黄金島は地中海に位置し、フランスの行政上ではヴァール県、サン=ラファエルにあるコミューン、ル・ドラモンの一部となっている。コート・ダジュールのこの町には35キロメートルの海岸線がある[1]·[画 2]。ル・ドラモンは首都の東に位置し、サン=ラファエルに次ぐ大きさを持ち、都心から約8キロ離れている。海岸は黄金島に近く、北北西に630メートル、ドラグーン上陸点から東に400メートル進むとポワント・ド・レスキン・ド・レ « pointe de l'Esquine de l'Ay » に達し、プーサイ港から北北東に430メートルの距離がある[2]。島の長さは195メートル、幅は113メートル、面積は1,095ヘクタールで、地上高は15メートルである[3]。
La rade d'Agay forme un joli bassin bien abrité, fermé, d'un côté, par les rochers rouges et droits, que domine le sémaphore, au sommet de la montagne, et que continue, vers la pleine mer, l'île d'Or, nommée ainsi à cause de sa couleur[36].
Une demi-heure plus tard, nous embarquions tous les trois dans le youyou et nous abandonnions le Bel-Ami pour aller tendre notre filet au pied du Drammont, près de l'île d'Or[37].
セルジャンはイタリア旅行中にこの地で出逢った裕福な行楽客のイギリス人女性[46]キャサリン・メアリー・ベンタール(Catherine Mary Bentall、1859-1952)と1885年10月27日に結婚した[画 7]。彼は知人の紹介によりサン=ラファエルの建築家としてイギリスの植民地を訪れ、1894年初頭には同地の副領事となった[47]。これは彼が医師のオーギュスト・リュトーと交友を結ぶきっかけとなった[画 1]。それから数年間、彼の家族と友人たちは島でのバカンスを愉しんだ。彼らは島へピクニックに行き、時には星空の下で夜を過ごした[48]。
自称王国
黄金島王国
Royaume de l'île d'Or
1910年 - 1925年
(国旗)
(国章)
国の標語: النَّجَات فِي الصَّدْق≪ Le salut est dans la sincérité ≫(救いは誠実なり)
オーギュスト・リュトー(1847-1925)は婦人科学者として1874年にパリで論文を発表し、ロンドンにあるオピタル・フランセーズという病院に勤め、アメリカ合衆国を旅行したあと[52]パリに定住した。この英語を話す医師はサン=ラザール刑務所で当初婦人科を担当し[53]、あるイギリス人女性から彼女がバカンスに訪れていたコート・ダジュールの話を聞いた[54]。リュトーは1886年5月18日にサン=ラファエルのヴァレスキュールにある女子寄宿学校の世話人の家である「ル・シャレー・レ・ミモザ」« Le chalet Les Mimosas »(ミモザのコテジといった意味)を購入した。これはのちに司法物件としてサン=ヴァレスキュール市民団体の競売にかけられ、現在は « Moineaudière »(鳥のスズメを指す)という名前の別荘になっている[注 17]。
リュトーは1887年3月17日に自身の医療施設「オテル・コンチネンタル」« Hôtel Continental »、「オテル・デザングレ」« Hôtel des Anglais » の資金として年金を受給し、同じ条件で前述の寄宿学校を購入[56]、セルジャンを建築家として雇い、学校を「オテル・デザングレ」に改装し[57]·[58]·[59]·[画 9]、ミモザと隣接する土地に[60]別荘「ヴィラ・デザガヴェス」« Villa des Agaves » を建てた[61]。この1891年9月17日に竣工した1階に厩舎のある世話人のパヴィリオン « Ce pavillon de gardien »(英語圏のゲートハウスに相当する)[62]·[63]は「オテル・デザングレ」とともに1898年4月1日に売却されている[57]。リュトーは1908年から翌年にかけて再びミモザに住んだが[64]·[65]、1920年12月15日にようやくミモザに買い手が付いた[66]。当初リュトーはル・ドラモンの麓のシャレーを借り、1905年に取得していた30年間の定期借地権[67]であらたな家を建てた。リュトーは遥かにプーサイの可憐な盆地と黄金島を見晴るかす家を「シャレー・ド・イル・ドール」« Chalet de l'île d'Or » と呼んだ[68]。 彼の後継者たちは未だにそこでバカンスを過ごしている[69]。
祝宴の招待者リストは9月21日までにヴァレスキュールにあるアンジェロ・マリアーニ(1838-1914[144])の別荘「ヴィラ・アンドレア」« La villa Andréa » に届くよう取り計らわれた[145]·[画 17]。これは2人の親密さを物語るものであるが[146]·[147]、ボルドーワインにコカインを添加したマリアーニ・ワイン[画 23]を世界中で販売していたこのコルシカの薬剤師は[148]リュトーの友人であった。マリアーニの義理の兄弟であるジュリアス・ジャロス(Julius Jaros)がアメリカ旅行中のリュトーをニューヨークで歓待したエピソードはこれを裏付けている[149]。定期刊行物「サンプル・ルヴュー」« Simple Revue » のジャーナリストであるジョルジュ・ルニャールは黄金塔完成の報告記事でこう記している。
par modestie, M.Mariani n'avait pas permis que le vin de coca figurât sur le menu, mais il en fut fait une rude consommation. Dans l'île on s'en restaura, ou bien on le prit comme apéritif ; et sur la terre ferme, sous prétexte qu'il est digestif, les amateurs ne s'en privèrent pas[150].
