1988年の野球(1988ねんのやきゅう)では、1988年の野球界における動向をまとめる。
競技結果
日本プロ野球
ペナントレース
日本シリーズ
1988年 日本シリーズ
日付 |
試合 |
ビジター球団(先攻) |
スコア |
ホーム球団(後攻) |
開催球場
|
10月22日(土) |
第1戦 |
西武ライオンズ |
5 - 1 |
中日ドラゴンズ |
ナゴヤ球場
|
10月23日(日) |
第2戦 |
西武ライオンズ |
3 - 7 |
中日ドラゴンズ
|
10月24日(月) |
移動日
|
10月25日(火) |
第3戦 |
中日ドラゴンズ |
3 - 4 |
西武ライオンズ |
西武ライオンズ球場
|
10月26日(水) |
第4戦 |
中日ドラゴンズ |
0 - 4 |
西武ライオンズ
|
10月27日(木) |
第5戦 |
中日ドラゴンズ |
6 - 7 |
西武ライオンズ
|
優勝:西武ライオンズ(3年連続8回目)
|
個人タイトル
ベストナイン
ゴールデングラブ賞
高校野球
大学野球
社会人野球
できごと
1月
2月
3月
4月
5月
6月
- 6月7日
- 6月10日 - 阪神は定例株主総会・取締役会を開き、球団社長兼球団代表の岡崎義人が退任し、後任の球団社長に阪神電鉄本社副社長の見掛道夫、球団代表に球団本部長の古谷真吾、新球団本部長に阪神電鉄本社関連事業室次長の高田順弘が就任することを決定[31]。
- 6月12日
- 南海の門田博光が新潟球場で対近鉄9回戦の2回裏に16号本塁打を放ち、プロ通算450本塁打を達成[32]。
- 阪神の佐野仙好が甲子園球場での対巨人9回戦の9回裏に代打として出場し、プロ通算1500試合出場を達成[33]。
- 6月14日 - 巨人の呂明賜が神宮球場での対ヤクルト10回戦に6番・右翼手として一軍初出場。1回表にボブ・ギブソンから初打席初本塁打[34]。
- 6月15日 - 近鉄の淡口憲治が対阪急10回戦に出場し、プロ通算1500試合出場を達成[35]。
- 6月18日
- ヤクルトのダグ・デシンセイが平和台球場での対広島9回戦の9回裏に13号2点本塁打を打ち、プロ野球史上初の2試合連続逆転サヨナラ本塁打を記録[36]。
- 阪急の藤田浩雅が対南海13回戦、6-7とリードされた9回裏無死満塁で代打で起用され、プロ野球史上5人目の代打逆転サヨナラ満塁本塁打となる5号を打つ[37]。
- 阪神の掛布雅之が甲子園球場での対大洋13回戦の7回裏に適時打を放ち、プロ通算3000塁打を達成[38]。
- 6月22日 - 中日は広島球場での対広島13回戦で落合博満が8回表に15号本塁打を放ち、球団創設以来5000本塁打を記録[39]。
- 6月23日 - 【MLB】ニューヨーク・ヤンキースは監督のビリー・マーチンを解任、後任の新監督はルー・ピネラ[40]。
- 6月27日
- 阪神は午後7時にアメリカ・サンフランシスコに滞在中のランディ・バースに対し契約解除を通告。午後9時に西宮市の球団事務所にて記者会見しバースとの契約解除を正式に発表。バースは5月14日に長男の病気を理由に帰国、「最大5週間以内に日本に戻る」と約束したが、今だ再来日の目途が立たないとして契約解除に踏み切った[41]。
- コミッショナーの竹内寿平が東京・銀座の日本野球機構会議室で行われたプロ野球実行委員会にて、健康に自信が持てず重責に耐えられないとして辞任を申し出、了承される[42]。
- 6月28日
- 6月29日 - 近鉄は中日から金銭トレードで獲得したラルフ・ブライアントの入団を発表[45]。
- 6月30日 - 巨人の簑田浩二が甲子園球場での対阪神12回戦の2回表に5号満塁本塁打を放ち、プロ通算200本塁打を達成[46]。
7月
8月
9月
10月
- 10月1日 - プロ野球実行委員会、オーナー会議が大阪市北区の大阪ロイヤルホテルにて正午から開かれ、南海ホークスのダイエーへの譲渡を承認[78]。
- 10月2日
