フランス軍のソミュア S35騎兵戦車(20トン級)やルノーB1重戦車(30トン級)、イギリス軍のマチルダI / マチルダII歩兵戦車(30トン級)には至近距離から側面や背面を狙わないと太刀打ちできなかった[要出典]。特にアラスの戦いにおいてはイギリス軍のマチルダII戦車部隊の進撃を止めることができず、一時はベルギー付近に集結させた英仏軍主力部隊の包囲網を突破される危険すらあった。この場は88mm高射砲の水平射撃によってマチルダIIを撃破し危機を脱したが、この時の醜態からPaK 36にはHeeresanklopfgerät(「陸軍のドアノッカー」。単に「ドアノッカー」とも)の蔑称がつき、PaKとは Panzerabwehrkanone (対戦車砲) ではなく Panzeranklopfkanone (戦車ノック砲) の頭文字だとのジョークも生まれた。フランス戦終結後のドイツ国防軍はより大口径の5 cm PaK 38の配備を開始した。
PaK 38の生産開始後、PaK 36向けにタングステン芯入りの新型徹甲弾PzGr40が開発され供給されたが、1941年のバルバロッサ作戦でソビエト連邦への侵攻を開始したドイツ軍は、新型のT-34中戦車(30トン級)やKV-1重戦車(45トン級)と相まみえた。その結果、PaK 36では至近距離であっても、どの方向から何十発も命中弾を与えても貫通させるのが困難であると判明した。ドイツ側の記録によると、車体側面後部が地面の傾斜で垂直になったところを狙う、車体前方機銃の銃眼や操縦士用ハッチのペリスコープといった小さな急所をピンポイントで狙う、といった手段をとる他に擱座させるチャンスはなかったという。[1]また、鹵獲したPzGr40を用いてのソ連軍による耐弾試験では、T-34の車体側面下部(転綸の背後にある傾斜のない箇所)対し命中角0度で400m以内、砲塔側面で150m以内で貫通可能であったと記録されている。[2]しかし後継であるPaK 38の配備は不十分であり、更なる新型の7.5 cm PaK 40の配備が始まる1942年までは、第一線の対戦車部隊で使用されていた。
^Chamberlain, Peter, and Hilary L. Doyle. Thomas L. Jentz (Technical Editor). Encyclopedia of German Tanks of World War Two: A Complete Illustrated Directory of German Battle Tanks, Armoured Cars, Self-propelled Guns, and Semi-tracked Vehicles, 1933–1945. London: Arms and Armour Press, 1978 (revised edition 1993). ISBN1-85409-214-6