中央区(ちゅうおうく)は、東京都区部の中央部に位置する特別区。西隣の千代田区や港区とともに東京の「都心3区」の一角をなし[1]、銀座、日本橋といった繁華街・商業地、オフィス街を擁し、日本橋、京橋 、八重洲などの中心業務地区(CBD)が所在する。臨海部を中心にマンションも多く、2023年1月1日時点の定住人口(住民登録数)は17万4074人で1953年以来70年ぶりに過去最多となった[2]。
概要
都心であるとともに、江戸城(現在の皇居、千代田区)の東側に位置するいわゆる「城東」エリア[3]の西端でもあり、江戸時代初期から続く下町(町人町)エリアと臨海部の埋立地エリアで構成される。現存する全国の地名で「中央」を最初に使用したはしりが当区である。面積は、東京特別区23区の中で、台東区に次いで2番目に小さい。人口は千代田区に次いで2番目に少ない。
第二次世界大戦後の1947年に旧日本橋区と旧京橋区が合併して誕生した。江戸の日本橋が五街道起点となったように江戸時代から栄え、高級商業地として名高い銀座のほかにも、八重洲・京橋・築地などの街を擁する。日本橋・八重洲・京橋・銀座を南北に貫通する中央通りが目抜通りであり、中央通りの地下には東洋初の地下鉄路線である東京メトロ銀座線(旧東京地下鉄道)が走行している。高度経済成長期からバブル崩壊後にかけては住宅が商業ビルに置き換わり、ドーナツ化現象の影響で1997年には人口が過去最少の7万2090人まで減少したが、21世紀初頭にかけて超高層マンション(タワーマンション)が[4]月島、佃、勝どき、晴海といった東京湾臨海部(ウォーターフロント)などで林立し、都心回帰が進んで近年は人口が急激に増加している[5]。中央区は2027年に20万人を超えると予測している[4]。
日本橋は、新宿や渋谷など鉄道ターミナル駅開業後に発展した街と異なり、江戸時代初期からの歴史と伝統を持つ。当地は五街道の起点であり、日本橋本町を含む一部地域は江戸時代には「江戸本町」と呼ばれる江戸で最初に整備された街であり、江戸の町人文化や経済・金融の中心地として栄えた。江戸時代から金貨幣の発行機関である金座や数多くの両替商が存在した名残から[6]、現在では日本銀行本店や東京証券取引所などの日本経済にとって重要な金融インフラが所在するとともに、大手製薬会社やその他多くの大企業の本社が位置する金融街・ビジネス街であり、千代田区の丸の内・大手町などとともに日本の金融・経済の中心地(中心業務地区、CBD)の一つである。日本橋室町に所在する三越日本橋本店は江戸時代から日本橋に店を構える呉服店の三井越後屋を起源とし、日本で最初の百貨店として知られる。三越は三井財閥(現在の三井グループ)のルーツと言われ、三井本館など日本橋には旧三井財閥の本拠地が置かれた。歴史的経緯から日本橋は通称「三井村」と言われ[7]、三井不動産が多くの複合商業ビルを所有・運営管理している。
旧京橋区の中心地域である銀座は、高級ブランド店、高級時計専門店、高級クラブ、高級バー、高級料亭、歌舞伎座などが集積する都心屈指の繁華街であり、ブランド街として国内外で高い知名度を誇る。目抜通りの中央通りと晴海通りが交差する銀座四丁目交差点付近は銀座の中心地であり、商業地として地価が日本一高い場所としても知られている[8]。江戸時代に設立された銀貨幣の鋳造所(銀座)が地名の由来であり、日本橋とともに江戸時代から続く老舗が多い。
文化的には、同じ江戸城の大曲輪、外堀の内側のエリアを共有する千代田区(旧麹町区・旧神田区)とは密接な関係にある。神田神社や日枝神社など共通の氏子地域の神社での地域間交流、共通の地区名などの共通点が多い。
河川の水面などが市街化調整区域であることを除き、区内は全域が市街化区域である。区内の77パーセント以上が商業地域に指定され、月島地区に準工業地域が、第一種住居地域や第二種住居地域が明石町や月島地区に存在する。
人口
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中央区と全国の年齢別人口分布(2005年)
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中央区の年齢・男女別人口分布(2005年)
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■紫色 ― 中央区 ■緑色 ― 日本全国
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■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性
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中央区(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年)
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103,850人
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1975年(昭和50年)
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90,097人
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1980年(昭和55年)
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82,700人
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1985年(昭和60年)
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79,973人
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1990年(平成2年)
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68,041人
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1995年(平成7年)
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63,923人
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2000年(平成12年)
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72,526人
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2005年(平成17年)
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98,399人
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2010年(平成22年)
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122,762人
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2015年(平成27年)
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141,183人
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2020年(令和2年)
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169,179人
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総務省統計局 国勢調査より
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人口
2005年の夜間人口(居住者)は98,220人であるが、区外からの通勤者と通学生および居住者のうちの区内残留人口の合計である昼間人口は647,733人で、比率は6.595倍であった[9]が、その後の夜間人口の増加および昼間人口の減少により、2010年における比率は約4.94倍にまで縮まっている(夜間人口122,762人、昼間人口605,926人[10])。2020年4月1日現在、夜間人口(居住者)は169,629人まで増加している。
第二次世界大戦後よりドーナツ化現象(郊外化)の影響で人口の減少傾向が続いていたが、バブル崩壊以降の都心地価の下落で都心回帰の流れが進み、臨海部での大規模マンションの開発や、都心部における都市再開発における住宅増により、定住人口は反転増加傾向にある。2013年4月に定住人口13万人を1967年以来46年ぶりに達し、2017年1月には15万人に達した。日本橋や銀座などの繁華街やオフィス街を複数抱えるため、昼間人口は60.6万人に達する。また、商業地域としての特徴が強く、建物はビル(オフィスビル)が目立ち、住宅としてはマンション(超高層マンションや公営住宅も)や団地などの集合住宅が大半を占め、低層住宅の一戸建てやアパート(長屋も)などはかなり少ない(南部の佃や月島付近に点在するのみ)。
1990年代より、臨海部では50階超のタワーマンションが複数建築されているほか、晴海地区(東京国際見本市会場跡地)では2020年東京オリンピックパラリンピック競技大会用の選手村を、HARUMI FLAGという名称のマンションとして開発している。
