齋藤 友貴哉北海道日本ハムファイターズ #48 |
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2024年3月 |
基本情報 |
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国籍 |
日本 |
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出身地 |
山形県東根市 |
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生年月日 |
(1995-01-05) 1995年1月5日(29歳) |
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身長 体重 |
184 cm 92 kg |
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選手情報 |
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投球・打席 |
右投左打 |
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ポジション |
投手 |
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プロ入り |
2018年 ドラフト4位 |
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初出場 |
2019年4月19日 |
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年俸 |
2500万円(2025年)[1] |
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経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) |
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齋藤 友貴哉(さいとう ゆきや、1995年1月5日 - )は、山形県東根市出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。北海道日本ハムファイターズ所属。
苗字については、自身の希望で旧字体の齋藤を登録名に用いているが、報道などで「斎藤」と表記されることもある[2]。
経歴
プロ入り前
東根市立小田島小学校の3年時に、軟式野球チームの「いなほスポーツ少年団」で野球を始める[3]。東根市立第二中学校時代には、校内の軟式野球部と硬式クラブチーム「東根ヒーローズ」を兼部[3]。
山形県立山形中央高等学校へ進学すると、1年夏の全国高等学校野球選手権山形大会でベンチ入りを果たした。チームは大会を制したものの[4]、本大会ではベンチから外れた。さらに、1学年先輩の横山雄哉をはじめ、好投手がチームに揃っていたことから、在学中には目立った実績を残せなかった[3]。
高校卒業後に桐蔭横浜大学へ進学。入学当初は制球難に陥ったが[5]、助監督の萩原康の指導の下[6]、投球フォームの改良と本格的なウェイトトレーニングを経て、3年春に神奈川大学野球のリーグ戦にデビュー[3]。4年時の春季リーグ戦では、4勝1敗、防御率1.01の好成績でチームの優勝に貢献したほか、自身もMVPに選ばれた[3]。
大学4年生だった2016年の秋にプロ志望届を日本学生野球協会に提出したが、その年のNPBドラフト会議ではどの球団からも指名されず[7]、卒業後にHondaへ入社。入社1年目から主戦投手として登板を重ねた末に、JABA東京スポニチ大会で新人賞を獲得したほか[8]、都市対抗野球大会では初登板ながらストレートで自己最速の152km/hを記録した[3]。2年目の2018年には、エース級の活躍で、チームの東京スポニチ大会優勝に貢献。都市対抗野球大会では、予選で3試合に登板すると、通算投球イニング14回で自責点を全く許さなかった。本大会でもJR四国との初戦に先発したが、チームを勝利に導けなかった[3]。
2018年のNPBドラフト会議で、阪神タイガースから4巡目で指名[4]。契約金6000万円、年俸1000万円(金額は推定)という条件で入団するとともに[9]、新日鐵住金鹿島を経て2015年から阪神に在籍している横山と再びチームメイトになった。背番号は48[10]。この会議では、Hondaのチームメイトのうち、木浪聖也が3巡目で阪神から[11]、松田進が7巡目で千葉ロッテマリーンズからそれぞれ指名。いずれも後に入団したため[12]、木浪とは阪神でもチームメイトになった。
なお、ドラフト会議での指名後には、Hondaの投手として第44回社会人野球日本選手権大会に出場した。実際には登板の機会がなく、チームは初戦のJR東海戦で、延長12回タイブレークの末に敗れた[13]。
阪神時代
