 (英語版 )
ギアナ地方 に属する。「ギアナ」はインディヘナの言葉で「水の多い土地」[2] という意味である。ガイアナの地形は広大な熱帯雨林 がいくつもの川や滝 によって隔てられることが特徴的で、ポタロ川のカイエトゥール滝が特筆される。
ガイアナは4つの自然地域に区分される。狭く肥沃で沼地の多い平地(沿岸低地)には人口の大部分が居住している。より内陸の白砂地帯(砂丘 と粘土 の地域)には鉱物 鉱床 があり、深い熱帯雨林(森林高地地域)が国土の中心を占め、南部は広大な内陸高地と平坦なサバナ (内陸サバナ)で、多くの山々がブラジルとの国境を形成している。
主要な山々はパカライマ山脈にあり、アヤンガナ山(2,042メートル)、ガイアナ最高峰のロライマ山 (2,810メートル)はブラジル - ガイアナ - ベネスエラ3か国の国境が交わるところにある。アーサー・コナン・ドイル の小説『失われた世界 』(1912年)はガイアナのロライマ山 とガイアナのテプイ から発想を得たといわれている。また、ガイアナは非常に生物多様性 に富んだ国である。
多くの急斜面や滝があり、カイエトゥール滝もまたその一つである。ルププニ川とブラジル国境の間にはルププニ・サバナがあり、その南にはカヌク山地がある。
多くの川があり、エセキボ川、デメララ川 (Demerara River )、バービス川の3つの主要河川が西から東に流れている。コレンティン川はスリナムとの国境にもなっている。エセキボ川の河口 にはいくつかの大きな島があり、北東海岸に長さ145キロメートルに及ぶ貝殻 砂浜 がある。ガイアナは海亀 (主にオサガメ )と他の野生動物の繁殖地である。
気候
ケッペンの気候区分 では熱帯雨林気候 (Af)で、5月から7月の半ばと、11月から1月の半ばまで雨季であり、8月から12月にかけて弱い乾季となる。総じて暑く湿っているが、大西洋から吹き込む貿易風 の影響で沿岸部は過ごしやすい。また、年間を通じて降雨量が多い。
経済
ガイアナの水田
主要産業は農業で米、砂糖、ラム酒 、鉱業はボーキサイトや金などを生産する。砂糖は輸出額の28%を占め、Guysuco社が多くの労働者を抱える。豊かな木材 資源も有望であるとされる。漁業はエビが欧州へ輸出される。鉱業ではアルコア (旧・Reynolds Metal )やリオ・ティント など、木材では韓国 ・マレーシア 合弁など外資が参入している。昔盛んだったゴム 園は衰退した。
第7代大統領ジャグデオ の時代に8億ドルに上る対外債務の削減に成功した。2007年に付加価値税 を導入し、徴税の効率化につながった。しかし、技術者の不足やインフラストラクチャー 整備の遅れが克服すべき課題である。2007年のGDPは推定30億ドル(2022年は154億ドル[ 16] )、一人当たりでは4,000ドル。2006年の輸出額6億ドルに対し、製品・機械・石油など7億ドルの輸入となっている。
原油は2015年にエクソンモービルが発見して、2019年12月20日に生産を開始した[ 17] 。
交通
首都ジョージタウンにチェディ・ジェーガン国際空港 (ティメーリ国際空港)がある。
自動車の通行区分は日本と同じ左側通行 である[ 18] 。
鉄道は存在しない。これはスリナムも同様である。
国民
ガイアナの人口分布
現在のガイアナの国民は非常に多様な人種的背景から構成されており、国民の人種的背景はヨーロッパ人の到達以前から居住していたインディヘナに加え、ヨーロッパ(特にイギリス、オランダ、ポルトガル)、アフリカ、中国、インド、中東 など多岐に及んでいる。これらの多様な国民は英語とクレオール語を共通語としている。
住民は2002年には印僑 が43.5%でもっとも多く、黒人 が30.2%と続き、3番目に多いのが混血者の16.7%、インディヘナは4番目の9.2%となっている。もっとも少ないグループは 白人 (ポルトガル人を含む)で0.06%(約476人)、華人 は0.19%(約1,375人)である。国民の0.01%(約112人)は種族的背景が不明である。
人口の90%は大西洋側の海岸低地 に集中している[ 4] 。
言語
公用語 は英語 である。英語に加えて、アラワク語 、アカワイオ語 、ワイ=ワイ語 、マクシ語 などのインディヘナの言語やガイアナ・クレオール語 、ヒンディー語 、ウルドゥ語 なども使われる。
宗教