地理
区域の西側は日本橋や京橋など江戸時代から栄えた地域であり、東側は同時代からの埋め立てによって出来た地域である。現在、中央区は行政上、日本橋、京橋(銀座・築地などを含む)及び月島の3地域に区分されている。区内はほぼ平坦で、標高は1-3メートル。
中央区は第二次世界大戦終戦直後まで運河と水運の町であった。区内には京橋川、桜川、築地川、汐留川、三十間堀川、鉄砲洲川、箱崎川、浜町川、竜閑川などが縦横無尽に張り巡らされていた。これらの河川は戦後の残土処理や高速道路建設のため埋め立てられ(いわゆる暗渠化)、現在では往時の姿をほとんど残していないが、町や区界はこの河川に沿っていることが多い。
区の北端との区界は竜閑川跡、西端は外堀跡および日本橋川、南端は汐留川跡である。区の東端には江東区との境に隅田川が流れる。隅田川は下流で二股に分かれ(西側が本流、東側は「派流晴海運河」)、その中洲には佃や月島、勝どき、豊海町、晴海がある。区の南部は東京湾に面している。
- 河川
- 運河
- 隣接する自治体
歴史
- 近世以前
- 近世
- 近・現代
- 区の歴史
区名の由来
東京市(現在の東京都区部)の地理的中央に位置すること点、経済文化の中心地であることから名付けられた。「中央」を区名としてだけでなく地名として日本で正式に初めて起用したのが本区である。「江戸区」「銀座区」「大江戸区」「日京区」「東京区」などの候補があった[12]。
町名
中央区では、全域で住居表示に関する法律に基づく住居表示が実施されている。
町名のラテン文字表記
中央区では、日本語の読み方と共にラテン文字表記に関しても正式な綴りを示している。
- 日本橋、東日本橋および日本橋○○町の場合、ラテン文字表記の一つで現在主流の「修正ヘボン式」を採用し「Nihonbashi」「Higashi-nihonbashi」「Nihonbashi-○○cho」と表記する。これは明治から長らく使われ続けた英字表記のスペルでもある。
- 日本橋大伝馬町および日本橋小伝馬町の場合、日本橋は「修正ヘボン式」を採用し、○○○町は「旧ヘボン式」に則り(「b、p、m」の前に限り「m」を使う)「Nihonbashi-odemmacho」「Nihonbashi-kodemmacho」としている。
町名一覧
京橋地域
京橋地域(29町丁)
町名
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町区域新設年月日
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住居表示実施年月日
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住居表示実施前の町名など
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備考
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明石町
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1966年7月1日
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1966年7月1日
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明石町(全)、入船町3
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入船一丁目
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1971年1月1日
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1971年1月1日
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入船町1〜3
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入船二丁目
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1971年1月1日
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1971年1月1日
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入船町1〜3
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入船三丁目
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1971年1月1日
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1971年1月1日
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入船町1〜3
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銀座一丁目
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1969年4月1日
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1969年4月1日
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銀座1〜8、銀座東1〜8、銀座西1〜8(以上全)
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銀座二丁目
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1969年4月1日
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1969年4月1日
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銀座1〜8、銀座東1〜8、銀座西1〜8(以上全)
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銀座三丁目
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1969年4月1日
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1969年4月1日
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銀座1〜8、銀座東1〜8、銀座西1〜8(以上全)
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銀座四丁目
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1969年4月1日
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1969年4月1日
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銀座1〜8、銀座東1〜8、銀座西1〜8(以上全)
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銀座五丁目
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1969年4月1日
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1969年4月1日
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銀座1〜8、銀座東1〜8、銀座西1〜8(以上全)
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銀座六丁目
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1969年4月1日
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1969年4月1日
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銀座1〜8、銀座東1〜8、銀座西1〜8(以上全)
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銀座七丁目
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1969年4月1日
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1969年4月1日
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銀座1〜8、銀座東1〜8、銀座西1〜8(以上全)
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銀座八丁目
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1969年4月1日
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1969年4月1日
