鷹司 房輔(たかつかさ ふさすけ)は、江戸時代前期の公卿。左大臣・鷹司教平の子。官位は従一位・関白・左大臣。
従一位(1672年(寛文12年)1月5日叙)。内大臣(1658年 - 1661年)、右大臣(1661年 - 1663年)、左大臣(1663年 - 1667年)、摂政(1664年 - 1668年)、関白(1668年 - 1682年)などを歴任。
元禄13年(1700年)薨去。
房輔は最後の征夷大将軍徳川慶喜の女系共通祖先[2]にあたる。
中大兄皇子を摂政とみなすのは、『藤氏家伝』上巻に「〔斉明天皇〕悉以庶務、委皇太子。皇太子毎事諮決、然後施行」とあることによる。草壁皇子を摂政とみなすのは、『日本書紀』天武天皇10年2月25日条に「立草壁皇子尊、為皇太子。因以令摂万機」とあることによる。
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