クインシーズ刈谷(クインシーズかりや、英: Queenseis KARIYA)は、愛知県刈谷市を本拠地とするトヨタ車体の女子バレーボールチームである。2024-25シーズンはSVリーグに所属。
概要
1951年に刈谷車体(現・トヨタ車体)社内にて9人制バレーボール部が設立されたのが始まりであり、後に6人制に移行[1]。1999年にV1リーグ(当時2部リーグ)に昇格し、2006年にV・プレミアリーグ(当時1部リーグ)昇格を果たす[1]。
チーム名の『クインシーズ』とは、Queen(英語で「女王」)とSeis(スペイン語で「6」)を合わせた造語であり、「夢と感動を与えることの象徴として女王をモチーフにし、コート上でプレーする6人の選手がそれぞれのポジションで頂点を目指す」ことをイメージしている[1]。
練習場はホームタウンの刈谷市にある本社(富士松工場)内の体育館であり[1]、ホームゲームは同市のウィングアリーナ刈谷など愛知県内で開催される。また、同じトヨタグループである男子バレーボールチームのジェイテクトSTINGS(2013年V・プレミアリーグ昇格)も同市をホームタウンとしている。
歴史
1951年、9人制チームとして創部。その後6人制へ移行し、2000年にV1リーグ(現・チャレンジリーグ)昇格を果たす[1]。
同年、谷口倖雄を監督に招聘し、本格的なチーム強化を開始した[2]。V1リーグでも少しずつ順位を上げる。第7回V1リーグ(2004/05シーズン)には準優勝を果たしVリーグ入替戦出場となるが、日立佐和リヴァーレ(現・日立リヴァーレ)に連敗してVリーグ昇格はならず。
2005年、元全日本女子監督の葛和伸元を総監督として迎えた(当初はNECレッドロケッツから出向の形だった)。そして、第8回V1リーグ(2005/06シーズン)では初優勝を果たし、入替戦でも茂原アルカスに連勝して、ついにVリーグ昇格を果たした。2006年に高橋翠(現・羽根)が全日本に選出され、チーム史上初めての全日本メンバーとなった。
初めてのシーズンとなった2006/07V・プレミアリーグ(Vリーグより呼称変更)では5勝(22敗)を挙げるものの最下位(10位)となり入替戦出場となる。しかし、入替戦では三洋電機大阪(後に三洋電機レッドソア)に2試合連続のストレート勝ちとし、プレミア残留を果たした。2007/08V・プレミアリーグは7位となり入替戦出場を回避。
2008年、谷口監督が副部長に就任し、葛和総監督が監督に就任した。同年の皇后杯全日本選手権大会では都築有美子のジャンプサーブやセッター船崎恵視らの活躍で初優勝を果たし、初の全国タイトルを獲得した[2]。2008/09V・プレミアリーグでも自己最高の5位に入り躍進した。しかし、2009/10V・プレミアリーグでは怪我人が多く、2009年6月で現役引退した羽根が12月に現役復帰したが、なかなか勝ち星に恵まれない苦しいシーズンとなる[2]。最終的に7位(8チーム中)となってV・チャレンジマッチ(入替戦)出場。V・チャレンジマッチの相手は上尾メディックスとなり、第1戦は3-1で勝利。第2戦で2セット先取してセット率でプレミア残留を果たした(試合はその後逆転されてフルセット負け)。2010/11V・プレミアリーグは5位。2011/12シーズンは皇后杯で準優勝を果たすが、V・プレミアリーグでは終盤に失速して7位となりV・チャレンジマッチ出場となった(上尾にストレートで連勝して残留を果たす)。そのV・チャレンジマッチをもって葛和監督が退任した(黒鷲旗全日本大会は高橋悠コーチが監督代行)[3]。
2012年7月に、ジェイテクトSTINGSの監督を務めていた泉川正幸が監督に就任し、入団2年目の竹田沙希が主将になった[4]。新たな体制で臨んだ2012/13V・プレミアリーグでは、中盤戦で調子を上げるも終盤に4連敗するなど失速し、初の4強入りとはならず5位となった。
2013/14シーズンはV・プレミアリーグのレギュラーラウンドをチーム初となる4位で通過[5]、セミファイナルに進出し最終順位4位となった[6]。勢いを得たチームは同年5月の黒鷲旗大会で初優勝を果たした[7]。
2016年6月、泉川正幸の後任監督として多治見麻子を迎え[8]、移籍の荒木絵里香、細川絢加を加えた新体制でスタートを切った。多治見監督の初年度である2016/17V・プレミアリーグでは正セッターやレギュラーリベロに新選手を起用し前年度と同じ5位となった。
2017/18シーズンはトルコの元エースであるネリマン・ゲンシュレックを招聘し、V・プレミアリーグで最高位となる3位の好成績をあげた。
2018年、これまでのVリーグに変わり新生V.LEAGUEが誕生し、1部のDIVISION1(V1)に所属[9]。初年度となる2018-19シーズンは4位に入った[10]。
2019-20シーズンより、総合コーチの印東玄弥が監督に昇格し、海外でのプレー経験がある今村駿と、キャプテンとしてチームを支えた竹田沙希が新たにコーチとなった[11]。同シーズンのリーグ戦は、V・レギュラーラウンドはスターカンファレンス所属となり、序盤は開幕7連勝で首位を走るが、以降はやや失速し、6チーム中3位でファイナル8進出[12]。ファイナル8であと一歩及ばず準決勝進出を逃し5位でシーズンを終えた[13]。
