入母屋造(いりもやづくり)は、東アジアの伝統的屋根形式のひとつである。広義には当該形式の屋根をもつ建築物のことを指す。単に入母屋ということもある。
概要
入母屋造の屋根は、上部においては切妻造(長辺側から見て前後2方向に勾配をもつ)、下部においては寄棟造(前後左右四方向へ勾配をもつ)となる構造をもつ。弥生時代の集落遺跡である静岡県静岡市の登呂遺跡の竪穴状平地建物が茅葺きの入母屋造で復元されているほか、奈良県の佐味田宝塚古墳から出土した家屋文鏡(かおくもんきょう)にも当時の建築様式4種が表されており、その中の一つにも入母屋造のものが見られる。また、家形の埴輪は屋根形式が入母屋であるものが多い。
日本においては古くから切妻屋根は寄棟屋根より尊ばれ、その組み合わせである入母屋造はもっとも格式が高い形式として重んじられた。瓦葺きの入母屋は、法隆寺の金堂や平安神宮大極殿のほか、各地の城郭建築でも見ることができる。
なお、この形式の屋根は西洋では少なく、木造建築が発展している一部の村でしか見られないが、日本のほか、中国、韓国のほか、ベトナム、タイ、インド、インドネシアなど、東洋の寺院ではよく見られる。中国では歇山頂(けつさんちょう)、歇山式屋頂、または九脊頂とも称される。宋朝では九脊殿、曹殿、廈両頭造などと呼ばれたが、清朝の頃に歇山頂と呼ばれるようになった。
日本で一般の民家に入母屋の屋根が使われているのは、京都付近・甲斐・相模・武蔵にかけての山間地が多い。京都付近では煙出しとしての役割しか果たしていないものがあるが、甲斐では屋根裏に部屋を作り、養蚕に利用している場合があった[1]。
錣屋根(しころやね)
切妻部分と寄棟部分の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)と呼ばれる。
入母屋造のその他代表的な建物
脚注
- ^ 今和次郎『改稿 日本の民家』相模書房、1943年、P.41頁。
関連項目