1951年スペイングランプリ (XI Gran Premio de España) は、1951年F1世界選手権の最終戦として、1951年10月28日にペドラルベス・サーキットで開催された。
レース概要
このレースはタイヤ選択で決定した。フェラーリは16インチの後輪を選択した。一方アルファロメオは、2つの選択肢から18インチを選択した。レース前、ファン・マヌエル・ファンジオはアルベルト・アスカリに対して2ポイントリードしていた。決勝でアスカリはフロイラン・ゴンザレスを従えてレースをリードしたが、フェラーリはトレッドの問題を多数抱えていた。ピエロ・タルッフィは6ラップ目にタイヤを交換し、ルイジ・ヴィッロレージが7ラップ目でこれに続いた。アスカリは8ラップ目、ゴンザレスは14ラップ目に交換を行った。フェラーリはタイヤ交換のため頻繁なストップを強いられ、ファンジオは初タイトルを余裕で勝ち取った。レース後、アルファロメオは資金不足のため翌シーズンは参戦しないことを発表した。
エントリーリスト
- ^1 - ピーター・ホワイトヘッドとレグ・パーネルは共にプラクティス前に撤退した[3]。
- ^2 - ファン・ホーバーはマセラティの46番車で予選を通過したが、決勝には参加しなかった。ホアキン・パラシオは46番車でエントリーしたが、プラクティス前に撤退した[3]。
- ^3 - トニ・ブランカはプラクティス前に撤退した。チコ・ランディは48番車でエントリーしたが、彼もプラクティス前に撤退した[3]。
結果
予選
決勝
注
- デビュー戦:パコ・ゴディア、ジョルジュ・グリニャール
- 本レースまでに2名のドライバー、ファンジオが27ポイント、アスカリが25ポイントでタイトルを争っていた。
- ファンジオのタイトル獲得条件:アスカリより上位でフィニッシュ。:アスカリが3位以下。
- アスカリのタイトル獲得条件:優勝:2位入賞かつファンジオが3位以下。
第8戦終了時点でのランキング
- 注:トップ5のみ表示。ベスト4戦のみがカウントされる。ポイントは有効ポイント、括弧内は総獲得ポイント。
参照
Unless otherwise indicated, all race results are taken from “The Official Formula 1 website”. 2007年6月5日閲覧。