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「虹の彼方に 」(にじのかなたに、原題: Over the Rainbow )は、1939年 のミュージカル映画 『オズの魔法使 』でジュディ・ガーランド が歌った劇中歌。
エドガー・イップ・ハーバーグ (Yip Harburg )作詞、ハロルド・アーレン (Harold Arlen )作曲。1939年のアカデミー歌曲賞 を受賞している。
「虹の彼方へ 」と訳されることもある。
解説
ハロルド・アーレンは、映画『オズの魔法使』の音楽作曲を依頼された時点で、既に「ストーミー・ウェザー」など多くの歌曲を作曲して世評の高い作曲家 であった。彼がその構想中、妻と街に観劇に出かける途中で、メロディと「Somewhere over the Rainbow」(虹の彼方のいずこか)というフレーズを着想したのが、曲のできたきっかけである。
ハロルド・アーレンはこの曲の出来が気に入り、さっそく作詞を担当するE.Y.ハーバーグに曲を聴かせたが、ハーバーグはガーランド扮する主人公ドロシーが歌うには大人びていると言い、あまり乗り気ではなかった。そこでアーレンは、やはり著名な作詞家 であるアイラ・ガーシュウィン に曲を見せ、後押しして貰うことにした。アイラは「良い曲だからぜひ詞を付けるべきだ」と評し、ハーバーグもこの曲の作詞を承知した。ハーバーグは、詞を提供する前に、アーレンにいろいろとアドバイスをしている[ 1] 。
ジュディ・ガーランドの歌でサウンドトラック 用の録音もされ、彼女がこの曲を歌うシーンの撮影もなされたが、映画の編集段階になって撮影所 幹部たちから、14歳の少女が歌うには大人びた歌で相応しくない、と物言いがつき、「虹の彼方に」の歌唱シーンはカットされかけた。だが映画のプロデューサーであったアーサー・フリード はこの曲が気に入ってカットに猛反対し、この曲は予定通り映画に挿入された。
結果「虹の彼方に」はアカデミー歌曲賞を受賞して大ヒットした。歌ったジュディ・ガーランドにとってもトレードマークとも言えるナンバーとなり、彼女の生涯を通じての持ち歌となった。ジュディが1961年 のカーネギー・ホール でのソロ・コンサート で歌ったライブ・バージョンは、特に名唱とされている。同曲は、ガーランドがバイセクシュアルであったことから、後にLGBTのテーマソング的な曲にもなっている。
映画公開後のヒット以来、スタンダード・ナンバー として世界的に広く親しまれ、多くのカバーの対象となってきた。2001年 に全米レコード協会 等の主催で投票により選定された「20世紀の名曲」(Songs of the Century )では第1位に選ばれた。
カヴァー曲
アート・テイタムは、1939年、1948年、1953年、1956年に4つのジャズカバーを録音し、ピアノのオリジナルのメロディーを贅沢に即興で演奏した。1939年版は、映画が公開されてから、わずか3日後に録音された。
この曲は、主人公がジュディと名付けられたジュニアミスの映画版の最後に登場する。
Demensionsは、1960年にBillboard Hot 100で16位に達した作曲家、 Seymour Barabによってアレンジされた、オーケストラ入りの、ドリーミーなドゥーワップバージョンを録音した。
1966年、ガールグループのパティラベルとブルーベルズは、彼らのアルバム「虹の彼方に」の曲を録音した。これは、ドゥーワップ調のソウルとして、R&Bアルバムチャートで20位にランクされた。
TheVoiceの第3シーズンの出場者であるNicholasDavidは、2012年にBillboardHot100で96位にランクインしたバージョンを48,000部の売り上げで記録した。
世界的なスタンダードであり、多くの音楽家にカヴァーされている。
また、レインボー はバンド名に因んで、ライブのオープニングでこの曲の一節を演奏していた。
ポール・マッカートニーはビートルズ時代に、ハンブルクのスタークラブでジーン・ヴィセントがロックにアレンジしたバージョンを歌っていた。ジョン・レノンこの曲を好きではなく、ポールのスタンダード好きをよくからかっていた。MCで「ポールがジュディ・ガーランドをやるんだってよ」と発言。
その他の使用例
関連項目
脚注
出典
注釈
1934–1940 1941–1950 1951–1960 1961–1970 1971–1980 1981–1990 1991–2000 2001–2010 2011–2020 2021–現在