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多治見 麻子
Asako Tajimi
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基本情報 |
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国籍 |
日本 |
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生年月日 |
(1972-06-26) 1972年6月26日(52歳) |
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出身地 |
東京都三鷹市 |
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ラテン文字 |
Asako Tajimi |
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身長 |
180cm |
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体重 |
68kg |
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血液型 |
O型 |
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選手情報 |
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愛称 |
アサコ |
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ポジション |
MB |
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指高 |
230cm |
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利き手 |
右 |
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スパイク |
309cm |
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ブロック |
290cm |
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多治見 麻子(たじみ あさこ、1972年6月26日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。
来歴
小学校6年生からバレーを始め、八王子実践高校時代は春高バレー優勝等を経験した。1991年日立に入社。
1990年全日本代表初選出。1992年バルセロナオリンピック、1996年アトランタオリンピックと五輪に2度出場。1997年より葛和伸元率いる全日本のキャプテンに抜擢され、1998年世界選手権で主将を務めた。1999年1月に左膝の手術を受けた影響で同年のワールドカップには出場したが満足なプレーが出来なかった。2000年シドニー五輪予選に間に合わず、Vリーグでも99、00年シーズンと本来の活躍ができなかった。
2001年、日立ベルフィーユ廃部に伴い、パイオニアへ移籍。2003-04年第10回Vリーグで吉原知子、佐々木みき、斎藤真由美、内田役子らとチーム創部25年目、Vリーグ昇格4年目にしてリーグ初優勝に導く。2005-06年に、二度目のVリーグ制覇。
2007年4月、Vリーグ出場試合が佐々木、内田と共に女子選手歴代4位の232試合(当時)となり、リーグ40回大会を記念し創設された『Vリーグ特別表彰制度』で長期活躍選手として特別表彰された。
2007年4月、8年ぶりに全日本代表復帰。アジア選手権では24年ぶりの優勝を果たす。同年開催のワールドカップ韓国戦に途中出場し、ブラジル戦ではスタメン出場した。
2008年8月、アトランタオリンピック以来、12年ぶり三度目のオリンピック、北京オリンピック出場を果たした。
2009年7月より、パイオニアのコーチを兼任。2010/11シーズンは、チーム事情により監督として登録された。
2011年6月6日、パイオニアからの退団が発表され、同年10月に日立リヴァーレ(現・日立Astemoリヴァーレ)に移籍[1]。2011/12Vチャレンジリーグのチーム優勝に貢献し、2012年5月に退社[2]と同時に21年間続けてきた現役を引退した。
2013年5月1日より、出身地である三鷹市の市政嘱託員[3]。
2014年、市職員を退職し、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科に入学。高卒ながらバレーボールの実績などにより入学が認められた[4]。
2014年4月25日、VチャレンジリーグのGSSサンビームズは多治見をコーチとして招聘すると発表した[5]。
2015年、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修了[6]。
2016年6月、Vプレミアリーグのトヨタ車体クインシーズ監督に就任[7]。2019年に退任[8]。
2019年7月、Vプレミアリーグの日立リヴァーレ(現・日立Astemoリヴァーレ)の監督に就任した。
2023年4月27日、2022-23シーズン終了をもって、4シーズン務めた日立Astemoリヴァーレの監督を退任した[9][10]。
2024年現在は中華人民共和国・遼寧省女子バレーボールユースチーム監督を務めている[11][12][13]。
人物・エピソード
- ワールドカップ期間中の1995年11月13日に実母が急逝し、11月15日のアメリカ戦では選手全員が左腕に喪章をつけて試合に臨んだ。
所属チーム
選手
指導者
球歴
- 全日本代表 - 1990-1999年、2007-2008年
- 全日本代表としての主な国際大会出場歴
受賞歴
脚注
外部リンク
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日本リーグ |
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Vリーグ |
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V・プレミア リーグ |
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V.LEAGUE DIVISION1 |
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1980年代 |
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1990年代 |
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2019年 | |
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★は黒鷲賞、☆は敢闘賞 |