鹿児島市立鹿児島玉龍中学校・鹿児島玉龍高等学校(かごしましりつかごしまぎょくりゅうちゅうがっこう・かごしまぎょくりゅうこうとうがっこう)は、鹿児島県鹿児島市池之上町にある市立中学校・高等学校。通称は「玉龍」。
概要
- 校訓
- 潑剌(体) - 身体を鍛錬し、常に溌剌と気力にみちてあれ。
- 躍進(知) - 学問に沈潜し、知識を磨き、日々躍進せよ。
- 玲瓏(徳) - 実践を重んじ、修養に励み、玲瓏の若人となれ。
- 校章
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旧制市立中学 校章
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旧制市立高女 校章
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旧制鶴嶺高女 校章
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鹿児島玉龍高校 校章
- 校名の由来
本校が玉龍山福昌寺跡に位置するため。
- 玉中戦(中玉戦、鹿児島玉龍高校・鹿児島中央高校スポーツ交歓会)
- 進路・進学
1958年度、国公立大学合格者数が県内一で、1950年から2016年までの東大合格者は68名。
2012年からは、玉龍中1期生-5期生において、東大合格者を1名ずつ。また、他にも京都大学・九州大学・鹿児島大学などに合格者多数。
- 中高一貫教育
- 2006年度より鹿児島市立鹿児島玉龍中学校を併設した。
- 県内初の併設型公立中高一貫教育校。
- 高校2年生からは文理クラス編成。また、高校1年生では、習熟度別クラスが2クラス。
- 中学校と高校にて相互教育(教員乗り入れ)を行っている。また,中学2年生からは英語と数学にて習熟度別編成クラス。
- 選抜方法
中学校では市内全域を通学域とし,入学者募集を実施している。定員を超えた場合は毎年1月に作文・総合問題・面接による選抜を実施する。高校へは中学生全員が無選抜で入学することができる。高校から入学するには、鹿児島県公立高校入試において合格する必要がある。募集人数は定数240名の内玉龍中からの内部進学生を除いた数であり、約120名となる。
- 中学校倍率
- 1期生 2006年度入試11.23倍
- 2期生 2007年度入試 6.57倍
- 3期生 2008年度入試 5.7倍
- 4期生 2009年度入試 5.17倍
- 5期生 2010年度入試 5.28倍
- 6期生 2011年度入試 5.5倍
- 7期生 2012年度入試 5.35倍
- 8期生 2013年度入試 5.81倍
- 9期生 2014年度入試 5.58倍
- 10期生2015年度入試 5.4倍
- 生徒数
中学校は1学年3クラスで各120名の360名、高校は1学年6クラスで各240名の720名在籍している。
- 施設設備
- 第一・第二体育館
- 屋内プール
- 購買部・学生食堂
- 多目的ホール(安田ホール) - 中高問わず自由に学習することができる。
- 中学生用特別教室棟
- 芸術棟
- 部活動
複数回の全国大会(甲子園、花園、高校総体等)出場経験を有する部がある(野球部、ラグビー部、バレー部、弓道部、剣道部、陸上部、放送部など)。
- 野球部・・・春の甲子園に3回、夏の甲子園に4回出場し最高戦績は夏の甲子園8強。
- ラグビー部・・・花園に7回出場し、最高戦績は8強。
- 男子バレーボール部・・・春高バレーにおいて2度(第1,3回大会)4強進出経験があり、高校総体にも複数回出場。
- 剣道部・・・男女とも昔から県でベスト4
に入る強豪。インターハイ出場経験もある。
- 中学校では数々の部活動が高校と協力しながら活動し、2012年鹿児島県中学生総合体育大会に出場する部もある。2013年には、男子バドミントン部が、九州大会に出場。
合唱部 2020年 2022年に声楽アンサンブルコンテスト全国大会に出場
- 体育祭
玉龍の体育祭は毎年9月に実施する。中高一緒に開催し高校生は学年色,中学生は3学年分の同クラスで三色の計六チームで活動する。
- 特色ある教育
玉龍中では、中高一貫教育を生かして、様々な工夫が行われている。