- 大洋の野村弘樹が横浜スタジアムでの対広島24回戦に先発し、1946年のセネターズの白木義一郎以来プロ野球2人目の初登板・無四球完封勝利を記録[79]。
- 中日の落合博満がナゴヤ球場での対阪神23回戦の3回裏に30号本塁打を放ち、プロ通算300本塁打を達成[80]。
- ヤクルトの杉浦亨が東京ドームでの対巨人26回戦の5回表に17号本塁打を放ち、プロ通算200本塁打を達成[81]。
- 巨人の原辰徳が東京ドームでの対ヤクルト26回戦に出場し、プロ通算1000試合出場[82]。
- 10月4日 - 阪神の和田豊が広島球場での対広島25回戦の1回表に送りバントを決めてシーズン52個目の犠打とり、シーズン最多犠打の記録を更新[83]。
- 10月6日 - 中日の郭源治がナゴヤ球場での対ヤクルト24回戦にリリーフ登板して35セーブ目を挙げ、1シーズン最多セーブのプロ野球記録を更新[84]。
- 10月7日 - 中日対ヤクルトの第25回戦がナゴヤ球場で行われ、中日がヤクルトに11-3で勝利し、セ・リーグ優勝が決定[85]。
- 10月10日 - 阪神の掛布雅之の引退試合が阪神甲子園球場のダブルヘッダー第2試合の大洋26回戦で行われ、掛布は4打数0安打、最終打席は四球[86]。
- 10月11日 - 西武の行沢久隆が大阪球場での対南海25回戦の七回裏から三塁の守備につき、プロ通算1000試合出場を達成[87]。
- 10月16日 - 西武は西武球場での対阪急26回戦に2-1で勝ち、全日程を終了。パ・リーグの優勝は近鉄の残り4試合の結果次第となる[88]。
- 10月18日 - 広島の高橋慶彦が神宮球場での対ヤクルト25回戦の5回表に二盗、本盗を決め、プロ通算450盗塁を達成[89]。
- 10月19日
- 川崎球場でロッテ対近鉄のダブルヘッダー25、26回戦が行われ、近鉄が第2試合の対ロッテ26回戦に延長10回4-4の時間切れとなったため、西武が勝率で近鉄を上回り、西武の4年連続リーグ優勝が決まる(詳細は10.19参照)[90]。
- 阪急は阪急電鉄社長の小林公平とオリエント・リース社長の宮内義彦が大阪市内のホテル新阪急にて記者会見し、球団を阪急電鉄からオリエント・リースに譲渡することで基本合意したと発表[91]。
- 10月21日
- 広島は広島市内のホテルにて記者会見し、球団OBで野球評論家の山本浩二が新監督に就任したと正式に発表[92]。
- セ・リーグは公式戦全日程が終了[93]。
- 10月23日
- 阪急の松永浩美が西宮球場での対ロッテ25,26回戦の2試合で全打席四球となり、11打席連続四球のプロ野球新記録[94]。
- パ・リーグシーズン公式戦全日程が終了[95]。
- 10月24日 - 沢村栄治賞の選考がパレスホテルにて行われ、広島の大野豊を選出。これまでセ・リーグを対象とした選考をパ・リーグにも広げる意見が出され全会一致で同意[96]。
- 10月27日 - 日本シリーズの第5戦が西武球場で行われ、西武が中日に延長11回裏伊東勤のサヨナラ適時打で7-6で勝利し、4勝1敗で3年連続日本一を達成[97]。
- 10月28日 - 巨人は東京・パレスホテルにて記者会見し来季一軍コーチングスタッフを発表。ヘッドコーチに近藤昭仁が就任[98]。新監督の藤田元司は球団と正式に契約を交わし、3年契約を結ぶ[99]。
- 10月29日 - 1988年度のセ・パ両リーグの最優秀選手、最優秀新人、ベストナインを決める記者投票の開票が行われ、最優秀選手にパ・リーグは南海の門田博光、セ・リーグは中日の郭源治、最優秀新人にパ・リーグは西武の森山良二、セ・リーグは中日の立浪和義を選出[100]。
- 10月31日 - 近鉄の梨田昌孝が記者会見し、今季限りでの現役引退を正式に表明[101]。
11月
12月
誕生
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
死去
その他
- テレビゲーム
出典
外部リンク
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