MBT-70 /KPz.70 は、1960年代 にアメリカ合衆国 と西ドイツ が共同で開発に着手した、戦後第2世代主力戦車 に代わる次世代戦車 である。
両国の設計方針の不一致や開発費の大幅超過により開発は中止されたが、後に開発されたM1エイブラムス やレオパルト2 の開発に大きな影響を与えた。
開発の経緯
1960年代 初頭、アメリカ ではM60パットン に代わる次世代主力戦車 の開発に着手し始めた。当時のアメリカ軍 の主力戦車であるM60は、第二次世界大戦 時に開発されたM26パーシング を基本として改良を重ねてきたものであり、能力的には特に問題のあるものではなかったが、基本設計の古さは否めないものであった。
対抗目標であるソビエト連邦 の戦後型戦車 は、常にアメリカの戦車を性能的に凌駕しており、これらに対抗するために今までにない最新の技術を盛り込んだ次世代戦車開発の必要性が叫ばれるようになった。当時国防長官 だったロバート・マクナマラ は、開発費を削減するためにNATO 諸国との共同開発を指示し、イギリス 、もしくは西ドイツ との共同開発が模索された。
一方、西ドイツは国産の主力戦車としてレオパルト1 の開発を進めていたが、本格的に生産を開始した時にはソ連のT-62 や自動装填装置 を装備するという新型戦車(後のT-64 )の性能を必ずしも上回る物ではなくなっていた。これを受けて、西ドイツ軍 ではレオパルト1の改良プログラムを進める一方、早くも次世代戦車開発に着手し始めたが、レオパルト1の量産・配備と改良型の開発を進めながらの新戦車開発には予算上の困難が大きく、反対意見も多く出された。
このような状況を踏まえて、次世代戦車開発の必要性で米独両国は一致し、1963年 8月1日 、正式な開発協定が結ばれた。
開発
MBT-70 / KPz.70 最終決定案
1964年 9月 から本格的な開発計画が開始され、現行のソ連 戦車 に対して優位であるだけではなく、今後登場するであろう新型戦車に対しても優位を確保できることを第一に、最新の技術を十二分に盛り込んだ車両となることが目標とされた。この計画にはアメリカ ではMBT-70 (M AIN B ATTLE T ANK 70 )、西ドイツ ではKPz.70 (K ampf P anz er.70 )の名称が与えられ、それぞれ7両ずつ、計14両の試作車両 が造られる事となった。
しかし、開発計画は当初から難航し、最初の設計段階において両国がそれぞれの設計デザインを強く主張し対立した。設計案には突撃砲 スタイルの無砲塔 型から、乗員を全て車体内に配置し、砲と自動装填装置 だけを突出させたオーバーヘッド砲塔、砲塔を持つが半ば車体と一体化した、ドイツ の駆逐戦車 の戦闘室部分が左右に旋回するような埋没型の砲塔を持つものまで、多種多様の設計案が提示された。これはいずれも「極力前面投影面積を少なくすること」という基本方針に沿いつつも、アメリカはある程度の汎用性のある設計を求めたが、西ドイツは北部ヨーロッパ の環境に最も適合した設計を主張したためである。結果としては全ての乗員を砲塔内に収容し車体と砲塔の全高を極力抑えたデザインが決定案とされたが、全高が低い代わりに砲塔が異様に大きいデザインとなり、当初の設計目的からやや外れた結果となった。
その後も設計に用いる単位にアメリカのヤード・ポンド法 を使うか西ドイツのメートル法 を使うか、主砲 のシステムをアメリカ側のガンランチャー 方式にするか西ドイツが開発した滑腔砲 方式にするか、その他にもエンジン 、サスペンション 、装甲 素材など事あるごとに両国は対立し、その都度意見を調整して両方の案をそれぞれ盛り込む妥協策が採られたため、開発期間は果てしなく順延されて行き、日を追うごとに開発費は高騰していった。設計そのものの困難もさることながら、開発の技術拠点がアメリカと西ドイツに分かれているため、両国間の担当者が協議を行うだけでも両者のスケジュールの調整などに大きな困難があり、通信 手段の発達していない当時では、設計図を相互に閲覧するだけでも相応の日数を要した。
試作車の製作は1965年 に開始され、1966年 には車体部のみの最初の試作車が、1968年 には完全な試作車が完成し、テストの結果はM60 およびレオパルト1 と比較して加速度、巡航度、回避能力などほとんどの面で優れていたが、難産の結果エンジンおよびトランスミッション 、サスペンション、そして、火器管制装置 はMBT-70とKPz.70では異なるものを搭載しており、共同開発の意味が半ば失われた車両となっていた。
