ゆうき まさみ(本名:佐藤 修治[2]、本名読み:さとう しゅうじ、1957年12月19日[1] - )は、日本の男性漫画家。北海道虻田郡倶知安町出身[3][4](札幌市生まれ[5])。北海道倶知安高等学校卒業[6]。
1980年(昭和55年)『月刊OUT』(みのり書房)に掲載された「ざ・ライバル」でデビュー。当初はプロの漫画家になるつもりはなく[7]、サラリーマン稼業の傍らでみのり書房やラポートの雑誌で活動する。退職後[8]に「きまぐれサイキック」で『週刊少年サンデー』(小学館)での活動を開始し、以降主に同誌において活躍した。
代表作に『究極超人あ〜る』・『機動警察パトレイバー』・『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』[1]など。
来歴
生い立ち
1957年(昭和32年)に北海道札幌市で生まれる。幼少期を東京都中野区や千葉県で過ごす。小学生の時に7歳年上の従兄がノートに漫画を描くのに影響を受け、石森章太郎の『マンガ家入門』で描き方を憶えて漫画を描きはじめる[9][10]。
中学生の時に母親の故郷の北海道虻田郡倶知安町に移り、高校卒業まで過ごす[11]。ちなみに、『究極超人あ〜る』の「生き霊少女」のエピソードは、高校時代の体験に基づいているという[3]。
デビュー前
1975年(昭和50年)に高校を卒業し、上京して就職する[10]。
1977年(昭和52年)の劇場版『宇宙戦艦ヤマト』公開前後より、アニメや漫画の愛好者達の集い場となっていた江古田のまんが画廊に通うようになる[10]。ここで『パロディ宇宙戦艦ヤマト』(水谷潤)という有名な同人誌を見て触発されて自身もパロディ要素を含んだ漫画を執筆し、これが仲間達から好評を得て執筆を続けるようになる[10]。
また、川村万梨阿やとまとあきらとともに、架空のアニメの設定などをでっち上げる「企画ごっこ」という遊びを始め、これが後の『機動警察パトレイバー』へと繋がって行く[12]。
アニメ誌でのデビュー
まんが画廊でみのり書房がパロディ漫画を描ける人物を捜しているとの情報を得たゆうきは、同社を訪れてアイデアを見せ、OKが出たため漫画を執筆して持ち込む[13]。『機動戦士ガンダム』のパロディ作品「ざ・ライバル」が『月刊OUT』1980年(昭和55年)4月号に掲載されて漫画家としてデビューする[13]。ただし4ページの原稿のうち掲載されたのは1ページ目と4ページ目[注 1]だけであった[14]。
その後も、同誌でコンスタントにアニパロ(アニメのパロディ)読切の発表を続け、1980年12月号から開始した「ど貴族物語」[注 2]が初の連載作品となる。当初はプロの漫画家になるつもりはなく[7]、サラリーマンを本業として続けながらの活動であった[13]。
活動の場をラポートの『アニメック』やOUTの増刊として始まった『アニパロコミックス[注 3]』と増やし、新谷かおるの元でのアシスタントを行うと漫画活動の幅を広げるが、漫画によって本業が疎かになっていく[13]。そして勤務年数が退職金が出る年数に届き退職しても当面の生活には困らなくなったこともあり、勤務態度を注意されたことを機として6年勤めた会社を1982年(昭和57年)に退職[8][13]。
同年には『アニメック』でアニパロではないオリジナル作品「マジカル ルシィ」を、翌年には『アニパロコミックス』と『月刊OUT』を跨ぐ形で古事記のヤマトタケルノミコト説話を漫画化した[15]「ヤマトタケルの冒険」の連載をそれぞれ始める。
パトレイバーの企画が頓挫
1982年ごろに出渕裕と知り合ったゆうきは意気投合して「企画ごっこ」のノートを見せ、これを気に入った出渕は構成として火浦功を加え『機動警察パトレイバー』として実際にアニメ化することを目指す[16]。制作プロダクションへと企画を持ち込むが受け入れられず頓挫し、多忙となった火浦は企画から撤退する[16]。
1983年(昭和58年)の『時をかける少女』の公開により、ゆうきの周りでは原田知世ブームが起こる[17]。出渕裕・火浦功・美樹本晴彦・かがみあきら・とり・みき・河森正治・米田裕といった面々が原田について熱く語る日々を過ごし[17]、エッセイ漫画などの形で仕事としても昇華していた。ゆうきも『OUT』で連載したパロディ作品「時をかける学園(ねらわれたしょうじょ)[注 4]」などいくつかの漫画で原田を取り上げた[18]他、原田に近づく機会が得られるかもしれないとの理由から角川書店のアニメ雑誌『月刊ニュータイプ』での連載を受諾している[19][注 5]。
