三田村 邦彦(みたむら くにひこ[1]、(1953年10月22日[2][3] - )は、日本の俳優・タレント・歌手。血液型はB型、身長178センチメートル。所属事務所は有限会社M・P・T。
元妻である元女優の中山麻理[1]との間に3子[4]。長男三田村瞬と三男中山麻聖は俳優。二男は一般人。現在の妻との間に1子(長女)。
新潟県新発田市出身。新潟県立新発田高等学校卒業、予備校に進学すると偽り上京[5]、鳶職の会社で働きながら劇団青俳養成所に入所し、約3年後に劇団青俳に正式に登録する[3]。
1979年劇団の推薦により『限りなく透明に近いブルー』でデビュー[5][3]。同年「必殺シリーズ」に飾り職人の秀役で出演、華麗な殺しと、陰りのある表情をたたえる仕事人を演じ人気を博した[5][3]。
1982年より『太陽にほえろ!』にジプシー刑事役で出演[3]、若手刑事のミワカントリオ[注釈 2]、カワセミカルテット[注釈 3]の一人として人気を得る。
映画館で石原裕次郎のアクション系の映画をよく観ていた影響で小学4・5年生のころには俳優になりたいと漠然と思っていたといい、中学や高校でも強くなる一方で、俳優になるために東京へ出るには、戦争中に軍隊へ行っていた昔気質の父親を説得しなければならなかったが、それでも強引に上京したという[3]。
上京後、さまざま劇団の芝居を見て回った結果、文学座を2度受けて最終選考に残るも、劇団の活動には膨大な費用がかかることが分かり、親からも勘当されていたことから、文学座は諦め、アルバイトで生計を立てながら、劇団青俳を受けることとなる[3]。
1980年にデビュー作で共演した女優の中山麻理と結婚、3子をもうけるが1999年に離婚。2010年5月16日に26歳年下の元テレビ番組制作会社社員の女性と5年間の交際、1年間の同棲を経て再婚[6]。2015年3月19日、長女が誕生[7]。
1980年からは歌手活動も行っており[3]、シングルやアルバムを多数リリースしている。東芝EMIより『必殺仕事人』の挿入歌、「いま走れ、いま生きる」で歌手デビュー、後にTDKレコード→日本コロムビアへ移籍。2010年5月からインディーズで音楽活動を再開。
2021年、自身がホストを務める『おとな旅あるき旅』エンディングテーマを丘みどりと歌った「あなたと、君と」が、丘のシングル曲のカップリング曲として収録される形で発売[8]。舞台ではミュージカルに出演しており、代表作は『ブラッド・ブラザーズ』(初代エディ役)、『スクルージ』(2代目スクルージ役)、『NEVER GONNA DANCE』(モーガンサル役)など。
『おとな旅あるき旅』で滋賀県長浜市の小谷城址を訪れた際、「三田村家発祥の地」と話している。「城マニア」であることを公言し、天主のある城跡のみならず、あまり知られていないような、山城などにも足を運んでいると語っている[9]。
阿波踊りの熱狂的なファンとして知られ、徳島市阿波踊りにサンスター連として20年以上参加している[10]。しかし、2016年はミュージカル『アニー』の大阪公演のため欠席した。
『限りなく透明に近いブルー』は、当初村上龍の原作本を読むも、自分には不道徳な行為や退廃的な人物などは苦手であったため、リュウ役はきついと思い、劇団にはできないと言うが、蜷川幸雄から「間口の狭い役者になる」と諭され、村上とも実際に会って三田村の思ったところを述べると、数日かけてかなり脚本を書き直されたことで、リュウ役をやることを決めたといい、俳優でやっていけるようになったのも、村上のおかげであると思っているという[3]。
『必殺仕事人』も劇団生活の中で、4~5年はテレビがお金がなかったため買えずにテレビを見ることができなかったことから、『必殺仕掛人』などを知らず、マネージャーにも断ってくださいと言ったというが、内容をプロデューサーから聞いて『仕掛人・藤枝梅安』のようなものと理解したという[3]。だが、当初はお金をもらって人を殺める殺し屋の役が無理だと思い、全26本であったが、半年頑張ろうと思ったものの、視聴率が良かったため、もう1クール延びたとプロデューサーに言われるも、26本での番組降板を希望していたが、その日の夜に撮影の石原興と藤田まことから飲みに誘われ、今辞めるのは中途半端だと説得されたことで思い直し、出演を延長した[11][3]。
『仕事人』が始まった年に劇団青俳が倒産し、島田智子事務所に所属するが、かなり仕事が重なっていたことから、島田からは『太陽にほえろ!』か『必殺』のどちらかを降りようと言われ、長くやっていた『必殺』を辞めようと、島田が申し出るも、「順序が逆」と『必殺』のプロデューサーから言われたことで、東宝のプロデューサーに島田が事情を話し、ジプシー刑事の登場は1年のみとなり、いつでも戻ってくるようにと殉職はしなかったという[3]。
『新・必殺仕事人』の最終回において、壮絶な死を遂げる予定であったが、ファンから助命嘆願が数多く寄せられ、必殺仕事人シリーズを続投することになった[5]ため『太陽にほえろ!』への出演が短縮された。
三田村は『必殺まっしぐら』出演に際して、当初は断ったが、工藤栄一が1話、2話の監督を務めるなら出演するという条件を出した、また本来最終話とその前11話も工藤が監督を務める予定であったが、スケジュールの都合で務められなくなり、三田村は工藤から直接謝罪をされた[12]。
『ゴジラvsビオランテ』(1989年)で共演した小高恵美は、信号待ちをしていた時に三田村がタクシーから大声で呼びかけてきたことがあり、少年のような天真爛漫さで面白い人物であったと評している[13]。同作品で共演した金田龍之介は、三田村は極度の近眼であったため、演技の際は目を見開いていたと証言している[14]。
若草恵
山川啓介
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