サファイアはウィリアム・ルイス・サファイア(William Lewis Safir)として1929年12月17日にニューヨークでユダヤ人の家庭に生まれた[3][4]。父方はルーマニアに出自を持っていた[5]。後に発音上の理由から名字の語尾に"e"を付けたが、親戚の中にはオリジナルの綴りを使い続けている人もいた。
サファイアは1955年から1960年まで広報担当者を務めた。それ以前は、ラジオ・テレビのプロデューサーや、陸軍特派員を務めていた。1959年には、広報担当者として勤務していた住宅メーカーが、モスクワのソコーリニキ公園で開催された「アメリカ博覧会」にモデルハウスを出展したが、視察に来たリチャード・ニクソンとニキータ・フルシチョフが、そのモデルハウスにおいて有名な台所論争を展開した。広く出回っているその様子の白黒写真は、サファイアが撮影したものである[6]。サファイアは1960年と1968年の大統領選挙でニクソンの選挙運動に参加した。1968年のニクソンの勝利後、サファイアはニクソンと副大統領スピロ・アグニューのスピーチライターを務めた。アグニューの有名な言葉である"nattering nabobs of negativism"(ネガティブなおしゃべり)はサファイアが生み出したものである。
サファイアは、アポロ11号の宇宙飛行士たちが月で遭難した場合にニクソン政権がとるべき対応を考え、そのメモを大統領首席補佐官H.R.ハルデマンに提出した[7][8][7]。このメモには、ニクソン大統領がテレビで読み上げるIn Event of Moon Disaster(月での災難に際して)と題した追悼文が記載されていた[9]。また、この演説の前に大統領が宇宙飛行士の妻たちに電話するべきであること、演説の後、ミッションコントロールセンター(英語版)が月着陸船との通信を終了する時点で、聖職者が海葬に準じた手順で儀式を行い、宇宙飛行士らの魂を「深い淵の底」に委ね、神に祈りを捧げることとしていた。『フォーリン・ポリシー』誌の2013年の記事の中で、ジョシュア・キーティング(英語版)はこの演説原稿を「最も優れた未発表の『終末の日の演説』」(The Greatest Doomsday Speeches Never Made)の6つの中の1つに挙げている[10]。
政治に関するコラムのほかに、1979年から亡くなる月まで週刊誌『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』にOn Language(言語について)というコラムを書いていた。そのコラムの多くは書籍にまとめられた[2]。言語学者ジェフリー・K・プラム(英語版)は、サファイアは数年の内に単なる"grammar-nitpicker"(文法について重箱の隅をつつく人)ではなくなったと評し、ベン・ジマー(英語版)は、サファイアが記述言語学者から学ぼうとしていることに言及した[15]。言語に関する別の本にThe New Language of Politics(政治の新しい言語、1968年)があり[2]、ここから発展したSafire's Political Dictionary(サファイアの政治用語辞典)は、ジマーが「サファイアの最高傑作」と評した[16]。
The Right Word in the Right Place at the Right Time: Wit and Wisdom from the Popular Language Column in the New York Times Magazine(2004年) ISBN0-7432-4244-0
No Uncertain Terms: More Writing from the Popular "On Language" Column in The New York Times Magazine(2003年)ISBN0-7432-4243-2
Fumblerules: A Lighthearted Guide to Grammar and Good Usage(1990年)ISBN0-440-21010-0
Larry Berman and Bruce W. Jentleson, "Bush and the Post-Cold War World: New Challenges for American Leadership" in The Bush Presidency: First Appraisals. eds. Colin Campbell, S.J., Bert A. Rockman. 1991. Chatham House. ISBN0-934540-90-X.