黄金島の煌きは夢幻的であり、詩人のギュスターヴ・デュー(Gustave Dhyeux、1879-1965[180]·[注 46])は1909年に発表した詩集 « Album de Saint-Raphaël-en-Provence »(プロヴァンス - サン=ラファエルのアルバム[181])に黄金島に寄せる詩を載せている。
Île d'Or ! Île de chimères ! Île de songes très lointains… Île rose ! Île de lumière, Que l'eau de lazulite enceint. Telle qu'une touffe de roses Dans l'ardente mer bleue éclose Elle apparaît, radieux îlot Où vient se câliner le flot.
On voit, à l'aube, sur cette île Un léger scintillement d'or, Alors que Phébus ne profile Que des bigarrures, encor. Mais surtout elle est l'Île Rose, Lorsque du soleil s'y repose. Île de rêve, où pour mourir, Il serait doux de s'assoupir…[182]
Si un jour vous voyez présenté un drame moyenâgeux ayant pour titre Le Seigneur de l'île d'Or vous n'ignorerez plus qu'il eut pour décor la tour du Dr.Lutaud[183].
アシェット・リーブルは、旅行雑誌の「コレクシオン・ルルタール」(Collection Le Routard)2016/2017年版でエステレル ; コート・ダジュール特集号の表紙に黄金島の写真を使用した[注 50]。
絵画
1932年にC・パーディネル(C. Pardinel)が新聞「イリュストラシオン」のために描いた水彩画「ブルリから見たル・ドラモンと黄金島」« Le Dramont et l’île d'Or vus de Boulouris » は、モチーフを正確に反映したものである[注 51]。1936年には考古学者でフレジュス美術館の学芸員であるアルフォンス・ドナデュー(Alphonse Donnadieu)が画家のポール・ブレ(Paul Bret)に自著「プロヴァンスの風景」« Paysages de Provence » の挿絵を依頼し、ブレは「黄金島」と題する118点のドローイングでル・ドラモンを表現した[注 52]。1936年には海軍公認画家のレオン・アフネル(Léon Haffner)が著書「海の襲撃」« À l’assaut des océans » で17世紀のガレー船を描いている。この絵では満帆の船が黄金島の前を航行しているが、実際にはまだ建てられていない黄金塔が描き込まれている。タイトルは「ウサギの耳の帆」と題され[194]、これは帆船用語の « allure au portant »(風下)に因み[注 53]、そこに船が姿を見せている。実際適速航行時には翼はここに示されたように両側に展開される[196]。1972年にはピエール・ブーデが27センチ×35センチの板に油彩画を描いた。これは「サン=ラファエル近郊の黄金島」« L'île d'Or près de Saint-Raphaël » と題され、彼が得意とする点描は用いていないものの、プーサイ港にイーゼルを据えたために多くの色が使われている[注 54]。パリ国立高等美術学校の教授であるマルセル・ブイス(Marcel Bouissou)は島の滞在中に空想的な絵を描いた。それはいくつかの抜け穴のある丸い塔に隣接した円形のダンジョンとなっており、要塞の前には鎧を着た騎士が非常に長い槍を持って立っている。この絵は「夢の中の黄金島」« L'île d'Or en rêve » と名付けられた[198]。2004年8月15日、ロナン・オリエはプロヴァンス上陸60周年を記念して、他の8名の提督から海軍公認画家に任命された。 彼はこの機会に上陸ビーチ全体を構図に据え、キャンバスに島を描いた。彼は自分の作品に「エルジェにインスピレーションを与えた小さな島 "黒い島"」« La petite île qui inspira Hergé pour L'Île Noire » と名付けた[199]。2013年7月27日には王国建国式典2周年と100周年を記念して開催された絵画コンテストの賞品が授与された[130]。
2016年6月7日にオルタナティヴ・アーティストのベンジャミン・フィンチャー(Benjamin Fincher)はアルバム『サンタ・ルチア』« Santa Lucia » をリリースした。タイトルは彼が子供の頃にバカンスを過ごしたサン=ラファエルの入り江から命名されている。このアルバムには当地にある駅と同数の9つの音楽トラックとカラー写真が収録されており、サン=ラファエルからカンヌまでの列車の旅と一致するようにすべてが綿密に調整されている。ドラモン駅に当たる3曲目は « L'île où dort M.Lutaud (Le Dramont) »「ムッシュ・リュトーが眠る島(ル・ドラモン)」というタイトルの2分41秒の作品である[206][207]。
絵はがき