- 授業編成……通常の時数よりも多めに設定されており、週32時間。
- 発展的学習……数学などでは、中学3年にて数1の内容を履修。
- アクセス
- 同窓会
関東玉龍会・関西玉龍同窓会・福岡玉龍会
沿革
第二次世界大戦中の国家状況を反映して、軍関係への志望者が増加、それに伴って中学校(旧制)進学希望者数も増加したが、当時鹿児島市内の旧制中学校は公立2校(一中と二中)、私立1校(鹿中)のみであったため、市議会の議決により設立に至った。
第二次世界大戦終戦直後の時点で鹿児島市の管轄下にあった、鹿児島市立中学校、鹿児島市立高等女学校、(私立鶴嶺高等女学校
)、鹿児島商業学校、鹿児島市立女子興業学校などの学校が、終戦後の混乱を経て、鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校、鹿児島市立鹿児島商業高等学校、鹿児島市立鹿児島女子高等学校へと再編された。
- 鹿児島市立中学校
- 1940年2月 - 鹿児島市立中学校・鹿児島市立高等女学校新設計画案が市議会にて可決
- 1940年4月16日 - 鹿児島市稲荷町に第二高等小学校校舎として予定新築された建物[2]を市立中学校校舎とし、第一回入学式挙行(4学級200名)
- 1948年4月 - 学制改革に伴い、鹿児島市高等学校第一部と改称
- 鹿児島市立高等女学校
- 1940年4月10日 - 鹿児島市天保山町の八幡小学校校舎[3]を市立高女校舎とし、第一回入学式挙行(4学級212名)
- 1945年10月 - 校舎焼失のため、バラック校舎を建築、鶴嶺高女と中郡小学校の一部を借りて授業再開
- 1948年4月 - 学制改革に伴い、市立鹿児島商業と私立鹿児島中学を合併、鹿児島市高等学校第三部と改称
- 私立・鶴嶺高等女学校
- 1896年 - 島津サエ子により鹿児島市平之町にて鶴嶺女学校開校
- 1909年 - 鹿児島市清水町[4]へ移転
- 1919年9月 - 実科を併設し、鶴嶺女学校及び鶴嶺実科高等女学校となる
- 1920年3月 - 実科女学校を鶴嶺高等女学校と改称する
- 1940年3月 - 鶴嶺女学校及び鶴嶺高等女学校を市に移管
- 1946年4月 - 鹿児島市立高等女学校に吸収合併
- 鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校
- 1950年4月 - 鹿児島市高等学校改組に伴い、第一部と第三部普通科が統合し「鹿児島県玉龍高等学校」と改称。全日制普通科課程、男女共学として発足、新たな校地として玉龍山福昌寺跡への移転が決定、工事開始。校舎完成までは市高等学校第一部校舎[2]を使用。なお、第一部商業科と第三部女子商業科とが統合し、鹿児島県鹿児島商業高等学校と改称
- 1951年1月 - 現在地に移転
- 1951年2月 - アメリカ民事部主催の学校図書館コンクールにて県下第一位となる
- 1952年5月11日 - この日を本校の開校記念日と定め、「勧学祭」を実施[5]
- 1954年11月 - 全校舎の新築落成、落成式挙行
- 1957年 - 鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校と改称
- 1965年 - 校訓の制定
- 2006年 - 鹿児島玉龍中学校を併設、中高一貫校となる
- 2012年3月 - 鹿児島玉龍中学校1期生が高等学校(62期生)を卒業
関係者一覧
著名な出身者
- 政治・行政
- 社会運動・社会活動
- 経済・実業
- 報道・マスコミ・ジャーナリズム
- 学術・研究・文筆
- 芸術・クリエーター・芸能
- スポーツ
著名な教職員
- 島津長丸(旧制鶴嶺女学校・鶴嶺高等女学校校長) - 国会議員(貴族院)、治子の夫
- 島津治子 (旧制鶴嶺女学校・鶴嶺高等女学校校長) - 教育者、社会活動家、長丸の妻
- 池田清志(旧制鶴嶺高等女学校教諭) - 官僚(官選栃木県知事)、国会議員(衆議院)
関連項目
参照文献
脚注
- ^ 鹿児島中央高等学校側からは中玉戦と呼ばれる
- ^ a b 現・清水中学校校舎
- ^ 現・天保山中学校敷地
- ^ 現・県職員清水公舎周辺
- ^ なお、当日は玉龍山福昌寺を開山した石屋真梁禅師の命日に当たる
外部リンク