石見国
石見国(いわみのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。山陰道に属する。 概要東西に長いため、大田市を中心とする東部を「石東」、浜田市を中心とする中部を「石央」、益田市を中心とする西部を「石西」と呼び、三分される[1]。 また、中国山地を唯一越える江の川が流れており、安芸国との結びつきも強い。 領域明治維新の直前の領域は、浜田市、益田市、江津市、邑智郡、鹿足郡および大田市の大部分(山口町山口・山口町佐津目を除く)、出雲市の一部(多伎町神原)、飯石郡の一部(飯南町塩谷・井戸谷・畑田)、広島県山県郡の一部(北広島町西八幡原の一部)にあたる。 該当区域の面積は3,585.41k㎡、人口は21万1940人(2010年国勢調査)。(1) 沿革古墳時代(崇神天皇朝)の大和王権による出雲国の攻略と同時に石見国造が設置され、その支配領域は7世紀の律令制石見国に引き継がれた。 『延喜式』に石見国の駅として、 近世以降の沿革
国内の施設国府『和名抄』によれば、国府は那賀郡にあった。現在の浜田市の伊甘(いかみ)脇遺跡付近や上府(かみこう)遺跡・古市遺跡辺りなど諸説あるが、遺構が発見されていない。また、浜田市下府町(しもこう)へ移転したとする説もある。 国分寺・国分尼寺石見国の国分寺・国分尼寺は浜田市国分町にある。現在の曹洞宗の国分寺が国分尼寺跡と推定されている。その近くの金蔵寺(こんぞうじ)境内が国分寺と考えられている。部分的な発掘であるが、当時の山門・金堂・講堂・塔跡などの礎石と推定されるものが検出されている。 神社地域郡江戸時代の藩
人物国司
石見守
守護鎌倉幕府室町幕府
戦国大名武家官位としての石見守江戸時代以前江戸時代名産脚注注釈出典
参考文献
関連項目Information related to 石見国 |