ヤングブラッズ (1960年代のバンド)

ヤングブラッズ
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク州 ニューヨーク
ジャンル フォークロック
ロックンロール
ブルースロック
ジャズロック
リズム・アンド・ブルース
ブルーグラス
カントリーロック
活動期間 1965年 - 1972年
レーベル RCA
メンバー ジェシ・コリン・ヤング
ジェリー・コービット
バナナ(ロウエル・レヴェンジャー)
ジョー・バウアー
1969年初頭頃のヤングブラッズ

ヤングブラッズ(The Youngbloods)は、1960年代から1970年代初頭にかけて活動したアメリカ合衆国バンドフォーク・ロック・バンドである。1965年ニューヨーク州ニューヨーク市で結成され、グリニッジ・ヴィレッジを中心に活動。1969年に拠点をカリフォルニア州に移して活動を続け、1972年に解散した。

ディノ・ヴァレンティ(英語版)の楽曲「ゲット・トゥゲザー」を取り上げ、1969年にビルボードのシングル盤チャート最高5位を記録するヒット曲にした。

メンバー

  • ジェシ・コリン・ヤング(ペリー・ミラー)(Jesse Colin Young/本名Perry Miller [2] 1941年10月22日生、ニューヨーク州クイーンズ区出身) ボーカル、ベース・ギター、ギター
  • ジェリー・コービット(Jerry Corbitt/本名Jerry Byron Corbitt[3] 1943年1月7日ー2014年8月3日、ジョージア州ティフト出身) ボーカル、リード・ギター ※1965-69年在籍
  • バナナ(ロウエル・レヴェンジャー3世)(Banana/本名Lowell LevingerⅢ [4] 1946年生、マサチューセッツ州ケンブリッジ出身) キーボード、ギター
  • ジョー・バウアー (Joe Bauer [5] 1941年9月26日-1983年11月日、テネシー州メンフィス出身) ドラムス
  • マイケル・ケイン (Michael Kane) ベース・ギター ※1971-72年在籍
  • デヴィッド・パーパー (David Perper) ドラムス ※1984-85年在籍
  • スコット・ロ-レンス (Scott Lawrence) キーボード ※1984-85年在籍

来歴

ジェシ・コリン・ヤングJesse Colin Young、本名Perry Miller)はニューヨーク州の出身で、会計士の父親とヴァイオリニストの母親を持ち、幼少からクラシック音楽に親しんだ。彼は遊学からボストンのフィリップス・アカデミーに進学したが、フォークリバイバル運動の「洗礼」を受けて熱心な音楽活動を始め、学校を中途退学してニューヨークに戻り、フォーク・クラブやコーヒーハウスで活動した。

1964年4月、ヤングはキャピトル・レコードからボビー・スコット(Bobby Scott)のプロデュースによるデビュー・アルバム『ザ・ソウル・オブ・ア・シティ・ボーイ(The Soul of a City Boy)』[1]を発表した。当時のグリニッジ・ヴィレッジでは、雑多な交流から生まれたセッションや即席のフォーク・グループがステージに立ち、デヴィッド・グリスマンDavid Grisman・英語版)が結成したブルーグラスジャグ・バンドには様々なミュージシャンが参加して演奏を繰り広げていた[注釈 1]。ヤングはデビューの前後に、ジェリー・コービット(Jerry Corbitt、本名Jerry Byron Corbitt)と知り合った。意気投合した二人はカナダのフォーク・クラブなどを回る遠征を行ない、この旅行中にバンドの結成を思い立った。

ヤングは帰国後、2作目のアルバムの制作の為にマーキュリー・レコードMercury Records・英語版)と契約した。彼が結んだ契約の付帯項目では、アルバムの制作とは別枠でスタジオをバンドセッションのリハーサルとデモ・テープ制作に使う時間枠が確保され、ジェリー・ロス(Jerry Ross)が全ての作品のプロデューサーに指名されていた。デモ・テープのセッションには、のちにラヴィン・スプーンフルを結成したジョン・セバスチャンがハーモニカでゲスト参加した。また4人前後のメンバー候補の中から、コービットのジャグ・バンド仲間で、ボストンのセミ・プロバンド[注釈 2]を辞め将来の模索にニューヨークへ移住してジャズ・バンドに臨時に雇われていたバナナ(Banana、本名Lowell Levinger III)と、その友人で社交ダンスホール専属の無名のジャズ・バンドにいたジョー・バウアー(Joe Bauer)という、それぞれ細々と糊口を凌いでいた2人が選ばれた[注釈 3]。メンバーが揃ったヤングブラッズは、グリニッジ・ヴィレッジに1964年2月に開店したクラブのカフェ・ア・ゴー・ゴー(Cafe au Go Go)に出演して評判を集めて、やがて専属契約を勝ち取った。