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銀座1〜8、銀座東1〜8、銀座西1〜8(以上全)
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新川一丁目
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1971年10月1日
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1971年10月1日
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新川1・2、霊岸島1・2、越前堀1〜3(以上全)
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新川二丁目
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1971年10月1日
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1971年10月1日
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新川1・2、霊岸島1・2、越前堀1〜3(以上全)
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新富一丁目
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1971年1月1日
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1971年1月1日
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新富町1〜3(全)、入船町1〜3
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新富二丁目
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1971年1月1日
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1971年1月1日
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新富町1〜3(全)、入船町1〜3
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築地一丁目
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1966年7月1日
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1966年7月1日
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築地1〜5(全)、小田原町1〜3(全)
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築地二丁目
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1966年7月1日
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1966年7月1日
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築地1〜5(全)、小田原町1〜3(全)
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築地三丁目
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1966年7月1日
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1966年7月1日
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築地1〜5(全)、小田原町1〜3(全)
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築地四丁目
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1966年7月1日
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1966年7月1日
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築地1〜5(全)、小田原町1〜3(全)
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築地五丁目
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1966年7月1日
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1966年7月1日
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築地1〜5(全)、小田原町1〜3(全)
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築地六丁目
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1966年7月1日
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1966年7月1日
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築地1〜5(全)、小田原町1〜3(全)
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築地七丁目
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1966年7月1日
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1966年7月1日
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築地1〜5(全)、小田原町1〜3(全)
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八丁堀一丁目
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1970年1月1日
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1970年1月1日
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西八丁堀1〜4(全)、八丁堀1〜4(全)
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浜離宮庭園
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1966年7月1日
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1966年7月1日
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築地6(全)
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東日本橋
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1971年4月1日
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1971年4月1日
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日本橋村松町、日本橋若松町、日本橋矢ノ倉町、日本橋薬研堀町、日本橋米沢町3、日本橋両国(以上全)、日本橋橘町
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湊
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1971年1月1日
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1971年1月1日
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湊町1〜3(全)
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八重洲一丁目
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1973年1月1日
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1978年1月1日
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八重洲1〜6(全)