2020-21シーズンは、開幕から低迷し、V・レギュラーラウンドで9位となり、残留をかけてV・ファイナルステージで9-12位決定戦を戦うこととなった[14]。2021年2月20日、9-12位決定戦の初戦でヴィクトリーナ姫路にフルセットで敗れ、11位以下が確定したため、6シーズンぶりのV・チャレンジマッチ出場が確定した。印東は、「選手は全力で頑張りました。より良い状況へ持ってこれなかったことは私の責任です。」とコメントを残している[15]。翌日の最終戦は勝ち11位でリーグ戦を終えた[16]。V1・V2入替戦では、ルートインホテルズブリリアントアリーズに連勝しV1残留を確定させた[17]。
2021年9月22日、東京五輪に主将として出場した荒木絵里香の現役引退を発表した[18]。
2021-22シーズンも開幕から低迷し、開幕から17連敗を喫した[19]。2022年1月23日に岡山シーガルズに勝ち連敗を止め、印東は「誰一人腐ることなく、前を向いてハードワークを重ねてきたことが報われたことを励みに精進します。」とコメントを残した[20]。また、リベロが離脱していたため、前シーズンをもって引退しケアマネージャーに就任していた村永奈央にも現役復帰を要望し、村永がリベロとして現役復帰を果たした[21]。ここからチームは勝ち星を重ね、17連敗してからは10勝6敗と勝ち越し、最終的には10勝23敗の10位となり、序盤で大型連敗をしながらV1・V2入替戦出場を回避した[22]。
2021-22シーズンをもって印東玄弥が監督を退任。その他、今村駿らコーチ3人も退団となり、監督・コーチ陣が総入れ替えとなる[23]。後任として、同シーズンまで群馬銀行グリーンウイングスの監督を務めていてクインシーズのコーチも6シーズン務めている髙橋悠が監督に就任し、同県のトヨタ系列であるV1男子チーム・ジェイテクトSTINGSで16シーズンプレーを続けて現役引退したばかりの興梠亮と、クインシーズで長年アナリスト等のスタッフを務めている岡村拓哉がコーチに就任した[24]。
2024年、SVリーグ移行に伴いチーム名を「クインシーズ刈谷」に変更した。
成績
主な成績
- Vプレミア、V.LEAGUE DIVISION1 WOMEN
- 黒鷲旗全日本選抜大会
- 天皇杯・皇后杯全日本バレーボール選手権大会
年度別成績
Vリーグ / 実業団リーグ・V1リーグ
V・プレミアリーグ / V・チャレンジリーグ
所属
|
年度
|
最終 順位
|
参加 チーム数
|
レギュラーラウンド
|
ポストシーズン
|
順位 |
試合 |
勝 |
敗 |
試合 |
勝 |
敗
|
プレミア
|
2006/07 |
10位 |
10チーム |
10位 |
27 |
5 |
22 |
-
|
2007/08 |
7位 |
10チーム |
7位 |
27 |
12 |
15 |
-
|
2008/09 |
5位 |
10チーム |
5位 |
27 |
13 |
14 |
-
|
2009/10 |
7位 |
8チーム |
7位 |
28 |
7 |
21 |
-
|
2010/11 |
5位 |
8チーム |
5位 |
26 |
12 |
14 |
中止
|
2011/12 |
7位 |
8チーム |
7位 |
21 |
5 |
16 |
-
|
2012/13 |
5位 |
8チーム |
5位 |
28 |
12 |
16 |
-
|
2013/14 |
4位 |
8チーム |
4位 |
28 |
15 |
13 |
4 |
2 |
2
|
2014/15 |
8位 |
8チーム |
8位 |
21 |
6 |
15 |
-
|
2015/16 |
5位 |
8チーム |
6位 |
21 |
8 |
13 |
5 |
3 |
2
|
2016/17 |
5位 |
8チーム |
5位 |
21 |
10 |
11 |
5 |
2 |
3
|
2017/18 |
3位 |
8チーム |
3位 |
21 |
11 |
10 |
7 |
2 |
5
|
V.LEAGUE
所属
|
年度
|
最終 順位
|
参加 チーム数
|
レギュラーラウンド
|
ポストシーズン
|
備考
|
カンファレンス |
順位 |
チーム数 |
試合 |
勝 |
敗 |
試合 |
勝 |
敗
|
DIVISION1
|
2018-19 |
4位 |
11チーム |
ウエスタン |
3位 |
5チーム |
20 |
13 |
7 |
7 |
4 |
3 |
|
2019-20 |
5位 |
12チーム |
スター |
3位 |
6チーム |
21 |
14 |
7 |
3 |
1 |
2 |
|
2020-21 |
11位 |
12チーム |
(1リーグ制) |
9位 |
12チーム |
21 |
6 |
15 |
2 |
1 |
1 |
|
2021-22 |
10位 |
12チーム |
(1リーグ制) |
10位 |
12チーム |
33 |
10 |
23 |
- |
|
2022-23 |
8位 |
12チーム |
(1リーグ制) |
8位 |
12チーム |
33 |
14 |
19 |
- |
|
2023-24 |
4位 |
12チーム |
(1リーグ制) |
6位 |
12チーム |
22 |
12 |
10 |
3 |
1 |
2 |
|
選手・スタッフ(2024-25)
選手
スタッフ
役職 |
名前 |