1965年3月、ヤングはマーキュリー・レコードからスコットのプロデュースで2作目のソロ・アルバム『ヤング・ブラッド(Young Blood)』[2]を発表した。マーキュリー・レコードからは、次作の制作を要請されたが、ヤングらは態度を保留した。マーキュリーとの再度の交渉の大きな争点は、会社が斡旋する名前だけの無能なプロデューサー・チームとその経費や印税割を排除し、不慣れなバンド体制による録音時間を少しでも長く確保したいというものだった。ヤングブラッズのデモ・テープから制作された2枚のシングルはプロモーション・サンプルに終わり、発売までに至らなかった。

ヤングブラッズとマーキュリーとの交渉が膠着したので、彼等は自分達の希望を受け入れたRCAビクターと契約を結んだ。この契約は実績のない新人バンドとしては異例なもので、破格なスタジオ使用条件とプロデューサー任命権が含まれていた。彼等はこの権利に基づいて、グリニッジ・ヴィレッジの親しい音楽仲間友人で恣意にしていたビジネスマンのフェリックス・パパラルディをチーフ・プロデューサーとして招聘して契約を結んだ。パパラルディはニューヨーク出身でミシガン大学でクラシック音楽を修め、若手ながら高い評価と実績を持ち、アメリカではジョン・サイモンらと並んで計算立てのアレンジが出来る先進者だった[注釈 4]。彼は契約書類に目を通して、RCAが新人バンドにプロデューサーの人事権などを授けるという画期的な内容を知って驚愕すると同時に歓喜し、ヤングらの交渉手腕に舌を巻いたと云う[注釈 5]

RCAとの契約の中での異例の条項の一つだったスタジオ使用条件とは、要約すると、ヤングブラッズに作品制作の締切り期限まで会社が使用しない空き時間に限ってスタジオを自由に使用できるという占有権を与え、録音経費に含まれる時間制貸切のスタジオ使用料金にはあらかじめ上限額が設定され、RCAは貸切時間超過の使用料についてはヤングブラッズに追加の精算を求めない、というものだった。彼等はこの条項を盾に深夜早朝に施錠を無理強いして解いてスタジオを自由に使い、スタジオ使用明細書の束と共に、アルバム『ザ・ヤングブラッズ(The Youngbloods)』と『アース・ミュージックEarth Music・英語版)』をパパラルディのプロデュースで完成した[注釈 6]。因みにヤングブラッズとの交渉を拗らせ契約を逸したマーキュリーに残された音源は、Jesse Colin Young With The Youngbloods名義の編集アルバム『トゥ・トリップス(Two Trips )』(1970年[3]に収録された。

1966年11月、ヤングブラッズはシングル「グリズリー・ベア(Grizzly Bear)/ティアーズ・アー・フォーリン(Tears Are Falling)」[4]でデビューした。1967年1月に発表されたデビュー・アルバム『ザ・ヤングブラッズ』は、ボブ・ディラン、ビートルズやバーズなど影響にを受けたサイケデリック・ロック風のリード・ギター、他のバンドがこぞって取り上げたブルースロック調で最先端のロックミュージックが中心だった。6月にシングル・カットされた「ゲット・トゥゲザーGet Together)」はディノ・バレンティ(Dino Valenti/Chet Powers・英語版)が書き下ろした楽曲で、1964年6月にキングストン・トリオによって発表されて以来、フォーク/フォークロックの数多くのグループやミュージシャンに取り上げられていた。ヤングブラッズのヴァージョンは全米ホットチャートのマイナー部門シングル盤ランキング最高62位と健闘した。また《ビルボード》イージー・リスニング・チャートで37位を記録した[5]。しかしアルバムのセールスは振るわなかった。

同年5月に発表されたセカンド・アルバム『アース・ミュージック』では、メンバーがステージで演奏していたフォーク・ロック、リズム・アンド・ブルースなどの幾つかのアレンジを自分達で手がけた。一方、パパラルディが担当した楽曲は、同時期にジェファーソン・エアプレインがRCAから発表したアルバムやシングル盤[注釈 7]とは異にした、時代に左右されない普遍的なものとし一過的な流行のアレンジが無い仕上がりとなった[注釈 8][注釈 9]。パパラルディはニューヨークの出身で、ビート・ジェネレーションの余波を受けた地元のフォーク・ミュージシャンとの関係が深く、ティム・ローズ(Tim Rose・英語版[注釈 10][6]リッチー・ヘブンス[注釈 11][7]らの作品にベース・ギターの演奏やアレンジで関わっていた。かくして、ヤングブラッズの特徴を注いだ同アルバムはニューヨークのローカル・カラーが濃い作品に仕上がり[注釈 12]、全国的なヒット・チューンの流行傾向との乖離は否めず、全米トップ200チャートの圏外に停滞し、地元と音楽マニアの支持を得るに留まった。