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八重洲二丁目
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1973年1月1日
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1978年1月1日
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八重洲1〜6(全)
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日本橋地域
日本橋地域(41町丁)[a 1]
町名
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町区域新設年月日
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住居表示実施年月日
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住居表示実施前の町名など
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備考
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日本橋一丁目
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1973年1月1日
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1973年1月1日
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日本橋通1〜3(全)、日本橋江戸橋1〜3(全)
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日本橋二丁目
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1973年1月1日
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1973年1月1日
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日本橋通1〜3(全)、日本橋江戸橋1〜3(全)
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日本橋三丁目
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1973年1月1日
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1973年1月1日
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日本橋通1〜3(全)、日本橋江戸橋1〜3(全)
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日本橋大伝馬町
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1980年1月1日
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1980年1月1日
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日本橋大伝馬町1〜3(全)
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日本橋蛎殻町一丁目
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1976年1月1日
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1976年1月1日
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日本橋蛎殻町3(全)、日本橋蛎殻町1・2・4
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日本橋蛎殻町二丁目
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1976年1月1日
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1976年1月1日
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日本橋蛎殻町3(全)、日本橋蛎殻町1・2・4
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日本橋兜町
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1982年1月1日
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1982年1月1日
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日本橋兜町1〜3(全)
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日本橋茅場町一丁目
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1982年1月1日
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1982年1月1日
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日本橋茅場町1〜3(全)
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日本橋茅場町二丁目
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1982年1月1日
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1982年1月1日
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日本橋茅場町1〜3(全)
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日本橋茅場町三丁目
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1982年1月1日
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1982年1月1日
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日本橋茅場町1〜3(全)
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日本橋小網町
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1976年1月1日
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1976年1月1日
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日本橋小網町1・3(全)、日本橋小網町2
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日本橋小伝馬町
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1980年1月1日
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1980年1月1日
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日本橋小伝馬町1〜3(全)
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日本橋小舟町
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1980年1月1日
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1980年1月1日
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日本橋小舟町1・2
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日本橋富沢町
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1980年1月1日
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1980年1月1日
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日本橋富沢町(全)、日本橋浪花町
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日本橋中洲