2019年、同期入団の新人選手から、木浪・近本光司と共に、一軍の沖縄春季キャンプに参加した[14]。木浪と近本がレギュラーシーズンの開幕から一軍のスタメンに名を連ねていたのに対して、自身はオープン戦の期間中から二軍で調整[15]。4月19日の対読売ジャイアンツ(巨人)戦(阪神甲子園球場)の6回表に救援で一軍公式戦へのデビューを果たすと、3つの四球を出しながらも2回を1安打無失点に抑えた[16]。ウエスタン・リーグの公式戦では、33試合の登板で、防御率3.82ながらチーム最多の8セーブを記録。7月11日に楽天生命パークで催されたフレッシュオールスターゲームにも、同リーグ選抜の一員として救援で登板した[17]。一軍公式戦への登板は前述した巨人戦のみで、シーズン終了後の契約交渉では、推定年俸950万円(前年から50万円減)という条件で契約を更改した[18]。
2020年、春季キャンプからレギュラーシーズンの前半まで二軍で調整。ウエスタン・リーグの公式戦には、開幕から8月中旬まで救援で10試合に登板していたが、通算の防御率が6.28に達するなど振るわなかった。「(不調を脱する)きっかけを掴ませたい」という平田勝男二軍監督の方針で、8月下旬からプロ入り後初めて先発へ転向する[19]と、3試合の先発登板(通算投球イニング13回)で無失点と17奪三振を記録。一軍の公式戦でも、9月10日の対横浜DeNAベイスターズ戦(横浜スタジアム)で先発デビューを果たした[20]。この試合では、3回表に一軍公式戦での初打席を迎えると、初安打と初得点を相次いで記録。自身の得点がチームの先制点になった[21]ものの、3回裏に2点を失って勝ち越されたほか、投球数が77球にまで達したことからこの回限りで交代した[22](4回表に自身の代打・陽川尚将が3点本塁打を打ったため自身に勝敗は付かず)[23]。後に救援で4試合に登板したものの、初勝利を挙げるまでには至らず、シーズン終了後には推定年俸850万円(前年から100万円減)という条件で契約を更改した[24]。
2021年、春季一軍キャンプに参加していながらレギュラーシーズンの開幕を二軍で迎えたため、一軍公式戦でのシーズン初登板は5月28日の対埼玉西武ライオンズ戦(メットライフドーム)まで持ち越された。2点ビハインドの8回裏に救援で登板し、西武打線を9球で三者凡退に抑えると、9回表にチームが逆転したことで一軍公式戦での初勝利を挙げた[25]。
日本ハム時代
2022年10月18日、江越大賀とともに渡邉諒、髙濱祐仁との2対2のトレードで、北海道日本ハムファイターズへ移籍することが発表された[26][27]。背番号は、阪神時代と同じ48。
2023年3月1日、紅白戦で右膝前十字靭帯断裂の重傷を負い再建手術を行ったため、シーズン中の復帰は絶望的となった[28]。
2024年5月7日、対ソフトバンク戦で移籍後初ホールドを挙げ、5月12日には対ロッテ戦で1080日ぶりとなる白星を挙げた[29]。同年は25試合に登板し防御率1.71、5ホールドといずれもキャリアハイの成績を残しチームのCS進出に貢献した。
選手としての特徴
肩や肘、股関節の柔軟性を生かしたダイナミックなフォーム[8]から投げ込む最速160km/h[30]の重いストレートは打者の手元で微妙に動く[3]。変化球はスライダー、スプリット、カーブ、ツーシームを投じる[5]。
マウンドに上がると、緊張や力みから「真っすぐでストライクが入らず自滅していく」と本人は話し[31]、トレード移籍となった際にも移籍先の日本ハム一軍監督(当時)の新庄剛志が「課題はメンタルに尽きる[32]」と話したメンタル面が課題。ただ、2024年シーズンは武田久投手コーチからの「もうお前は行くしかないんだから」という言葉で「久さんが背中を押してくれた感じなんです。『コントロールで攻めるタイプじゃないし』ていうのもありましたね」「前向きというか、向かって行くだけという。気持ちを変えました。緊張はめっちゃするんですけど、気持ちは負けないっていうのを意識しました」とメンタル面が改善され、プロ初セーブを挙げるなど飛躍を遂げた[33]。
人物
Honda時代に結婚。2018年には第1子(長男)を授かった。阪神では既婚の新人選手に対して選手寮「虎風荘」への入寮を免除しているものの、1年目の2019年シーズン中は、「野球に集中したい」という自身の希望から「虎風荘」で単身赴任生活を経験。2019年1月7日に虎風荘へ入寮した際には、家族全員の手形が押された色紙を自室に持ち込んだ[34]。同年12月からは、退寮したうえで妻子との生活を再開している[18]。
Honda硬式野球部の岡野勝俊監督(当時)は齋藤の人間性について「たまに突拍子もないことを言ったりしてみんなを笑わせていた。そんな天然の部分もあるけど、根っこはとてもピュアな感じだと思いますよ」と話し[35]、周囲を和ませる天然キャラである[36]。