2作のアルバムの販売不振はメンバー間の軋轢や主導権争いを引き起こした。サード・アルバムの録音はRCAに催促されたにも拘らず足踏み状態に陥り、「クイックサンド(Quicksand)」など数曲だけが完成した段階で中断した[注釈 13][8]。1968年末、コービットはソロ活動への転向を理由に脱退した。残されたメンバーは3人編成で演奏活動を続行することに決め、マルチ・インストルメンタリストのバナナがオルガン、ギター、ベース、マンドリンなどを演奏し、ベース担当のヤングがギターパートを受け持ち、楽曲のアレンジを大幅に変更するといった対処によってコービットが抜けて生じた穴を埋めた。RCAは解散の懸念を解消する為に、ハリウッドにある自社のスタジオでアルバムの録音を再開することを提案。彼等は承諾してマリン郡などに滞在して、チャーリー・ダニエルズをプロデューサーに迎えて録音を再開。1969年4月、サード・アルバム『エレファント・マウンテン』を発表した[注釈 14]。同アルバムはビルボードチャートで最高118位止まりだったが、評論家からは高い評価を受け、多くの音楽マニアにも受け入れられてロングセラーになり、シングル・カット曲「闇(Darkness, Darkness)」は複数のミュージシャンに取り上げられた。

1969年6月、ニューヨークのラジオ放送局WABC-AMでユダヤ・キリスト教系公益法人のNCCJ(英語版)とICCJ(英語版)のCMに起用されていた「ゲット・トゥゲザー」が再発売され、9月6日から2週連続で《ビルボード》Hot 100の5位を記録[9][10]。年間チャートでは16位でゴールド・ディスクに輝いた。一方、彼等がグリニッジ・ヴィレッジで根城にしていたカフェ・ア・ゴー・ゴーは10月に閉店することが決まった。RCAとの契約はアルバムを3作制作すると満了するので、彼等は『エレファント・マウンテン』の録音を再開する前に既に幾つかのレコード会社と接触して契約交渉を進めていた。1967年に西海岸で演奏旅行を行い、9月以降はニューヨークとカリフォルニア州を往復して交渉を続け[11]、カリフォルニア州に本社があるワーナー・ブラザース・レコードから再レコード契約の作品裁量権と不干渉範囲、経費負担、責任債務割合など[注釈 15]を提示された。彼等はこの好条件をほぼそのまま受け入れて、契約内容に基づいてワーナー・ブラザース傘下で自主レーベルのラクーン(Raccoon)を開設し、東海岸と西海岸の間を往復する生活に区切りを付けた[12]

彼等はサンフランシスコを中心に国内各地やカナダで公演を続け、この模様と音源で1970年10月『ロック・フェスティヴァル (Rock Festival)』を発表した。プロデューサーにゼーガーとエバンズ(Zager and Evans)[注釈 16]を迎えた同アルバムは、ビルボード・チャートで最高80位を記録。ダニエルズのプロデュースによって翌1971年7月に発表された『ライド・ザ・ウィンドRide the Wind・イタリア語版)』は新曲を含むライヴ・アルバムで、同チャート最高157位。同年11月発表の『グッド・アンド・ダスティ(Good And Dusty・イタリア語版)』は最高160位。同アルバムでは収録する楽曲を巡る各自の配分に対立が生じた。以後、ヤングはバンドの出演や演奏参加の一部に条件を立てて拒絶し、バウアーが71年にラクーンから発表したソロ作品[13]の制作には一切関与しなかった。バナナとバウアーは補助メンバーにマイケル・ケイン(Michael Kane)を雇った。1972年、ヤングはコービットなどのミュージシャンを招聘して、バナナとバウアーの手を借りずソロ・アルバム『トゥギャザー(Together)』[注釈 17]を完成させた。そして同年春、ヤングブラッズの次作の録音を前に脱退を表明。ここでヤングブラッズの解散が決定した。有名無実と化した彼等はケインを補助メンバーから正式メンバーに昇格させて最終作を制作。ヤング作の一曲を除いてカバー曲が占めヤングとスタジオ・ミュージシャンを務めるバナナ、バウアーとケインで収録。その後、既に9月まで決まっていたコンサートの日程を消化して解散した。11月に最終作『ハイ・オン・ザ・リッジ・トップ (High on a Ridge Top・イタリア語版)』が発表された[注釈 18]

その後

1982年9月、バウアーが脳腫瘍で死去。40歳没。当時日本では誤って麻薬中毒死と報道された。

1984年、ヤング、コービット、バナナ、デヴィッド・パーパー(David Perper・英語版)、スコット・ロ-レンス(Scott Lawrence)によって再結成。同年から翌年にかけて全米ツアーが行われた。

2014年3月8日、コービットが肺癌で死去。71歳没。

付記

ゲット・トゥゲザー」は、『パープル・ヘイズ/紫のけむり英語版』(1982年)、『フォレスト・ガンプ/一期一会』(1994年)、『ラスベガスをやっつけろ』(1998年)、『月のひつじ』(2000年)、『ライディング・ザ・ブレット英語版』(2004年)、『キャッツ & ドッグス 地球最大の肉球大戦争』(2010年)などの映画で使用された。

作品

ジェシ・コリン・ヤングのソロ作品(1964-1972)