黄金島の装いと紋章は非常に多くのサン=ラファエルの絵はがきに使われている。その歴史は古く、黄金塔建設以前の1900年にポール・エルムリンジェ社(Paul Helmlinger et Cie)が編集したコート・ダジュールのシリーズに « Le sémaphore d'Agay et l'île d’Or »(アゲのセマフォと黄金島)という作品がある[画 44]。また1910年にはオーギュスト・リュトーの需めに応じて作られた絵はがきが発行されている[208]。リュトーは黄金島と塔を東から撮影した写真をもとに印刷されたモノクロームの絵はがきを持っており、これには左上にアラビア語の銘文 النَّجَات فِي الصَّدْق (elnajât_ fî elSadq_)(救いは誠実なり[注 57])があり、右側には紋章と中央の島の下にはラテン語で Insula Aurea(黄金島)と記され、下端のキャプションには « Elle est dénommée St-Raphaël. L'île d'Or et la tour sarrazine, chaine de l'Estérel et des Maures. »( それはサン=ラファエルと呼ばれています。黄金島とサラセンの塔、エステレルとムーア人の鎖)とある。 1910年代初頭、アントニー・バンディエリ[注 25]とサン=ラファエルの写真編集者ピエール=クーレ(Pierre-Coullet[209])は黄金島の戴冠式その他のイベントに招待され、2枚の絵はがき「サン=ラファエル、黄金島とサラセンの塔」「海から見た黄金島とサラセンの塔、ドラモンのセマフォ[注 11]」を発行した[注 58]。これは他にも「アゲ」「曲がりくねった島の道」「ドラモンと黄金島の岩」などがあり、ときには着色されて発行された。これはバイリンガルやイギリス人の植民地への関心を物語るものである[画 46]。また、1950年から1955年にかけてブロマイドと呼ばれる写真プロセスによって空中写真から作られた最初期の半近代的な絵はがきのひとつは、おそらくル・ドラモンをモチーフとした「黄金島とセマフォの景色」であり[211]、これは写真および出版業者によって発行された[212]。 その後、銀塩写真からデジタル写真までオフセット印刷による無数の現代の絵はがきが発行されている。
1913年9月25日のアウグストゥス1世戴冠式の2度目の祝宴の100周年を記念して、サン=ラファエル・フレジュス切手収集愛好会が3種類のフレーム切手を発行した。まず同一デザインによる30枚分の切手シートと[画 55]フランス郵政公社がネーミングした2種類のスーヴェニール切手帳がある。それは「4種類の切手を各1枚タイプ」と[画 56]« Mon souvenir à moi »(私の記憶)と名付けられた「2種類の切手を各4枚タイプ」である[画 57]。図像はすべて写真からの複製であり、切手帳の見返しには1枚の切手を拡大した図像が印刷されている。島の風景は異なる場合があるものの、すべての切手でプーサイ港が手前に位置している。これらの切手にはそれぞれ発行日(2013年7月27日)が印刷されており、フランスの20グラム以下の郵便物に適用される自己接着タイプとなっている。
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^これは4月6日にアンティーブを出発して14日にモナコに着くまでのコート・ダジュール紀行と、旅とは直接関係のない随想が交互に記されており、モーパッサンは黄金島を訪れた日にちを4月8日から4月10日にかけてとしている。この作品には吉江喬松、青柳瑞穂、関根秀雄、木村庄三郎らによる日本語訳版がある。また、モーパッサンには同名の短編小説があり、これは1876年に « En canot »(カヌーで)という題名で発表され、1881年に前記のタイトルに変更されている。
^この献辞の起草者であるポール・ベルトネイ(Paul Bertnay、1846-1928, これは本名 François Xavier Louis Paul Breynat のアナグラム)は、リヨン出身のジャーナリストで人気小説家であった。彼は就任式と来たるべきパーティーに招かれており[89]、サン=ラファエル近郊のアンテオール(Anthéor)にある別荘、ポーレット(Paulette または Paulotte)に住んでいた[90]·[91]。
Cette clef de fleurs entourée. Que ces hommages vous agrée, Ô Roi, le premier des Lutaud ! Grand souverain de l'île d'Or. Pour vos sujets soyez un père. Que votre règne soit prospère Pendant de bien longs jours encor. Vive le roi de l'île d'Or ! [88]·[注 26]
^Insulae Aureæ Proprio Motu(ラテン語で黄金島自発教令)は記念メダルの表側に記された通りに理解されている。つづけてフランス語で « Auguste Premier de sa propre volonté roi de l'île d'Or »(オーギュストは彼自身の意思で黄金島の王となった)と記され、島の命名と彼が自主的に王になったという事実の2つの要素が取り上げられている。
^ abcこのメダルには額面が入っておらず、階ごとに3つの窓がある5階建ての塔が刻まれ、塔上には旗が掲げられている。旗のエンブレムは五芒星を示しており、星と三日月はイスラム文明を思い起こさせる[106]。右上に向かって太陽の光が差し、周囲にはラテン語で Augustus Primus Insulae Aureæ Proprio Motu Rex(黄金の島々の最初の王アウグストゥス)と記されている[12]。
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