日本ハム時代の2024年8月27日の楽天戦では、先頭打者に安打を許すと、自身のバント処理悪送球→自身のベースカバーがわずかに遅れたことによる[37]ファースト内野安打で無死満塁のピンチを招いたが、その後は空振り三振→セカンドゴロ→ピッチャーゴロで無失点[38]。まるで優勝した瞬間のようにド派手なガッツポーズを披露し、喜びを爆発させたが[37]、新庄剛志監督が「バンザイちゃうやろ~って。みんな大爆笑。両手あげんな!みたいな。吉本(新喜劇)だったらずっこけてましたよ。ベンチで。ずっこけりゃよかったね」と話したように[39]、日本ハムベンチは総ツッコミ状態であった[37]。また、同年10月5日の楽天戦でプロ初セーブを挙げ、ヒーローインタビューを受けた際には、何を聞かれても「行くだけ!!」と連呼すると、このフレーズがポストシーズンのチームの合言葉となり、球団も急遽[40]、同16日から「行くだけ!!」グッズの受注販売を開始[41]。CSファーストステージ第3戦で決勝打を放った水野達稀も齋藤について「こうやって流行させられるのは、やっぱ、あの人の魅力」と話した[40]。
SNSでのファンからの呼び名は『さい○う ○○や』。ベンチから総ツッコミを受けた楽天戦(前述)の試合後に新庄監督が自身のインスタグラムで「明日から登録名を『さいこう ゆきや』に変更させてもらいます[39]」と投稿したことがキッカケであり、2024年9月23日の西武戦で160km/hを計測した後には『さいきょう ゆきや』[30]、さらにプロ初セーブを挙げた楽天戦のヒーローインタビュー(前述)を受けた後には『さいきょう いくや』と変化している[42]。
詳細情報
年度別投手成績
年
度 |
球
団 |
登
板 |
先
発 |
完
投 |
完
封 |
無 四 球 |
勝
利 |
敗
戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝
率 |
打
者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬
遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴
投 |
ボ 丨 ク |
失
点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P
|
2019
|
阪神
|
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
---- |
10 |
2.0 |
1 |
0 |
3 |
0 |
0 |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0.00 |
2.00
|
2020
|
5 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
---- |
35 |
7.0 |
9 |
1 |
5 |
0 |
0 |
11 |
3 |
0 |
6 |
6 |
7.71 |
2.00
|
2021
|
19 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
1 |
0 |
1 |
.500 |
103 |
23.1 |
23 |
1 |
12 |
0 |
0 |
26 |
3 |
0 |
14 |
12 |
4.63 |
1.50
|
2022
|
20 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
.000 |
107 |
23.1 |
23 |
2 |
10 |
0 |
3 |
27 |
0 |
0 |
14 |
13 |
5.01 |
1.41
|
2024
|
日本ハム
|
25 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
1 |
1 |
5 |
.500 |
115 |
26.1 |
23 |
2 |
12 |
0 |
0 |
25 |
3 |
0 |
6 |
5 |
1.71 |
1.34
|
通算:5年
|
70 |
2 |
0 |
0 |
0 |
2 |
3 |
1 |
6 |
.400 |
370 |
81.3 |
79 |
6 |
42 |
0 |
3 |
91 |
9 |
0 |
40 |
36 |
4.43 |
1.48
|
年度別守備成績
年 度 |
球 団 |
投手
|
試
合 |
刺
殺 |
補
殺 |
失
策 |
併
殺 |
守 備 率
|
2019
|
阪神
|
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
----
|
2020
|
5 |
1 |
0 |
0 |
0 |
1.000
|
2021
|
19 |
0 |
5 |
0 |
0 |
1.000
|
2022
|
20 |
1 |
2 |
0 |
0 |
1.000
|
2024
|
日本ハム
|
25
|
4
|
4
|
1
|
1
|
.889
|
通算
|
70 |
6 |
11 |
1 |
1 |
.944
|
記録
- 初記録
- 投手記録
- 打撃記録
- 初打席・初安打:2020年9月10日、対横浜DeNAベイスターズ15回戦(横浜スタジアム)、3回表にマイケル・ピープルズから投前内野安打
背番号
登場曲
出演
配信
- プロ野球×将棋特番・プロ野球最強将棋王決定戦(2020年12月20日、ニコニコ生放送)※YouTubeでは2021年2月に2回に分けて配信[43]
出典
関連項目
外部リンク