1972年以降のソロ作は「ジェシ・コリン・ヤング・英語版」を参照

  • The Soul of a City Boy(1964年4月)キャピトル・レコード T 2070
Four In The Morning/You Gotta Fix It/Rye Whiskey/Whoa Baby/Susanne/Black Eyed Susan/Same Old Man/Drifter Blues/Talk To Me/Stranger Love/I Think I'll Take To Whiskey
  • Young Blood(1965年3月)マーキュリー・レコード MG 21005/SR 61005
Rider/Doc Geiger/ Lullabye/Brother Can You Spare A Dime/Trouble In Mind /Little Suzie/Nobody's Dirty Business/Green Hill Mountain Home/Summer Rain/Walkin' Off The Blues/Cotton Eyed Joe
  • Together(1972年3月25日)ワーナー・ブラザース・レコード BS 2588(ラクーン#10)
Good Times/Sweet Little Child/Together/Sweet Little Sixteen/Peace Song/Six Days On The Road/It's A Lovely Day/Creole Belle/6000 Miles/Born In Chicago/Pastures Of Plenty

ヤングブラッズ アルバム(1964-1972)

RCAヴィクター・レコード

  • The Youngbloods(1967年3月)RCAヴィクター・レコード LSP-3724
Grizzly Bear/All Over The World (La-La)/Statesboro Blues/Get Together/One Note Man/The Other Side Of This Life/Tears Are Falling/Four In The Morning/Foolin' Around (The Waltz)/Ain't That Lovin' You, Baby/C.C. Rider
  • The Youngbloods Get Together "The Youngbloods First Album" (1969年月)RCAヴィクター・レコード LSP-3724
※The Youngbloods、LSP-3724のジャケット装丁変更。
  • Earth Music (1967年5月)RCAヴィクター・レコード LSP-3724
Euphoria/All My Dreams Blue/Monkey Business/Dreamer's Dream/Sugar Babe/Long And Tall/I Can't Tell/Don't Play Games/The Wine Song/Fool Me/Reason To Believe
  • Elephant Mountain (1969年)RCAヴィクター・レコード LSP-4150
Darkness, Darkness/Smug/On Sir Francis Drake/Sunlight/Double/Sunlight/Beautiful/Turn It Over/Rain Song/Trillium/Quicksand/Black Mountain Breakdown/Sham/Ride The Wind

マーキュリー・レコード

  • Two Trips Jesse Colin Young With The Youngbloods (1970年)マーキュリー・レコード SR- 61273
※ジェシ・コリン・ヤングソロ作Young Bloodとデモ・テープを編集したもの。
Hey Babe/Sometimes/Another Strange Town/No More Pain/Nobody's Dirty Business/Summer Rain/Brother Can You Spare Dime?/Walkin' Off The Blues/Doc Geiger/Lullabye

ワーナー・ブラザース・レコード(ラクーン・レコード)

  • Rock Festival (1970年)ワーナー・ブラザース・レコード WS 1878(ラクーン#1)
It's A Lovely Day/Faster All The Time/Prelude/On Beautiful Lake Spenard/Josiane/Sea Cow Boogie/Fiddler A Dram/Misty Roses/Interlude/Peepin' 'N' Hidin' (Baby, What You Want Me To Do)/Ice Bag
  • Ride the Wind (1971年)ワーナー・ブラザース・レコード BS 2563(ラクーン#4)
Ride The Wind/Sugar Babe/Sunlight/The Dolphin/Get Together/Beautiful
  • Good And Dusty (1971年)ワーナー・ブラザース・レコード BS 2566(ラクーン#9)
Stagger Lee/That's How Strong My Love Is/Willie And The Hand/Circus Fire/Hippie From Olema #5/Good And Dusty/Let The Good Times Roll/Drifting And Drifting/Pontiac Blues/Moonshine Is The Sunshine/Will The Circle Be Unbroken/I'm A Hog For You Baby/Light Shine
  • High On A Ridge Top (1972年)ワーナー・ブラザース・レコード BS 2653(ラクーン#15)
Speedo/She Caught The Katy & Left Me A Mule To Ride/Going By The River/Running Bear/I Shall Be Released/Dreamboat/She Came In Through The Bathroom Window/Donna/La Bamba/Kind Hearted Woman
  • Beautiful ! Live In San Francisco1971 (2005年月)サンデイズド・レコード LP5442/CD SC 11148
Six Days On The Road/Country Home/On Sir Francis Drake/Dreamboat/Drifting And Drifting/Interlude/Old Dan Tucker/You Can't Catch Me/On Beautiful Lake Spenard/Josiane/Explosion/Beautiful/Get Together

ヤングブラッズ シングル(1964-1972)

マーキュリー・レコード

  • Sometimes~Stereo Ver. / Sometimes~Monoral Ver. (1966年、※1970年に再プレスプロモ・オンリー)DJ-229
  • Rider / Sometimes(1966年、※1970年に再プレスプロモ・オンリー)72583

