1990年フランスグランプリ(仏: 1990 Grand Prix de France)は、1990年F1世界選手権の第7戦として、1990年7月8日にポール・リカール・サーキットで決勝レースが開催された。
概要
ポール・リカールにおけるフランスGP開催は今回が最後となり、1991年から新設されたマニ・クールに舞台を移した。フランスGPは2008年をもって一旦カレンダーから外れ、2018年から再びポール・リカールで復活することになる。なお、1990年は路面が再舗装され、スムーズな路面が「レイトンハウス勢の快走」というドラマを演出することになった。
予選
予選2列目まではマクラーレンとフェラーリの二強が分け合った。フェラーリは新型037エンジンを予選用として投入し、ナイジェル・マンセルがポールポジションを獲得。マンセルのポールはウィリアムズ-ホンダに在籍していた頃の1987年メキシコGP以来2年9カ月ぶりとなった。1989年ベルギーGPから続いてきたマクラーレン勢の連続ポールは12戦でストップした。
前戦メキシコGPで2台とも予選落ちしたレイトンハウスは、今回空力を改良したCG901Bを持ち込み、イヴァン・カペリが7位、マウリシオ・グージェルミンが10位で2台ともトップ10入りした。
予備予選
予選
決勝
夏のヨーロッパラウンドの幕開けとなる南仏ポール・リカールは、陽炎が立ちのぼる快晴、高温のコンディションとなった。
前年、スタート直後にマルチクラッシュが起きた1コーナーでは、今年は混乱は起きなかった。続くミストラルストレートでベルガーがマンセルをパスして首位に浮上。2周目にはセナもマンセルを抜いてマクラーレンがワンツー体制に持ち込んだ。しかし、先頭ベルガーのペースが上がらず、セナ、マンセル、ナニーニまでの4台が先頭集団を形成。以下、パトレーゼ、プロスト、ピケ、アレジ、カペリまでが10秒差以内で周回を重ねた。
80周レースの20周を過ぎると、各車がタイヤ交換のタイミングを迎えた。28周目にピットインしたベルガーは左リアタイヤの交換に12.7秒を要した。30周目にセナもピットインしたが、またも左リアタイヤ装着に16.6秒もかかってしまい、マクラーレンの2台は優勝争いから後退した。
33周目、パトレーゼが上位勢で最後にピットインすると、タイヤを交換していないレイトンハウスのカペリとグージェルミンがワンツー走行となり、3位プロスト以下、ナニーニ、マンセル、セナ、ピケ、ベルガー、パトレーゼと順位が変動した。「タイヤ1回交換」がセオリーと思われていた中、レイトンハウスは硬めのタイヤで80周を走り切る作戦を選んでいた。
2位グージェルミンは20周近くプロストを抑えていたが、54周目にプロストに抜かれ、58周目にエンジン故障でリタイアした。プロストはすぐにカペリに追いついたが、ミストラルの最高速が伸びるレイトンハウスを攻め切れず、カペリの初優勝が見えてきた。72周目には7位のマンセル、75周目には3位のナニーニがリタイア。カペリのマシンも油圧が低下し始め、プロストが最後のチャージをかける。78周目、高速「シーニュ」でぴたりと背後につき、続く「ボーセ」への飛び込みでインに入り、残り3周でトップに浮上。地元観衆の歓声を浴びながらチェッカーを受け、ポイントランキング首位のセナに3点差まで接近した。この2年間、チームの低迷に苦しんできたカペリは、2位表彰台でこぼれる涙をぬぐった。
プロストのフランスGP制覇は3年連続5回目。F1世界選手権が開幕した1950年から40年間参戦してきたフェラーリは、この勝利によって通算100勝に到達した。
結果
レース後の選手権順位
- ドライバーズ・チャンピオンシップ
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- コンストラクターズ・チャンピオンシップ
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脚注