共同開発により大幅に削減できるはずであった開発費用も、1969年 に1両あたりのコストが100万ドル を超えるという概算が出たため、西ドイツはこのプロジェクトから離脱し、以降独自に次世代戦車の開発計画をスタートさせた。アメリカ議会 においても延び続ける開発期間と5度にもおよぶ開発費の高騰に非難が集中し、1971年 11月 、ついに開発計画は中止された。
その後
XM803
こうして、米独共同の新型戦車 開発計画は、当初の目的とは逆に莫大な予算と年月の無駄となって終わったが、アメリカ 、西ドイツ 共に新型戦車を必要としていることには変わりなく、アメリカではMBT-70の設計を見直し、20mm機関砲 を廃止するなど各部を簡略化、コストダウンしたXM803 が開発・試作されたが採用されず、アメリカ陸軍 の次世代戦車計画はXM815として再スタートし、後にXM1、M1エイブラムス 戦車の開発へと発展した。
西ドイツ ではレオパルト2 の開発と並行して、KPz.3(Kampf Panzer.3)開発計画の一環として、KPz.70の車体を流用して2門の主砲 を備えた突撃砲 スタイルのDRK (Doppelrohr-Kasemattpanzer、連装砲身式ケースメイト 戦車)や、マルダー歩兵戦闘車 の車体にオーバーヘッド砲塔を搭載したVTS-1 (Versuchsträger Schützenpanzer 1)が試作されたが、これらも試作のみに終わった。
MBT-70、KPz.70共にアメリカ とドイツ の博物館 に展示されている車両があるが、アメリカで展示されているMBT-70のうちの何両かは、装甲 に開発仕様で定められた材質を使用していない走行試験用試作車であり、総重量を同一にするために重量調整用のウェイトが装着されている。
特徴
本車両は、当時の最新技術が数多く導入された。主な物としては1,500馬力の高出力ディーゼルエンジン ・射撃管制装置 と夜間暗視装置 ・自動装填装置 の採用による乗員の削減・車高を自由に変えられる油圧 式可変サスペンション ・装甲 材料も含めた各所への軽合金の使用など、後の戦後第3世代戦車 に用いられる特徴を多く備えていた。
なお、MBT-70とKPz.70ではエンジン およびトランスミッション 、サスペンション 、火器管制装置 が異なっている他、前照灯などの細部が異なっている。
車体・砲塔
車体高を極力低く抑え、また、車体の前後長を詰めてコンパクトにするために乗員は操縦士 を含め全員砲塔 内に収まっている。操縦席は独立したカプセル 状で、砲塔の旋回位置にかかわらず操縦席正面は常に車体の進行方向を向くように指向されている。この自動指向装置は車体進行方向の他、後方そして前方左右それぞれ50度ずつ動かした位置[ 注 1] で固定することが可能となっていた。しかし、この機構は操縦系統はすべて電気信号により接続されている(直接・機械的には接続されていない)ため、電気系統に故障や損傷が生じた際には操縦不能になってしまうこと、砲塔や車体が動くことによって操縦席が回転しながら左右に振られるため、操縦者が方向感覚を喪失する見当識障害 を起こす懸念があった[ 1] 。また、車体部の低い位置ではなく高所にあるために視界が開けていることや、後進の際に操縦者は直接進行方向(後方)を見て操縦できるといった利点の反面、旋回位置によっては砲塔上の他の構造物で視界が阻害されるために車体前方方向の視野がほとんど確保できない、という問題があった。操縦士の前方視界を補うため、車体前面左側には装甲 カバー付きのTVカメラが装備された。
冷戦 下の戦闘車両 として対NBC兵器 防護能力も重視されており、シュノーケル による水中走行能力も有している。
武装
主砲 は、当初はアメリカ が開発したMGM-51 シレイラ 対戦車ミサイル も発射可能なXM150E5 152mmガンランチャー とXM150自動装填装置 を搭載する予定だったが、西ドイツ 側は独自に開発したラインメタル 社製120mm滑腔砲 と独自の自動装填システムの搭載を主張。XM150システムはテスト段階で問題を多発させたが、アメリカ側はガンランチャーシステムの搭載に拘り、結局西ドイツ側が折れる形でアメリカ側の要求どおり152mmガンランチャーを装備することになった[ 2] [ 注 2] 。