RCAヴィクター・レコード

  • Grizzely Bear / Tears Are Falling (1966年11月)47-9015
  • Euphoria/ The Wine Song (1967年5月)47-9222
  • Fool Me / I Can Tell (1967年10月)47-9360
  • Get Together / All My Dreams (1967年7月)47-9264
  • Merry-Go-Round / Foolin' Around (The Waltz) (1967年月)47-9142
  • Quicksand / Dreamer's Dream (1968年1月)47-9422
  • Darkness, Darkness / On Sir Frances Drake(1969年4月)74-0342
  • Sunlight / Trillium (1969年11月)74-0270
  • Darkness, Darkness / On Sir Frances Drake (1970年4月)

ワーナー・ブラザース・レコード

  • It's A Lovely Day / Ice Bag(1970年、※プロモ・オンリー)K16098
  • Dreamboat~Stereo Ver./Dreamboat~Monoral Ver. (1972年月、※プロモ・オンリー) WB 7639 (ラクーンS #12)
  • Running Bear~Stereo Ver./ Running Bear~Monoral Ver.(1972年月、※プロモ・オンリー)WB 7660 (ラクーンS #13)

ジョー・バウアーソロ作品

  • Moonset(1971年)ワーナー・ブラザース・レコード BS (ラクーン#3)
Explosion/Five Ten/Old Shoe/Cat Gone/Moonset/Frogs/Swallows/Pelicans/Earthquake Blues
※Joe Bauer - Drums/Michael Kane - Bass/Jack Gregg - Bass/Steve Swallow - Bass/Banana - Guitar, Piano/Richard Anderson - Harmonica

ジェリー・コービット作品(1969-2011)

※2016年9月現在ジェリー・コービットソロ活動項目が日本と英語版wikipediaに存在しないため、暫定項目。
カントリー・ミュージックチャーリー・ダニエルズブルースロックブルーグラスなどのミュージシャンを招き制作しヤングブラッズのメンバー参加は少ない[6]カントリー・ミュージックチャーリー・ダニエルズとは関係が深く、合名のライブ・アルバムとソロアルバムのプロデュースを依頼したり、互いのアルバムやステージに客演した。

  • Corbitt (1969年)ポリドール・レコード 24-4003
Let The Music Come Inside/Out Of The Question/Country Girl/Delight In Your Love/Queen Of England/The Psong/I Love You All/The Rain Song(ヤングブラッズと同曲)/Banned In Boston/Tribulations/Kahuna Song
  • Jerry Corbitt (1976年)キャピトル・レコード ST 771  ※Till You Come Back Home Againにジェシ・コリン・ヤング参加
Country Boy Blues/Burning In Your Love Light/Georgia/Till You Come Back Home Again/Pain/Load On/Happy Times/Canada/Get On Back To The Land
  • Jerry Corbitt & Charlie Daniels – Corbitt & Daniels Live I (1976年)Tiger_Lily_Records TL 14001
Great Big Bunches Of Love/Sweet Gentle Lovin'/Till You Come Back Home Again/Thirteenth Hour/Caldonia/Stormy Monday - Part 1/Orange Blossom Special
  • J. B. Corbitt - On The Line (1984年)Line Records LRLP 5394 AP ※西ドイツ発売
 On The Line/Double A/Defend On Me/Pool Hall/Country Home/Snoe Job/Grizzly Bear/Sit Down Rock And Roll Man/Shasta Daisy/Load On
  • Jerry Corbitt & Charlie Daniels – Live II (2011年)Big_Pink – 147 ※韓国発売、CDのみ
Country Boy Blues/John Lee Walker/Thirteen Hour/Stormy Monday (Part 2)/John Deere Tractor/The Pope & The Dope/Pain