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1971年4月1日
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1971年4月1日
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日本橋中洲(全)
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日本橋人形町一丁目
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1976年1月1日
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1976年1月1日
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日本橋人形町1〜3(全)、日本橋小網町2、日本橋蛎殻町1・2、日本橋浪花町、日本橋芳町1・2(全)
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日本橋人形町二丁目
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1976年1月1日
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1976年1月1日
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日本橋人形町1〜3(全)、日本橋小網町2、日本橋蛎殻町1・2、日本橋浪花町、日本橋芳町1・2(全)
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日本橋人形町三丁目
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1980年1月1日
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1980年1月1日
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日本橋人形町1〜3(全)、日本橋小網町2、日本橋蛎殻町1・2、日本橋浪花町、日本橋芳町1・2(全)
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日本橋馬喰町一丁目
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1971年4月1日
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1971年4月1日
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日本橋馬喰町1〜4(全)
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日本橋馬喰町二丁目
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1971年4月1日
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1971年4月1日
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日本橋馬喰町1〜4(全)
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日本橋箱崎町
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1976年1月1日
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1976年1月1日
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日本橋箱崎町1〜4(全)、日本橋北新堀町(全)
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日本橋浜町一丁目
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1971年4月1日
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1971年4月1日
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日本橋浜町1〜3(全)、日本橋久松町
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日本橋浜町二丁目
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1971年4月1日
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1971年4月1日
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日本橋浜町1〜3(全)、日本橋久松町
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日本橋浜町三丁目
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1971年4月1日
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1971年4月1日
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日本橋浜町1〜3(全)、日本橋久松町
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日本橋久松町
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1971年4月1日
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1971年4月1日
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日本橋久松町、日本橋橘町
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日本橋堀留町一丁目
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1980年1月1日
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1980年1月1日
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日本橋堀留町1・2(全)、日本橋小舟町1・2
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日本橋堀留町二丁目
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1980年1月1日
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1980年1月1日
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日本橋堀留町1・2(全)、日本橋小舟町1・2
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日本橋本石町一丁目
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1987年1月1日
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1987年1月1日
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日本橋本石町1〜4(全)
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日本橋本石町二丁目
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1987年1月1日
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1987年1月1日
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日本橋本石町1〜4(全)
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日本橋本石町三丁目
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1987年1月1日
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1987年1月1日
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日本橋本石町1〜4(全)
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日本橋本石町四丁目
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1987年1月1日
