鍋谷 友理枝(なべや ゆりえ、1993年12月15日 - )は、日本の女子バレーボール選手。
来歴
神奈川県川崎市出身、東京都大田区育ち。両親はともに青山学院大学バレーボール部の出身で、父は法政二高時代に春高バレー準優勝、大学でエーススパイカーとして活躍し、卒業後は実業団のNTT東北でプレーした。母も八王子実践高時代にセッターとして春高バレー準優勝の実績を持ち(1年上に大林素子)、大学4年時にキャプテンとして関東1部リーグ初優勝に貢献した[2][3]。バレーボール一家に生まれ、小学3年からバレーボールを始めた[4]。
淑徳SC中から大分県の東九州龍谷高校に進学。3年時には主将として第64回全日本バレーボール高等学校選手権大会優勝の原動力となり、自らも最優秀選手賞を獲得した[5]。
2011年12月、デンソーエアリービーズに入団が決定し[6]、2012年3月のファイナルラウンド3位決定戦(岡山シーガルズ戦)でプレミアデビューを飾った。
2012年9月、第3回アジアカップ女子大会の日本代表メンバーに選出された[7]。同年11月25日のJTマーヴェラス戦でリーグ戦デビュー。16得点(アタック11、ブロック3、サービスエース2)を挙げ、チームの逆転勝利に貢献した[8]。
2013年10月の第1回世界U23女子バレーボール選手権に日本代表として出場し[9]、銅メダル獲得に貢献した。
2016年リオデジャネイロ五輪に出場(5位)。
2018/19シーズンからデンソーでゲームキャプテンを務める[10]。
2019年4月の代表合宿中に顔面にスパイクを受け右眼球内から出血し、全治1ヶ月の「網膜振盪症」と診断された。同年6月のネーションズリーグから、右目の保護のためゴーグルを着用してプレーしている[11]。その後のワールドカップにも出場した。
2021年、ネーションズリーグにも出場したが、東京五輪代表の最終選考から漏れ、二大会連続の五輪出場とはならなかった[12][13]。同年7月、同じく最終選考から漏れた井上琴絵と共にデンソーを退団した[14][15]。同年8月、PFUブルーキャッツへの加入が発表された[16]。
2023年1月29日、V1女子のヴィクトリーナ姫路戦でVリーグ通算230試合出場を果たした[17][18]。それにより、V1女子ファイナル終了後、Vリーグ栄誉賞を受賞した[19][20]。
2023年4月24日、2022-23シーズンをもってのPFUブルーキャッツ退団を表明した[21][22]。退団前の大会となる第71回黒鷲旗大会でチームの優勝に貢献し、黒鷲賞(最高殊勲選手)を受賞した[23][24]。
PFU退団後、トヨタ車体クインシーズに移籍した[25]。
人物・エピソード
球歴
所属チーム
受賞歴
個人成績
Vプレミアリーグレギュラーラウンドにおける個人成績は下記の通り[29]。
シーズン |
所属 |
出場 |
アタック |
ブロック |
サーブ |
レセプション |
総得点 |
備考
|
試合 |
セット |
打数 |
得点 |
決定率 |
効果率 |
決定 |
/set |
打数 |
エース |
得点率 |
効果率 |
受数 |
成功率
|
2011/12 |
デンソー |
0 |
0 |
0 |
0 |
0.0% |
% |
0 |
0.00 |
0 |
0 |
0.00% |
0.0% |
0 |
0.0% |
0 |
内定選手
|
2012/13 |
28 |
72 |
590 |
168 |
28.5% |
% |
15 |
0.21 |
222 |
6 |
2.70% |
11.2% |
435 |
54.9% |
189 |
|
2013/14 |
チャレンジリーグの為、記録を記載せず。
|
2014/15 |
21 |
80 |
524 |
182 |
34.7% |
% |
25 |
0.31 |
325 |
10 |
3.08% |
10.9% |
413 |
55.0% |
217 |
|
2015/16 |
21 |
80 |
610 |
226 |
37.0% |
% |
37 |
0.46 |
295 |
12 |
4.07% |
13.7% |
625 |
55.5% |
275 |
|
2016/17 |
チャレンジリーグIのため、記録を記載せず
|
2017/18 |
21 |
80 |
750 |
285 |
3800% |
% |
17 |
0.21 |
322 |
28 |
% |
15.8% |
427 |
58.8% |
330 |
|
2018/19 |
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|
|
% |
% |
|
|
|
|
% |
% |
|
% |
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出演
YouTube
参考文献
- 月刊バレーボール2012年2月号 24-25ページ(日本文化出版刊)
脚注
外部リンク
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2000年代 |
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★は黒鷲賞、☆は敢闘賞 |