脚注

注釈

  1. ^ ジョー・ボイドのインタヴュー[1]。このセッションはイーヴン・ダズン・ジャグ・バンド(Even Dozen Jug Band)に発展してアルバム制作に至ったが、ヤングとコービットは参加していない。
  2. ^ The Proper BostonersとThe Trolls。
  3. ^ ヤングとコービットは1965年初頭にボストンのコーヒー・ハウスでバナナと面識を持った、とする資料もある。
  4. ^ 1967年には、メンバーの名声からイギリスで前評判が高く期待されたクリームのセカンド・アルバム『カラフル・クリーム』のプロデューサーに起用された。
  5. ^ パパラルディは70年代初頭の雑誌インタヴューで「(フォークが中心の)エレクトラ・レコードのスタジオの時間制限は緩かった。大手レーベルのスタジオは(高額な時間貸しから)時間に厳しくスタジオ・ミュージシャンの技量を磨いた。ヤングブラッズの収録で最新機器を備えるRCAのスタジオの使い放題は、音楽仲間の話題をさらい羨望の眼差しでみられた」(略記大意)と語っている。
  6. ^ パパラルディは1968年に後日談で「制作経費は内輪話から非公式に約$28,000~29,000だったと聞いた。信じられない金額だった」と述べている。
  7. ^ ロサンゼルスを中心に活躍した音響エンジニア兼音楽プロデューサーのデヴィッド・ハッシンジャー(David Hassinger・英語版)は、ジェファーソン・エアプレインのデビュー・アルバム(1966年)をフォーク・ロックの作品に仕上げたが、メンバーの交代に伴って楽曲の色彩が変化したので、セカンド・アルバム『シュールリアリスティック・ピローズ(Surrealistic Pillow・英語版)』(1967年)では実験音楽の一環からサイケデリック・アレンジを施し、彼が同時期に手がけたエレクトリック・プルーンズThe Electric Prunes・英語版)の初期2作とともに「サイケデリック・ロック」の代表作の一つとされる作品に仕立てた。
  8. ^ クラシック音楽の録音手法を用いたホーン、ストリングス・パートやブレーク無音状態から立ち上がりといった、パパラルディが行なったような「丹精な格調ある音質とアレンジ」のCD盤化では、デジタルリミックスの担当者が安易なレベルアップ、ノイズ除去処理を施した変換を行なって、度々批判されている。パパラルディがプロデュースしたクリームの再発CDボックスセット「THOSE WERE THE DAYS」(1997年)は雑誌レコード・コレクターズなどで批判され、デジタルリマスター技術の過渡期の失敗例に挙げられている。2000年代以降、同技術は向上して評価の高い成果を上げる一方、一例で「レット・イット・ビー...ネイキッド」のような錯誤も繰り返されている、
  9. ^ バナナが主導したロックン・ロールのカバーやメンバーがアレンジした'Monkey Business'などとは音質が異なった。
  10. ^ ローズは1963年にグリニッジ・ビレッジでキャス・エリオット、ジム・ヘンドリックスとビッグ・スリー(The Big 3・英語版)を結成。1964年に脱退してソロ活動に移行。1966年にボニー・ドブソン(Bonnie Dobson・英語版)作の「モーニング・デュー(Morning Dew・英語版)」をニューヨークで録音した。ローズが補作詞とアレンジを行ない、デビッド・ルビンソン(David Rubinson・英語版)がプロデュースを担当、パパラルディがベース・ギターで参加した。同曲はイギリスでヒットし、反核・反戦歌として原曲よりも多くの支持を集めた。
  11. ^ ビート詩人でファッグスのトゥリ・カッファーバーグ(Tuli Kupferberg・英語版)の楽曲を取上げている。
  12. ^ リズム・アンド・ブルースの影響という点においては、ニューヨーク出身ブルー・アイド・ソウルヤング・ラスカルズと共通するものがあった。
  13. ^ 1968年1月、「クイックサンド」と既発表曲の「ドリーマーズ・ドリーム(Dreamer's Dream)」を併せたシングル盤が発表された。
  14. ^ 録音作業はパパラルディを交えて開始されたが、彼は自分のバンドであるマウンテンの活動などで多忙を極めていたことから降板した。収録曲'Rain Song (Don't Let the Rain Bring You Down)'はコービット、パパラルディ、パパラルディ夫人のゲイル・コリンズがクレジットされ、録音中断の痕跡が垣間見える。
  15. ^ 一般的には契約金と契約条件。ヤングは三社で不利を被った反省から交渉の事前に条件提示をしていた。
  16. ^ ヒット曲「西暦2525年」が有名な『一発屋』。
  17. ^ 1972年3月25日発売。ビルボードチャート最高157位。
  18. ^ ビルボードチャート最高185位。

出典

  1. ^ Discogs”. 2024年2月2日閲覧。
  2. ^ Discogs”. 2024年2月2日閲覧。
  3. ^ Discogs”. 2024年2月2日閲覧。
  4. ^ Discogs”. 2024年2月2日閲覧。
  5. ^ The Youngbloods, "Get Together" 1967 chart positions Retrieved September 13, 2016.
  6. ^ Discogs”. 2024年2月3日閲覧。
  7. ^ Discogs”. 2024年2月3日閲覧。
  8. ^ Discogs”. 2024年2月3日閲覧。
  9. ^ Music: Top 100 Songs | Billboard Hot 100 Chart | THE WEEK OF SEPTEMBER 6, 1969
  10. ^ Music: Top 100 Songs | Billboard Hot 100 Chart | THE WEEK OF SEPTEMBER 13, 1969
  11. ^ バナナ。SICP_3055ライナーノーツ
  12. ^ SICP_3055アースミュージック、2014年発売CD日本盤ライナーノーツ著者の長門芳郎はここでバナナから取材を行いカリフォルニア州へ活動場所を移した時期について1967年秋としている。本項ではコービット脱退時期とアルバム録音中断期間に言及した文献従来の内容に従った。
  13. ^ Discogs”. 2024年2月3日閲覧。

参考資料

  • ロック百科 vol.2 著フィル・ハーディ/デイブ・ラング 訳 三井徹 サンリオ 1981年
  • ロック・エンサイクロペディア THE ENCYCLOPEDIA OF ROCK1950's-1970's 著フィル・ハーディ/デイヴ・ラング 訳 三井徹 みすず書房 ISBN 978-4-622-07344-4 C0073 2009年11月25日発行