1985年(昭和60年)の同誌創刊号から連載を開始したエッセイ漫画「ゆうきまさみのはてしない物語」は四半世紀以上を経た2016年現在においても続いており、同誌最長の長寿連載となっている。
少年サンデー時代
- 究極超人あ〜る
- 「星雲児[注 6]」で『週刊少年サンデー』に出入りするようになった出渕裕の紹介でサンデー編集部とのコネクションを持ち、1984年(昭和59年)の同誌25周年増刊号に「きまぐれサイキック」が掲載されサンデーでの活動が始まる[20]。同年に、本誌で「♡LY BLOOD」の短期集中連載を行う。
- さらに月刊で発行されていた『週刊少年サンデー増刊号』で「鉄腕バーディー」(オリジナル版)の連載を開始する[20]。しかし、当時の担当が週刊でやることを推したため、増刊での「バーディー」の連載を中断し、1985年(昭和60年)より本誌で「究極超人あ〜る」の連載を開始[20]。以降、同誌はゆうきの主戦場となり、2002年(平成14年)までの17年間に渡って作品を掲載することとなる。
- 機動警察パトレイバー
- 1986年(昭和61年)には新たに脚本家の伊藤和典と当時伊藤の妻であったキャラクターデザイナーの高田明美を加えて『機動警察パトレイバー』の計画を練り直し、バンダイでOVA化を取り付ける[21]。1988年(昭和63年)には『少年サンデー』での漫画版の連載とOVAの発売が始まり[21]、翌1989年(平成元年)には映画化・テレビアニメ化も達成し、デビュー前の構想が元となった企画が実現された。「パトレイバー」連載開始の同年には前年連載が終了した「あ〜る」で第19回星雲賞マンガ部門を、翌年には連載中の「パトレイバー」で第36回小学館漫画賞少年部門を受賞する。
- じゃじゃ馬グルーミン★UP!
- 1994年(平成6年)には6年続いた「パトレイバー」を完結させ、担当から提示された題材を元に「じゃじゃ馬グルーミン★UP!」の連載を『少年サンデー』で開始[22]。同作も連載期間が6年に渡る長期連載となり、単行本では全26巻のタイトルとなっている[注 7]。また「じゃじゃ馬」と並行して、1995年(平成7年)からは『月刊少年キャプテン』(徳間書店)で「土曜ワイド殺人事件」(とり・みきとの共作)、2000年(平成12年)からは『AICコミックLOVE』(AIC)で「マリアナ伝説」(田丸浩史との共作)の連載を開始している。両作は掲載誌を移りながらも連載が継続され、2004年(平成16年)と2005年(平成17年)にそれぞれ完結している。
- パンゲアの娘 KUNIE
- 2001年(平成13年) より連載を開始した「パンゲアの娘 KUNIE」が翌2002年(平成14年)に打ち切りとなり[23]、「あ〜る」以来17年連載を続けてきたサンデーを離れる。
青年誌への移動
- 鉄腕バーディー
- 「KUNIE」の打ち切りによって仕事の無くなっていたゆうきに、『週刊ヤングサンデー』へと異動していた「じゃじゃ馬」時の担当が、『バーディー』を名指しで連載を持ちかけ、同誌で2003年(平成15年)より『鉄腕バーディー』のリメイク版の連載を開始する[23]。
- 2008年(平成20年)には『鉄腕バーディー DECODE』としてアニメ化もされるが、アニメ放映中に『ヤングサンデー』が休刊し『週刊ビッグコミックスピリッツ』へと移籍。その後、1カ月程度の休載を挟んで「鉄腕バーディーEVOLUTION」と改題の上で連載を再開した。改題によって個別タイトルとしては「じゃじゃ馬」などより短くなっているが『EVOLUTION』は完全に話の繋がった続編であり、無印と『EVOLUTION』を合わせたリメイク版『鉄腕バーディー』全体では連載期間で10年以上、単行本では30巻を越えるゆうき最長の作品となっている。
- 白暮のクロニクル / でぃす×こみ
- 2013年から2017年にかけては、現代に生きる吸血鬼をテーマにしたサスペンスミステリー作品『白暮のクロニクル』をビッグコミックスピリッツで連載。同時期に、ボーイズラブ作家をテーマにした『でぃす×こみ』を、月刊!スピリッツで不定期連載した。
- 新九郎、奔る!