このXM150システムはM551シェリダン やM60A2パットンに搭載されたM81 152mmガンランチャーシステムをベースに長砲身化などの改良を加えたもので、先述したシレイラ対戦車ミサイルの他、通常弾としてHEAT-MP やAPFSDS なども発射可能であった。砲にはレーザー距離計測装置 が装備されており、暗視装置 を備えた照準装置 は車長 用・砲手 用共に独立したものが装備されている。主砲は火器管制装置 に制御されるサーボモーターによって高度に安定化されており、走行間射撃を可能としていた。
主砲同軸 には7.62mm機関銃 M73 (MBT-70。KPz.70では7.62mm機関銃 MG3 )が装備され、砲塔 上面左側には副武装 として遠隔操作 式のラインメタル RH202 20mm機関砲 が装備されている。しかし、20mm機関砲には高度な火器管制装置が備えられておらず、対空用としては実用性が不十分であった上に、対地用としても至近距離の目標を狙い辛いという問題があり、テストの結果では装備の有効性は疑問であるとされていた。
砲塔側面後部の左右には発煙弾発射筒 が装備されている。発射筒はMBT-70では8基(片側4基)、KPz.70では16基(片側8基)が装備されていた。
主武装であるXM150 152mmガンランチャー
152mmガンランチャーの閉鎖器(砲尾装填部)
シレイラ対戦車ミサイルのシステム説明図
20mm機関砲用の照準装置
防御
装甲 にはHEAT弾 や対戦車ミサイル にある程度対抗できる中空装甲 (スペースドアーマー)を採用した。HESH弾 に対抗するためにスポールライナー を装着している他、装甲材にチタニウム を使用していたという考察もあるが、装甲に関しては資料が完全には公開されていないため、現在でも詳細は不明である。
ただし、同時期にイギリスで開発中であったチョバム・アーマー (複合装甲)について考慮した形跡は見当たらず、MBT-70を含む第2世代以後の戦車群が防御面から種々の特殊形態や懸架装置ギミックを試行錯誤したのと比べ、複合装甲を導入した第3世代主力戦車が軒並みオーソドックスな形態へ回帰した事実を鑑みると、MBT-70の防御思想は第2世代の延長レベルにとどまっている。
生残性向上のための工夫として、乗員のいる居住ブロックと弾薬 を保管してあるブロックを完全に分離、被弾時に弾薬貯蔵部 を切り離すシステムや、特殊な防火ドアなど乗員の生残性を高める技術が数多く盛り込まれた[ 注 3] 。
機関
エンジン にはコンチネンタル AVCR-1100 4ストローク V型12気筒 空冷 ディーゼルエンジン を搭載し、これは、50トンの重量に対して1,475馬力という、当時としては破格の高出力を発揮することができた。対重量比馬力も29.5hp/tと、今日の戦車 でも充分通用する値を記録、最高速度も65km/hと申し分無く、後退時も前進時と代わらない速度で移動できたという。しかし、ピストンヘッドを油圧 で可動させることにより圧縮比を可変できる"可変圧縮比エンジン "という新機構を採用したためにトラブルが多発し、大馬力の空冷ディーゼルエンジンは騒音が異様に大きい上に冷却効率が悪く、トランスミッション 共々エンジンの故障が多発し、ドイツ 仕様のKPz.70ではダイムラー・ベンツ 社の開発した液冷 ディーゼルエンジン(機関出力1,500馬力)と変速機を搭載した。ドイツ側はアメリカ にも自国仕様のエンジンと変速機の装備を提案したが、アメリカはこれを退け、トラブルと高コストに悩まされながらも自国製のエンジンを使用した。
エンジンおよびトランスミッションは一体化して車体から15分程度で取り外しができる"パワーパック"方式が導入されており、これは、野戦 での整備性の向上に大いに役立つとされたが、皮肉なことに開発時のエンジントラブルの多発に対処する際にとても有用であったという。
走行装置
油圧 式可変サスペンション は、「車高が低ければ低いほど敵弾の命中率が下がる」という思想のもとに導入された。これは、1.8mまで車高を下げる事が可能であり、後部だけを上げれば車体を隠したハルダウン (稜線射撃)が可能で、反対に下げれば大角度での射撃も可能となった[ 注 4] 。
