草野 大悟(くさの だいご、1939年〈昭和14年〉9月7日[1] - 1991年〈平成3年〉2月27日[1])は、日本の俳優。台湾・台中市出身。妻は元女優の田島和子[2]。
鹿児島県で幼少期を過ごし[2]、1958年に明治大学に入学するが、すぐに中退した。
1961年、文学座附属演劇研究所に入所する。同期に岸田森、樹木希林、小川真由美、寺田農、橋爪功、北村総一朗らがいた[2]。翌年に準座員として文学座に入団、1966年に座員へと昇格する。文学座の看板・杉村春子にも可愛がられたという[2]。1963年に文学座の内紛に発展した『喜びの琴』では主役に抜擢されていたとされる[3]。1967年に文学座を退団し、その前年に草野に先駆けて文学座を離れていた岸田らが結成していた「六月劇場」に参加[2]、以降は映画・テレビドラマへの出演も多くなる[2]。
舞台を中心に活躍する傍ら、岡本喜八、新藤兼人両監督の映画作品に常連として数多く出演した。また、勝新太郎との親交も深かったことから、勝プロ製作のテレビ・映画にも頻繁に登場した。私生活でも大の親友だった岸田や、六月劇場の後輩・松田優作との共演も多数ある。岸田は草野にとって、鹿児島訛りを直し標準語を教えた先生だったという[2]。脇役が多いが、『日本人のへそ』(1977)などは出番も多く、数役を兼ねて多彩な演技パターン(踊りや歌も)を披露した代表作である。
ラジオドラマやナレーション、朗読劇などでも活躍した。小山田宗徳に声が似ていたため、間違われることもあったという。
1991年2月24日、TBSラジオ『ラジオ図書館』の収録中に意識を失って緊急入院し、2月27日、脳内出血のため急死した[2]。51歳没。
東宝の特撮映画『ゴジラ対メカゴジラ』(1974年)では、正体が猿人のような顔の宇宙人を演じた。宇宙人を猿人キャラにしたことについては、同作の特技監督である中野昭慶は、「配役が草野さんということで、自然とそうなっちゃったんですよ」とコメントしている[4]。
岸田ともども若山富三郎に可愛がられ、新宿でよく飲んでいた[2]。
俳優の睦五朗によれば、草野は盟友である岸田森の葬儀の席で自身がともに深酒をしていたことで岸田を死に追いやったことを岸田の母に謝罪して朝まで泣き崩れていたといい、睦は悲痛なその姿が頭から離れないと語っている[5]。