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1987年1月1日
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日本橋本石町1〜4(全)
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日本橋本町一丁目
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1987年1月1日
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1987年1月1日
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日本橋本町1〜4(全)
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日本橋本町二丁目
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1987年1月1日
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1987年1月1日
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日本橋本町1〜4(全)
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日本橋本町三丁目
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1987年1月1日
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1987年1月1日
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日本橋本町1〜4(全)
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日本橋本町四丁目
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1987年1月1日
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1987年1月1日
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日本橋本町1〜4(全)
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日本橋室町一丁目
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1987年1月1日
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1987年1月1日
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日本橋室町1〜4(全)
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日本橋室町二丁目
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1987年1月1日
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1987年1月1日
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日本橋室町1〜4(全)
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日本橋室町三丁目
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1987年1月1日
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1987年1月1日
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日本橋室町1〜4(全)
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日本橋室町四丁目
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1987年1月1日
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1987年1月1日
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日本橋室町1〜4(全)
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日本橋横山町
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1971年4月1日
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1971年4月1日
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日本橋横山町(全)
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- ^ 旧日本橋区の区域にある街の町名は「日本橋○○町・○日本橋」と称している(八重洲を除く)。これは戦後、旧日本橋区と旧京橋区が合併する際に「日本橋」の町名が消えることを避けるために、旧日本橋区の町名に日本橋を冠したことによる。
月島地域
月島地域(19町丁)
町名
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町区域新設年月日
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住居表示実施年月日
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住居表示実施前の町名など
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備考
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勝どき一丁目
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1965年4月1日
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1965年4月1日
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月島西河岸通7〜12、月島西仲通7〜12、月島通7〜12、月島東仲通7〜12、月島東河岸通7〜12、月島12(以上全)
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勝どき二丁目
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1965年4月1日
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1965年4月1日
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月島西河岸通7〜12、月島西仲通7〜12、月島通7〜12、月島東仲通7〜12、月島東河岸通7〜12、月島12(以上全)
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勝どき三丁目
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1965年4月1日
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1965年4月1日
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月島西河岸通7〜12、月島西仲通7〜12、月島通7〜12、月島東仲通7〜12、月島東河岸通7〜12、月島12(以上全)
|
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勝どき四丁目
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1965年4月1日
|
1965年4月1日
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月島西河岸通7〜12、月島西仲通7〜12、月島通7〜12、月島東仲通7〜12、月島東河岸通7〜12、月島12(以上全)
|
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勝どき五丁目
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1965年4月1日
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1965年4月1日
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月島西河岸通7〜12、月島西仲通7〜12、月島通7〜12、月島東仲通7〜12、月島東河岸通7〜12、月島12(以上全)
