中村 登(なかむら のぼる、1913年8月4日 - 1981年5月20日[1])は、東京府東京市下谷区上根岸(現東京都台東区根岸)出身の映画監督[1]。
人物
歌舞伎作者榎本虎彦の次男として誕生[2]。父と死別後、母は清元の家元と再婚[2]、花柳界に育つ。1936年に東京帝国大学文学部英文科を卒業後[1]、松竹蒲田から移転し間もない松竹大船撮影所(第1期)に助監督として入社[2]。斎藤寅次郎、島津保次郎、吉村公三郎に師事[1]。1941年に文化映画『生活とリズム』で監督デビュー[1]。戦後、オールスター映画『我が家は楽し』(1951年)が出世作となる[3]。
1960年代に入り、『紀ノ川』などの文芸大作に手腕を見せ、松竹大船を支える巨匠として活躍した[4]。『古都』、『智恵子抄』で2度のアカデミー外国語映画賞にノミネートされた[5]。1979年、紫綬褒章受章[4]。1981年、日中合作映画『未完の対局』の準備中に、ガンのため死去[2]。
端正かつ鮮やかな作風は「映画の教科書」と評されている[4]。
監督作品
脚注
- ^ a b c d e 中村登 キネマ旬報WEB 2023年12月7日閲覧。
- ^ a b c d スクエアイベント「父、中村登を語る」(ゲスト:中村好夫さん) TOKYO FILMeX 2023年12月7日閲覧。
- ^ 我が家は楽し 松竹 2023年12月7日閲覧。
- ^ a b c 【神保町シアター】岡田茉莉子、岩下志麻、倍賞千恵子… 女優の都・松竹で “女性映画” の巨匠と称された映画監督・中村登の作品を5週間特集上映! 7月29日(土)より 小学館 2023年12月7日閲覧。
- ^ 中村登監督生誕100年特集上映で息子が語る巨匠との思い出 映画.com 2023年12月7日閲覧。
- ^ このタイトルにより、川本三郎は『君美わしく 戦後日本映画女優讃』(文藝春秋、のち文春文庫)を書いた。
参考文献
外部リンク
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