更に、走行中の車体の動揺に応じて自動的にサスペンションを可動させて車体の安定を保つアクティブサスペンション 機構が備えられていた。これにより、主砲 の安定装置と併せて高速で走行しながらの射撃やミサイル の誘導も可能であるとしていた。しかし、これもサスペンション部のトラブルが多発し、KPz.70に関しては西ドイツ が独自で開発した簡略型の油圧可変サスペンションを導入する事となった。
計画された派生型
XM742装甲回収車
装甲回収車 型。
XM743架橋戦車
積載重量60tのXM744突撃橋 を搭載する架橋戦車 。
XM743戦闘工兵車
165mm破砕砲 を搭載する戦闘工兵車 型。
HET-70
MBT-70の共同開発と並行して、MBT-70を運搬可能な新型の戦車運搬車 としてHET-70 (Heavy Equipment Transporter 70)の共同開発もアメリカ合衆国と西ドイツとで進められたが、MBT-70の開発中止に伴いHET-70の共同開発も停止された[ 6] 。
アメリカ側はHET-70で開発した試作車を元にM746 HET (英語版) として実用化し、西ドイツでも同様にHET-70の開発を発展させたSLT 50 エレファント 戦車運搬車を開発し、実戦配備した[ 6] 。
ギャラリー
MBT-70
KPz.70
登場作品
アニメ
『ノラと皇女と野良猫ハート 』
第4話に貧乳 チームの攻撃兵器として登場し、ガンランチャー で砲弾と猫化した主人公ノラを発射する。外見こそ90式戦車 風に見えるがモノローグ「ネコのお考え」で本車であることが語られる。
漫画
『成恵の世界 』
120mm砲と複合装甲 を装備した「M70A3」として登場。トラブルが多く、M1エイブラムス に主力の座を明け渡したが、現在もドイツ とアメリカ が使用しているとされる。
ゲーム
『Wargame Red Dragon 』
NATO 陣営のアメリカ軍 デッキで使用可能な戦車 として登場する。
『World of Tanks Blitz 』
Tier9 ドイツプレミアム重戦車 として「KpfPz 70」の名称で登場。
『メタルギアソリッド ピースウォーカー 』
プレイヤーに立ちはだかるCIA 傭兵 の戦車としてエクストラミッションに登場。アメリカ 仕様のMBT-70と西ドイツ 仕様のKPz.70が登場する(アメリカ仕様のゲーム内での名称は「MBTK70」)。全ボス戦共通で車体側面に弱点として燃料タンクが装備されている。(東側の戦車、装甲車は車体後部)
『メタルマックス3 』
プレイヤーが入手できる戦車として「MBT77」の名称で登場。
『War Thunder 』
ドイツ/アメリカ陸軍ツリーのランク6に中戦車という分類で登場する。
脚注
注釈
^ これは前/左/右方向に計3基ある視察装置のうち前面方向のものが破損した際に他のもので代用するためのものである。
^ 結局ガンランチャーシステムはM60A2 やM551 に採用されたものの限定的な使用に止まり、今日では120mm滑腔砲 が世界の主流となっている
^ こうした生残性向上のためのシステムは、後に被弾時には弾薬庫の天井部が吹き飛び爆圧を逃す事により被害を抑える「ブローオフパネル」に発展、その後開発されたM1 エイブラムスなどに採用されている。
^ 本車以前にスウェーデン のStrv.103 が、後に陸上自衛隊 の74式戦車 も全サスペンションを油圧式としている。
出典
参考文献
Hunnicutt, Richard Pearce (1990). Abrams - A History of the American Main Battle Tank. Presidio Press. ISBN 0-89141-388-X .
月刊PANZER 2005年2月号(第394号) アルゴノート社 2005年
特集「MBT70/Kpz.70の再評価」著:白石光 p.30-45
p.41-63 第2章「KPz70」
p.58-59 「XM803」
月刊グランドパワー 2014年8月号 ガリレオ出版 2014年
「MBT70の開発と構造」
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、
MBT-70 に関連するメディアがあります。
外部リンク