- 2018年からは、伊勢新九郎(北条早雲)をモデルとした『新九郎、奔る!』を月刊!スピリッツにて連載開始(2020年よりビッグコミックスピリッツに移籍)。
- 2020年9月14日、画業40周年を記念した企画が、週刊ビッグコミックスピリッツ42・43合併号で告知された。同年12月に初の大規模となる展示イベント「ゆうきまさみ展」を東京・東京ドームシティ Gallery AaMoで開催。また、初の画集が発売されることも併せて発表した[24][25]。イベントの詳細は随時特設サイト及び公式Twitterで告知される[26][27]。
年表
特記のない連載作品は『週刊少年サンデー』での連載。
作品リスト
漫画作品については連載作品のみを抜粋して記載する。詳細な漫画作品および単行本のリストはゆうきまさみの漫画作品一覧を参照。
漫画作品
アニメ
- 機動警察パトレイバー - ヘッドギアの一員として原案を担当。なお、同名の漫画とは基本設定等は共有しているものの、漫画のアニメ化やアニメの漫画化という関係にはない(詳細は該当項目を参照)。
キャラクターデザイン
イラスト
その他
メディア出演
関連人物
まんが画廊の常連
- とまとあき
- 小説家・音楽ディレクター。まんが画廊の常連の一人でデビュー前からの知人で、『パトレイバー』の大元となった企画ごっこにも参加している[12]。またゆうきも参加した架空のアニメ企画『熱血ロボ ガンバル5』では構成を担当している[29]。『究極超人あ〜る』に登場するたわば先輩はとまとをモデルとしており[36]、ドラマCDではとまと自身が声を当てている。
- 川村万梨阿
- 女性声優。まんが画廊の常連の一人でデビュー前からの知人で、『パトレイバー』の大元となった企画ごっこにも参加している[12]。『究極超人あ〜る』に登場する西園寺まりいは川村をモデルとしており[37]、ドラマCDやOVAでは川村自身が声を当てている。
漫画家
- 出渕裕
- 漫画家の他メカニックデザインなどと幅広く活動するクリエイター。1983年(昭和58年)ごろに『アニメック』の編集部で知り合い意気投合[16]。素人の「企画ごっこ」でしかなかったものを『機動警察パトレイバー』として実際にアニメとするために尽力する[16][21]。またリメイク版『鉄腕バーディー』には漫画ではアイデア協力として、このアニメ版となる『鉄腕バーディー DECODE』にはクリエイティブプロデューサーとして関わっている。
- とり・みき
- 漫画家。ゆうきがアニパロ漫画を描いていた時代に知り合い、原田知世ブームを機に交友を深める[38]。一時期ゆうきはとりの元でアシスタントも務めていた[39]。また1995年からは『土曜ワイド殺人事件』を合作している。
- 新谷かおる
- サラリーマンを辞める直前の時期にゆうきは新谷の元でアシスタントを務め、この経験がサラリーマンを辞めるきっかけの一つともなっている[13][40]。
ヘッドギア
アニメ『機動警察パトレイバー』の原作者集団。
- 出渕裕
- 上述。ヘッドギアではメカニックデザインを担当。
- 伊藤和典
- ヘッドギアでは脚本を担当。『究極超人あ〜る』に登場する伊東のモデル[36]。
- 高田明美
- ヘッドギアではキャラクターデザインを担当。『究極超人あ〜る』に登場する伊東の彼女のモデル[要出典]。また同作のドラマCDでは西園寺えりかの声を担当している。
- 押井守
- ヘッドギアでは監督を担当。
アシスタント出身者
ゆうきの元でアシスタント経験のある人物。
その他の人物
- 井上伸一郎
- 『アニメック』時代から交流のある編集者[17]で、『月刊ニュータイプ』における「はてしない物語」の連載を依頼した人物[19]。
- 火浦功
- 小説家。出渕の呼びかけに応じ『機動警察パトレイバー』のプロトタイプ企画に構成として参加[16]。火浦の参加時期にアニメ化は達成できなかったが、この時に『パトレイバー』を通りやすくするために作られたダミー案を元に『未来放浪ガルディーン』を執筆している[16]。
参考文献
主要参考文献のみを記載。この他の参考文献については個別脚注方式で#出典に記載している。
脚注
注釈
- ^ シャア・アズナブルの乗るモビルスーツが1ページ目と2ページ目で異なるが、話の流れはつながらなくもない。
- ^ 『超電磁マシーン ボルテスV』と『ベルサイユのばら』を混合させたパロディ作品。
- ^ 創刊号の誌名は『アニメ・パロディ・コミックス』。
- ^ 原田主演の『時をかける少女』と薬師丸ひろ子主演の『ねらわれた学園』とを混ぜ合わせたパロディ作品。
- ^ 当時の原田は角川春樹事務所に所属しており、薬師丸ひろ子・渡辺典子と共に角川3人娘と称されていたが、1986年(昭和61年)に独立している。
- ^ 『週刊少年サンデー』で1983年から連載された池上遼一の漫画。出淵はメカデザインで関わっている。
- ^ 1つの物語としては、途中で『鉄腕バーディー EVOLUTION』に改題して継続されているリメイク版の『鉄腕バーディー』が最長となる。また連載期間では6年+6週続いた「パトレイバー」が8週程長く続いている。
- ^ 2012年8月現在
- ^ 1982年8月号p.105掲載の企画「アニメクイズグランプリ」から派生。同企画は好評を得て準レギュラー企画となり11月号p.57では「ガンバル5映画化決定?」のタイトルで2色刷り特集が組まれるほどであった。徐々に読者からのネタやアイディアを盛り込んだページとなり、ついには読者参加型連載漫画として掲載されるようになった。ゆうきのパロディ漫画を掲載していた他誌「月刊OUT」1982年10月号に描きおろし折込ポスターがついたことがある(その件については1982年11月号p.188の編集後記欄に詳細が記されている)。
出典
外部リンク