備考
|
顧問 |
木村健 |
|
部長 |
林英之 |
|
副部長 |
三浦幸則 |
|
監督 |
髙橋悠 |
|
コーチ |
興梠亮 |
|
コーチ |
岡村拓哉 |
|
コーチ |
近江芳樹 |
新任
|
S&Cコーチ |
金徳永 |
|
トレーナー |
川北亘 |
|
トレーナー |
橋本歩美 |
|
アナリスト |
工藤大輝 |
|
ドクター |
井戸田仁 |
|
マネージャー |
原田美緒 |
|
マネージャー |
小見真澄 |
|
事務局 |
池田美咲 |
|
チームコーディネーター |
荒木絵里香 |
|
出典:チーム新体制リリース[30] チーム公式サイト[33] Vリーグ公式サイト[32] 更新:2024年8月17日
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在籍していた主な選手
脚注
外部リンク
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あ行 | |
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か行 | |
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さ行 | |
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た行 | |
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な行 | |
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は行 | |
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ま行 | |
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や行 | |
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ら行 | |
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Remarks |
- ▲ は休部・廃部チーム
- 残波WINGS、福岡ギラソール、山梨中央銀行はV.LEAGUEとその前身リーグに参加したことがない
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 |
第19回(1970年) ヤシカ / 第20回(1971年) ユニチカ貝塚 / 第21回(1972年) 日立武蔵 / 第22回(1973年) 日立武蔵 / 第23回(1974年) 日立武蔵 / 第24回(1975年) 日立 / 第25回(1976年) 日立 / 第26回(1977年) 日立 / 第27回(1978年) 日立 / 第28回(1979年) 日立
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1980年代 |
第29回(1980年) アメリカ / 第30回(1981年) ユニチカ / 第31回(1982年) 日立 / 第32回(1983年) 日立 / 第33回(1984年) 日立 / 第34回(1985年) 日立 / 第35回(1986年) ダイエー / 第36回(1987年) 日立 / 第37回(1988年) 日立 / 第38回(1989年) ユニチカ
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1990年代 | |
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2000年代 |
第49回(2000年) ユニチカ / 第50回(2001年) NEC / 第51回(2002年) 東レ / 第52回(2003年) パイオニア / 第53回(2004年) 東レ / 第54回(2005年) パイオニア / 第55回(2006年) 久光製薬 / 第56回(2007年) 久光製薬 / 第57回(2008年) デンソー / 第58回(2009年) 東レ
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2010年代 |
第59回(2010年) 東レ / 第60回(2011年) JT / 第61回(2012年) JT / 第62回(2013年) 久光製薬 / 第63回(2014年) トヨタ車体 / 第64回(2015年) JT / 第65回(2016年) JT / 第66回(2017年)デンソー / 第67回(2018年)JT / 第68回(2019年)東レ
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2020年代 |
第69回(2020年) 中止 / 第69回(2021年) 中止 / 第70回(2022年) 東レ / 第71回(2023年)PFU / 第21回(2024年)岡山
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