2002年のセンサスによると、ガイアナの宗教の分類は、ヒンドゥー教 が28.4%、キリスト教 のプロテスタント が16.9%で、キリスト教カトリック が8.1%、イスラム教 が7.2%、キリスト教イギリス国教会 が6.9%、キリスト教セブンスデー・アドベンチスト教会 が5%、その他のキリスト教が20.5%、無宗教 が4.3%、ラスタファリアン が0.5%、バハイ教 が0.1%、その他の宗教が2.2%である[ 19] 。ヒンドゥー教は1800年代初頭にやってきたインド人が持ち込み、イスラム教はアフリカ系ガイアナ人、インド系ガイアナ人、アラブ系 ガイアナ人によって信仰されている。ガイアナのキリスト教徒はプロテスタント、カトリックを問わず、全ての人種によって構成されている。
スポーツ
ジョージタウン 郊外にあるプロビデンス・スタジアム (英語版 )
クリケット
クリケット が最も人気のあるスポーツになっている[ 20] [ 21] 。植民地時代からイギリス文化の影響を大きく受けており、国民人口の4割以上を印僑 が占めておりことも要因の一つとされる。2007年に開催されたクリケット・ワールドカップ では、ジョージタウン郊外のプロビデンス・スタジアム (英語版 ) が会場の一つとなった。代表チームは多国籍ナショナルチームの西インド諸島代表 に含まれている。2013年にカリブ海地域 周辺の6カ国が連合になったトゥエンティ20 形式のプロリーグであるカリビアン・プレミアリーグ が開幕し、ガイアナ・アマゾン・ウォリアーズ (英語版 ) が参加している。
サッカー
ガイアナ国内ではサッカー も人気のスポーツ の一つとなっており、2015年 にサッカーリーグのGFFエリートリーグ (英語版 ) が創設された。サッカーガイアナ代表 は、これまでFIFAワールドカップ への出場歴はないが、CONCACAFゴールドカップ には2019年大会 で初出場を果たしている[ 22] 。なお、ガイアナサッカー連盟 (英語版 ) は南米サッカー連盟 (CONMEBOL)ではなく、北中米カリブ海サッカー連盟 (Concacaf)に属している。
文化
ガイアナは、スリナム 、ブラジル 、仏領ギアナ とともに、南アメリカ でスペイン語圏 ではない4ヶ国のうちの一つである。ガイアナの文化はカリブ海の英語圏諸国と非常に似通っており、ガイアナはカリブ諸国に参入することを承認され、カリブ共同体 (CARICOM)の加盟国となっている。
祝祭日
日付
日本語表記
英語表記
備考
1月1日
元日
New Year's Day
2月23日
マシュラマニ (共和国記念日) 英語版
Mashramani (Republic Day)
移動祝祭日
ファグワー
Phagwah
移動祝祭日
エイド・ウル・フィトル
Eid-ul-Fitr
移動祝祭日
ヨウム・ウン・ナビ
Youm Un Nabi
移動祝祭日
聖金曜日
Good Friday
移動祝祭日
復活祭 月曜日
Easter Monday
5月1日
メーデー
Labour Day
5月5日
インド人到達の日
Indian Arrival Day
5月26日
独立記念日
Independence Day
7月第一月曜日
CARICOM記念日
CARICOM Day
8月1日
解放記念日
Emancipation Day
移動祝祭日
ディーワーリー
Diwali
12月25日
クリスマス
Christmas Day
12月26日か27日
ボクシング・デー
Boxing Day
その他
英国領だった19世紀 、現地人が英国に倣って始めた郵便制度で4セントと1セント切手が発行された。しかし郵便を利用するものはほとんどおらず、利用者はわずか8名のみと記録されている。その郵便で発行された切手も4セント8枚、速達料金用の1セント1枚のみが使用され、残った切手は全て焼却処分されたとされている。現存1枚の1セント切手は最近まで米大手化学会社デュポン の相続人が所有していたが、2014年 6月17日 にニューヨーク のサザビーズ オークション にて出品され、約950万ドル(約9億7,000万円)で落札された。
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、
ガイアナ に関連する
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政府
日本政府
観光
その他
加盟国
脱退国
1 1はイギリスの植民地・保護国だったことのない国。