|
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勝どき六丁目
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1965年4月1日
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1965年4月1日
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月島西河岸通7〜12、月島西仲通7〜12、月島通7〜12、月島東仲通7〜12、月島東河岸通7〜12、月島12(以上全)
|
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月島一丁目
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1965年4月1日
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1965年4月1日
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月島西河岸通1〜6、月島西仲通1〜6、月島通1〜6、月島東仲通1〜6、月島東河岸通1〜6
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月島二丁目
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1965年4月1日
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1965年4月1日
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月島西河岸通1〜6、月島西仲通1〜6、月島通1〜6、月島東仲通1〜6、月島東河岸通1〜6
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月島三丁目
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1965年4月1日
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1965年4月1日
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月島西河岸通1〜6、月島西仲通1〜6、月島通1〜6、月島東仲通1〜6、月島東河岸通1〜6
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月島四丁目
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1965年4月1日
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1965年4月1日
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月島西河岸通1〜6、月島西仲通1〜6、月島通1〜6、月島東仲通1〜6、月島東河岸通1〜6
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佃一丁目
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1967年3月1日
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1967年3月1日
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佃島、新佃島西町1〜3、新佃島東町1・2(以上全)
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佃二丁目
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1967年3月1日
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1967年3月1日
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佃島、新佃島西町1〜3、新佃島東町1・2(以上全)
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佃三丁目
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1967年3月1日
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1967年3月1日
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佃島、新佃島西町1〜3、新佃島東町1・2(以上全)
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豊海町
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1965年4月1日
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1965年4月1日
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埋立地
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晴海一丁目
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1965年4月1日
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1965年4月1日
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晴海町1〜6(全)
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晴海二丁目
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1965年4月1日
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1965年4月1日
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晴海町1〜6(全)
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晴海三丁目
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1965年4月1日
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1965年4月1日
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晴海町1〜6(全)
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晴海四丁目
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1965年4月1日
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1965年4月1日
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晴海町1〜6(全)
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晴海五丁目
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1965年4月1日
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1965年4月1日
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晴海町1〜6(全)
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地域
主な行事
在外公館
ナンバープレート
自動車ナンバープレートでは、中央区は東京運輸支局本庁舎の管轄エリアで、品川ナンバーを交付される。
行政
区長
- 区長 : 山本泰人(2期目)
- 任期 : 2023年(令和5年)4月27日 - 2027年(令和9年)4月26日[13]
- 歴代区長
- 初代:山本泰介(1947年(昭和22年)4月23日 - 1951年(昭和26年)4月14日)
- 第2代:野宗英一郎(1951年(昭和26年)4月26日 - 1955年(昭和30年)1月21日)
- 第3代:野宗英一郎(1955年(昭和30年)1月22日 - 1959年(昭和34年)1月21日)
- 第4代:野宗英一郎(1959年(昭和34年)1月22日 - 1963年(昭和38年)1月21日)
- 第5代:野宗英一郎(1963年(昭和38年)3月4日 - 1967年(昭和42年)3月3日)
- 第6代:折田進二(1967年(昭和42年)6月9日 - 1971年(昭和46年)6月8日)