外部リンク

  • ジェシ・コリン・ヤング
http://www.jessecolinyoung.com/index.php[7]
  • バナナ・Lowell Levinger「Lowell Levinger ? My new Web site」
http://www.lowelllevinger.com/[8]

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American actor (born 1940) Pacino redirects here. For the medieval Italian painter, see Pacino di Buonaguida. For the American football player, see Pacino Horne. Al PacinoPacino in 2016BornAlfredo James Pacino (1940-04-25) April 25, 1940 (age 83)New York City, U.S.Alma materActors StudioHB StudioOccupationActorYears active1967–presentWorksFull listPartner(s)Beverly D'Angelo (1997–2003)Lucila Polak (2008–2018)Children4AwardsFull list This article is part of a series aboutA...

Tigerair Australia IATA ICAO Kode panggil TT TGW GO CAT Didirikan2007Mulai beroperasi23 November 2007Pusat operasi Bandar Udara Melbourne Bandar Udara Sydney Armada11Tujuan8SloganGo Tiger AustraliaPerusahaan indukTiger Airways Holdings[1]Kantor pusatMelbourne, Victoria, AustraliaTokoh utama Andrew David (CEO). Situs webwww.tigerairways.com.au Tiger Airways Australia Pty Ltd, beroperasi sebagai Tigerair Australia adalah maskapai penerbangan bertarif rendah yang memulai penerbangan pada...

 

Halaman ini berisi artikel tentang bahasa Iran. Untuk dialek Slavia, lihat Dialek Gorani.Bahasa Gurani beralih ke halaman ini. Artikel ini bukan mengenai Bahasa Guarani. Bahasa Gorani گۆرانیGoranî Dituturkan di  Iran  Irak WilayahKurdistan (terutama di Hawraman, juga di Garmian dan Niniwe)Penutur350.000 jiwa (2014)[1] Rumpun bahasaIndo-Eropa Indo-IranIranIran BaratIran Barat Laut[2]Zaza–GoraniGorani DialekHawrami[3]Sarli[3]Bajelani&...

 

This article needs additional citations for verification. Please help improve this article by adding citations to reliable sources. Unsourced material may be challenged and removed.Find sources: Fox Sports Houston – news · newspapers · books · scholar · JSTOR (July 2021) (Learn how and when to remove this message) Television channel Fox Sports HoustonFinal Fox Sports Houston logo, used from September 1 to October 5, 2012.CountryUnited StatesBroadcast a...

Beate Sirota Gordon di Japan Society pada 2011 setelah penayangan The Sirota Family and the 20th Century Beate Sirota Gordon (/beɪˈɑːteɪ/; 25 Oktober 1923 – 30 Desember 2012) adalah seorang presenter seni pertunjukan dan advokat hak wanita asal Amerika Serikat kelahiran Austria. Ia adalah mantan Direktur Seni Pertunjukan Japan Society dan Asia Society dan merupakan salah satu anggota terakhir yang bertahan hidup dari tim yang bekerja di bawah naungan Douglas MacArthur unt...

 

此條目可参照英語維基百科相應條目来扩充。 (2021年10月13日)若您熟悉来源语言和主题,请协助参考外语维基百科扩充条目。请勿直接提交机械翻译,也不要翻译不可靠、低品质内容。依版权协议,译文需在编辑摘要注明来源,或于讨论页顶部标记{{Translated page}}标签。 国际调查记者同盟International Consortium of Investigative Journalists成立時間1997年總部华盛顿哥伦比亚特区 地址�...

 

Franck PourcelBorn(1913-08-14)14 August 1913Marseille, FranceDied12 November 2000(2000-11-12) (aged 87)Neuilly-Sur-Seine, FranceEducationConservatoire de ParisOccupationsComposerarrangerconductorYears active1952–1995Notable work1956 until 1972 French Conductor for Eurovision Song ContestConductor of London Symphonic OrchestraBBC OrchestraMusical careerGenresClassical music, popular music, easy listeningInstrument(s)ConductorLabelsPathe-Marconi, EMI Musical artist Franck Pourcel (...

坐标:43°11′38″N 71°34′21″W / 43.1938516°N 71.5723953°W / 43.1938516; -71.5723953 此條目需要补充更多来源。 (2017年5月21日)请协助補充多方面可靠来源以改善这篇条目,无法查证的内容可能會因為异议提出而被移除。致使用者:请搜索一下条目的标题(来源搜索:新罕布什尔州 — 网页、新闻、书籍、学术、图像),以检查网络上是否存在该主题的更多可靠来源...

