達如(たつにょ、逹如[1])は、江戸時代後期の浄土真宗の僧。
東本願寺第二十代法主[2] 。
経歴
本ページでは、年齢は、数え年。日付は、暦の正確性、著作との整合を保つ為、寛政9年(1797年[3] )までは、宝暦暦表示。寛政10年(1798年)から、天保14年12月29日(1844年2月17日)までは、寛政暦表示。天保15年1月1日(1844年2月18日)からは、天保暦表示とする(歿年月日を除く)。また本山は、「本願寺」が正式名称だが、「西本願寺」との区別の便宜上、「東本願寺」と表記。
脚注
- ^ a b 逹如…新字体が用いられる以前の文献に用いられた旧字体。
- ^ 正式には「本願寺」。一般には通称である「東本願寺」と呼称するので、「東本願寺第二十代法主」と表記。
- ^ a b グレゴリオ暦。
- ^ 『日本仏家人名辞書』(光融館、1903年)359頁
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東西分立前 (本願寺の歴史) | |
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東西分立後 |
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東西分立後も、1987年に真宗大谷派が「宗教法人 本願寺」の解散の登記を行うまでは、共に「本願寺」が正式名称である。真宗大谷派は、1987年以降も「真宗本廟」の別称として「本願寺」を用いている『宗憲』第十三条。 記号 - 「⇒」は寺基移転を表し、「→」は寺基移転を伴わない名称変更などを表す。
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東西分立前 | |
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東西分立後 |
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略称 - 「西」=本願寺派、「東」=大谷派、「東本」=東本願寺派、「東山」=(東山上花山)本願寺、「嵯峨」=(嵯峨)本願寺 |