伝統(でんとう)は、信仰、風習、制度、思想、学問、芸術などの様々な分野において、古くからの仕来り・様式・傾向、血筋、などの有形無形の系統を受け伝えることをいう。
伝統とは、古くからの仕来り・様式・傾向、血筋などの有形あるいは無形の系統を受け伝えること[1]、民族や社会・団体が長い歴史を通じて培い伝えて来た、信仰、風習、制度、思想、学問、芸術、あるいはそれらの中心をなす精神的あり方[2]などのことをいう。
様々な分野において、様々な由来の様々な伝統が存在する。
本来は「伝統」ではないものが「伝統」として広まることもあり、これらは「創られた伝統」、「伝統の発明」、「伝統の捏造」等と呼ばれる[3][4][5][6]。エリック・ホブズボームとテレンス・レンジャーの1983年の編著『創られた伝統』により、この概念は広く知られるようになった。
ロジャー・キージング(英語版)など一部の文化人類学者は、社会的・政治的要請によって創出される伝統的事象は、民族集団や階層に正当性を与えるためのものであり、近代的なナショナリズムと密接に関連していると指摘し、真に伝統的なものとそうでないものを区別しようとした[7]。
政治的要請によって創出された伝統的事象を真正ではないものとする議論は文化人類学のみならず、先住民の権利回復運動の活動家たちの反響を呼んだ[7]。たとえば、ハワイ先住民運動のハウナニ=ケイ・トラスク(英語版)は、創られた伝統論を権利回復運動の力を削ぎ落とそうとするものであると批判し、キージングをはじめとした文化人類学者たちをアメリカ政府同様にハワイの主権を奪い取っている植民地主義者と断じた[7]。御田寺圭は、創られた伝統批判はリベラル派の冷笑主義と自滅を招いていると批判した[8]。
伝統とするのが問題とされる例としては、以下のような指摘が挙げられることがある。
夫婦同姓は日本の「伝統」とはいえないという考えがある[3][5]。夫婦同姓が規定されたのは、1875年(明治8年)に平民苗字必称義務令による国民皆姓制度ができてよりもかなり後、明治後半の1898年(明治31年)である。それ以前は夫婦別姓が1876年(明治9年)に通達されていた[9]。さらにそれ以前は夫婦同姓・別姓にとどまらない様々な氏名制度があったとの研究がある[10]。
「ゴミが少ないのは昔からの日本の「伝統」である」としばしば喧伝されるが、現在の日本においてゴミが少ないのは、第二次世界大戦後のさまざまな取り組みによるものが強いとされている[3]。
日本人が温厚というイメージも現代になってからであり、近世までは些細なことから喧嘩に発展することがあるため、非武士階層であっても喧嘩や護身のために帯刀することから、携帯性の優れた打刀の主な用途は日常の護身用という見解がある[18][19]。また昭和前期にも日本人は短気というイメージが諸外国にあったと指摘されている[20]。
日本最古の歌謡集である『万葉集』は伝統的に評価が高かったわけではなく、明治期に庶民から天皇までの歌が収められているために、「日本」という統一的な文化観の形成のために評価を上げられたとの指摘がある[22]。
タータンチェック・スカートはスコットランドの「伝統」ではない[4]。もともと、タータンチェックは17世紀後半頃、スコットランドの高地地方に住む人々が「伝統」として始めたものだった、との指摘がある。
ヨーガと言えば独特のポーズ(アーサナ)をとる練習風景を連想するが、このポーズ練習を中心に据えた現代のハタ・ヨーガは、インド古来の伝統なハタ・ヨーガではない。19世紀後半から20世紀前半に西洋で発達した西洋式体操が、近代インドに輸入されてできあがったものである[23][24]。現在日本で行われている「ヨーガ教室」などの大半はこの流派に入る。
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