 

Any WifePoster filmSutradaraHerbert BrenonProduserWilliam FoxDitulis olehJulia Tolsva (cerita & skenario)PemeranPearl WhiteSinematograferTom MalloyDistributorFox Film CorporationTanggal rilis 22 Januari 1922 (1922-01-22) Durasi50 menit; 5 rolNegaraAmerika SerikatBahasaBisu (intertitel Inggris) Kartu lobi Any Wife adalah sebuah film melodrama bisu Amerika Serikat tahun 1922 yang hilang[1] garapan Herbert Brenon dan menampilkan Pearl White. Film tersebut diproduksi dan didistri...

 

くしもとちょう 串本町 潮岬 串本町旗2006年4月10日制定 串本町章2006年4月10日制定 国 日本地方 近畿地方都道府県 和歌山県郡 東牟婁郡市町村コード 30428-0法人番号 9000020304280 面積 135.67km2(境界未定部分あり)総人口 13,558人 [編集](推計人口、2024年6月1日)人口密度 99.9人/km2隣接自治体 東牟婁郡:古座川町、那智勝浦町 西牟婁郡:すさみ町町の木 ツバキ町の花 モチ�...

العلاقات الغابونية المالطية الغابون مالطا   الغابون   مالطا تعديل مصدري - تعديل   العلاقات الغابونية المالطية هي العلاقات الثنائية التي تجمع بين الغابون ومالطا.[1][2][3][4][5] مقارنة بين البلدين هذه مقارنة عامة ومرجعية للدولتين: وجه المقارنة ا�...

 

San Potito SanniticoKomuneComune di San Potito SanniticoLokasi San Potito Sannitico di Provinsi CasertaNegaraItaliaWilayah CampaniaProvinsiCaserta (CE)Luas[1] • Total23,13 km2 (8,93 sq mi)Ketinggian[2]235 m (771 ft)Populasi (2016)[3] • Total2.000 • Kepadatan86/km2 (220/sq mi)Zona waktuUTC+1 (CET) • Musim panas (DST)UTC+2 (CEST)Kode pos81016Kode area telepon0823Situs webhttp://www.comune....

 

1963 film by K. Shankar For the film by Sohrab Modi, see Bharosa (1940 film). BharosaDirected byK. ShankarWritten bySudarshan BabbarProduced byVasu MenonStarringGuru DuttAsha Parekh MehmoodEdited byK. Narayanan[1]Music byRaviRelease date 1963 (1963) CountryIndiaLanguageHindi Bharosa (lit. 'Trust') is a 1963 Hindi film. The music for the film was composed by Ravi. Rajendra Krishan penned the lyrics of the songs. Woh Dil Kahan Se Laun rendered by Lata Mangeshkar is an all-tim...

146 магнитных шариков, образующие октаэдр Октаэдральное число — разновидность многогранных фигурных чисел. Поскольку октаэдр можно рассматривать как две квадратные пирамиды, склеенные своими основаниями (см. рисунок), октаэдральное число определяется как сумма двух по�...

 

Abol-Ghasem Mostafavi Kashani Presidente dell'Assemblea consultiva nazionale dello Stato Imperiale dell'IranDurata mandato8 agosto 1952 –1º luglio 1953 PredecessoreHassan Emami SuccessoreAbdullah Moazzami Dati generaliPartito politicoPartito Azzurro (anni'40) Fronte Nazionale dell'Iran (1949-1952) Società dei Mussulmani Combattenti Abol-Ghasem Mostafavi Kashani, noto come Ayatollah Seyyed Abol-Ghasem Mostafavi Kashani (in persiano آیت‌الله سید ابوالقا...

 

Bangladeshi politician For other people with the same name, see Mosharraf Hossain (disambiguation). This biography of a living person needs additional citations for verification. Please help by adding reliable sources. Contentious material about living persons that is unsourced or poorly sourced must be removed immediately from the article and its talk page, especially if potentially libelous.Find sources: Khandaker Mosharraf Hossain born 1946 – news · newspapers&#...

Wrestling competition 2021 EuropeanWrestling ChampionshipsFreestyleGreco-RomanWomen57 kg55 kg50 kg61 kg60 kg53 kg65 kg63 kg55 kg70 kg67 kg57 kg74 kg72 kg59 kg79 kg77 kg62 kg86 kg82 kg65 kg92 kg87 kg68 kg97 kg97 kg72 kg125 kg130 kg76 kgvte Main article: 2021 European Wrestling Championships The women's freestyle 62 kg is a competition featured at the 2021 European Wrestling Championships, and was held in Warsaw, Poland on April 22 and April 23.[1] Medalists Gold Iryna Koliadenko&#...

 

1975 Panjshir Valley uprisingDate21 June 1975[1]LocationPanjshir, Republic of AfghanistanResult Afghan government victory Uprising suppressed Jamiat-e Islami commanders flee to Pakistan[2] End of the 1975 uprisings in Afghanistan[3] Daoud agrees to end support and expel anti-Pakistan militants in Afghanistan[4]Belligerents  Afghanistan Jamiat-e Islami Supported by:  Pakistan  Pahlavi Iran Commanders and leaders Mohammad Daoud Khan Abdul Karim Mus...