- 第7代:折田進二(1971年(昭和46年)6月9日 - 1975年(昭和50年)4月26日)
- 第8代:横関政一(1975年(昭和50年)4月27日 - 1979年(昭和54年)4月26日)
- 第9代:横関政一(1979年(昭和54年)4月27日 - 1983年(昭和58年)4月26日)
- 第10代:横関政一(1983年(昭和58年)4月27日 - 1987年(昭和62年)4月26日)
- 第11代:矢田美英(1987年(昭和62年)4月27日 - 1991年(平成3年)4月26日)
- 第12代:矢田美英(1991年(平成3年)4月27日 - 1995年(平成7年)4月26日)
- 第13代:矢田美英(1995年(平成7年)4月27日 - 1999年(平成11年)4月26日)
- 第14代:矢田美英(1999年(平成11年)4月27日 - 2003年(平成15年)4月26日)
- 第15代:矢田美英(2003年(平成15年)4月27日 - 2007年(平成19年)4月26日)
- 第16代:矢田美英(2007年(平成19年)4月27日 - 2011年(平成23年)4月26日)
- 第17代:矢田美英(2011年(平成23年)4月27日 - 2015年(平成27年)4月26日)
- 第18代:矢田美英(2015年(平成27年)4月27日 - 2019年(平成31年)4月26日)
- 第19代:山本泰人(2019年(平成31年)4月27日 - 2023年(令和5年)4月26日)[14]
友好都市・姉妹都市
議会
中央区議会
都議会
- 2021年東京都議会議員選挙
- 選挙区:中央区選挙区
- 定数:1人
- 任期:2021年7月23日 - 2025年7月22日
- 投票日:2021年7月4日
- 当日有権者数:135,196人
- 投票率:39.19%
候補者名 |
当落 |
年齢 |
所属党派 |
新旧別 |
得票数
|
石島秀起 |
当 |
61 |
自由民主党 |
新 |
19,272票
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池邉愛 |
落 |
40 |
都民ファーストの会 |
新 |
14,042票
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松田朝子 |
落 |
61 |
立憲民主党 |
新 |
10,251票
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岸野智康 |
落 |
26 |
日本維新の会 |
現 |
7,839票
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- 2017年東京都議会議員選挙
- 選挙区:中央区選挙区
- 定数:1人
- 投票日:2017年7月2日
- 当日有権者数:122,516人
- 投票率:50.74%
候補者名 |
当落 |
年齢 |
所属党派 |
新旧別 |
得票数
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西郷歩美 |
当 |
32 |
都民ファーストの会 |
新 |
25,792票
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石島秀起 |
落 |
57 |
自由民主党 |
新 |
17,965票
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森山高至 |
落 |
51 |
無所属 |
新 |
8,736票
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立石晴康 |
落 |
75 |
無所属 |
現 |
6,842票
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齋藤一恵 |
落 |
48 |
諸派 |
新 |
1,347票
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衆議院
- 選挙区:東京2区(中央区・港区の一部・文京区・台東区の一部)
- 任期:2021年10月31日 - 2025年10月30日
- 投票日:2021年10月31日
- 当日有権者数:463,165人
- 投票率:60.82%
警察
警視庁
消防
東京消防庁 第一消防方面本部
- 京橋消防署(京橋3-14-1)救急隊1
- 築地出張所(明石町1-27)救急隊無
- 銀座出張所(銀座7-11-17)特別消火中隊・救急隊1
- 日本橋消防署(日本橋兜町14-12)特別消火中隊・消防活動二輪部隊・救急隊1
- 臨港消防署(勝どき5-1-23)水難救助隊・救急隊無
- 月島出張所(勝どき4-5-14)特別消火中隊・救急隊1
住宅
高層住宅
住宅団地
- UR 勝どきビュータワー
- UR 月島団地 - 勝どき 市街地住宅 賃貸20 1959年 勝どき三丁目に改称後建替え
- UR 月島東中通団地 - 勝どき 市街地住宅 賃貸77 1961年 現存現勝どき四丁目。譲渡返還
- UR 晴海アイランドトリトンスクエア - 晴海、旧住宅・都市整備公団、建替え、1997年-
- UR 晴海団地 - 晴海、高層(10F) 賃貸262 分譲240 1957年
- UR 晴海高層アパート - 晴海、消滅, 旧日本住宅公団, 前川國男設計事務所、公団初の高層住宅、1957年
- UR 大川端リバーシティ21 - 佃
- 都営勝どき一丁目アパート(勝どき 1-2、1999年)
- 都営勝どき二丁目アパート(勝どき 2-9、1971年)
- 都営勝どき五丁目アパート(勝どき 5-8、1969年)
- 都営勝どき五丁目第2アパート(勝どき 5-9、2006年)
- 都営勝どき六丁目アパート(勝どき 6-6、1977年)
- 都営佃二丁目アパート(佃 2-2、1986 - 1987年)
- 都営明石町アパート(明石町 2-4、1970年)
- 都営明石町第2アパート(明石町 13、1975年)
交通
区中央部には日本の道路網の始点である日本橋があり、東京最初の地下鉄である東京地下鉄道(現在の東京メトロ銀座線)も中央通りに沿って作られた。区北西部で外堀通りを挟んで接する千代田区側には東京駅があり、その八重洲側出口(東側)が中央区へ、丸の内側出口(西側)が千代田区へ開いている。なお、区南部の晴海埠頭(東京港の一部)には晴海客船ターミナルがあったが、江東区青海の東京国際クルーズターミナルの開業に伴い2022年2月20日に廃止された[15]。2022年9月17日に八重洲(東京駅八重洲口前)の東京ミッドタウン八重洲地下に高速バスのバスターミナルであるバスターミナル東京八重洲が開業した。このバスターミナルは八重洲地区の再開発事業などを通じて「国際都市東京の玄関口」と「国内主要都市との交通結節」の機能強化を目的として、新たなバスターミナルを整備する方針によるもので、さらに八重洲周辺で第2期エリア(八重洲一丁目東地区)、第3期エリア(八重洲二丁目中地区)でも同バスターミナルを建設中である。
勝どき、豊海、晴海では、タワーマンションなどの建設が進み、環状2号線や有明通り、晴海大橋などの道路網も整備された。また、2024年春には晴海で晴海フラッグの街びらきが控えており、東京BRTや区内コミュニティバス「江戸バス」などのバス路線の整備も進められている。晴海通り下に臨海地下鉄新線[16]の構想があり、2040年以降の開業が見込まれている。また、首都高速では、都心環状線日本橋付近の地下化や新京橋連結路の建設が進められており、晴海線の延伸も検討されている[17]。JR東日本では東京駅と羽田空港間を約18分で結ぶ羽田空港アクセス線の建設が2031年度の開業を目指して進めている[18]。
鉄道
区内に所在する駅は全て、プラットホームやコンコースなどが地下にある。地上駅舎がまったく存在しないのは東京特別区ではこの区のみである。
東日本旅客鉄道(JR東日本)
- 総武快速線
- 京葉線
東京地下鉄(東京メトロ)
- 銀座線
- 日比谷線
- 丸ノ内線
- 東西線
- 有楽町線
- 半蔵門線
東京都交通局(都営地下鉄)
- 都営浅草線
- 都営新宿線
- 都営大江戸線
水上バス
バス
道路
観光
- 日本橋地域
- 京橋・月島地域
神社
なお神田祭で有名な神田明神、山王祭で有名な日枝神社は共に千代田区の神社であるが、両社とも氏子範囲に中央区が大きく含まれており、区内にも各町会の神輿が渡御するため中央区にとっても欠かすことができない祭礼である。さらに深川祭で有名な富岡八幡宮も江東区の神社でありながら中央区の一部は氏子地域にあたる。そのため、神田明神、日枝神社、富岡八幡宮の3社とも鎮座地は区外であるものの、区内も氏子区域にあたるため中央区も区を上げて参加や宣伝を行っている。神田祭は西暦奇数年が本祭り、山王祭は西暦偶数年が本祭り、深川祭は3年に1度が本祭りであり、この3つの祭礼が江戸三大祭りである。
教育
大学
公立学校
- 高等学校(全1校)
- 中学校(全4校)
- 小学校(全16校)
- 幼稚園(全14校)
公立学校(廃校)
- 中学校
- 小学校
私立学校
各種学校
図書館
中央区立図書館は3館あり、区民1人当たりの図書館蔵書数は5.5冊で、23区では千代田区についでの第二位である(23区平均は、区民1人あたり3.4冊(2012年時点))。
メディア
- 新聞社
- 出版社
- 放送局(ラジオ)
出身有名人
作品
脚注
参考文献
- 中央区役所『中央区史 上巻』中央区役所、1958年12月25日。
- 中央区役所『中央区史 中巻』中央区役所、1958年12月25日。
- 中央区役所『中央区史 下巻』中央区役所、1958年12月25日。
関連項目
外部リンク