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東武伊勢崎線の「花崎駅」とは異なります。 |
花咲駅(はなさきえき)は、かつて北海道(根室振興局)根室市花咲港[1]に所在した北海道旅客鉄道(JR北海道)根室本線(花咲線)の駅(廃駅)。事務管理コードは▲110453[2]。
歴史
駅名の由来
当駅の所在する地名より。地名は、アイヌ語の「ポロノッ[注釈 2]」(大・岬[注釈 3])を「岬」、つまり「鼻崎」と意訳し、「花咲」の字をあてたものである[1][7]。
開設時、鉄道省内には土地を寄付した松浦牧場から「松浦駅」とする案もあったが、当時の牧場主が辞退したとされる[新聞 1]。
駅構造
根室駅管理の無人駅だった。単式ホーム1面1線を持つ棒線駅であった。ホームの長さは約50メートルで、砂利を敷き詰めていた[新聞 3]。1955年(昭和30年)頃はそれよりも長く伸びており、長い編成の貨物列車が停車していた。駅の裏手には貨物を取り扱う会社の営業所があった[新聞 3]。
駅舎は国鉄貨物列車の車掌車を再利用していた。かつては名産のハナサキガニのイラストが描かれていたが、末期は西和田駅と色違いのシンプルな塗装に塗りかえられていた。
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塗り直し前の駅舎(駅前通り側)
(2005年6月)
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塗り直し前の駅舎(ホーム側)(2007年2月)
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ホーム(2010年8月)
利用状況
廃止直前の数年間は、利用がほぼ皆無であったが[新聞 3]、かつてはサケ・マスの水揚げ時期である6、7月になると、1日100個近い荷物を発送するなどにぎわいを見せた[新聞 3]。
乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。
年度
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乗車人員(人)
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出典
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備考
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年間
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1日平均
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1954年(昭和29年)
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274.2
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[新聞 4]
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1978年(昭和53年)
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21
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[8]
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1979年(昭和54年)
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7,315
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(20.0)
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[9]
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1980年(昭和55年)
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4,621
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(12.7)
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1981年(昭和56年)
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3,604
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(9.9)
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1982年(昭和57年)
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3,171
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(8.7)
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1983年(昭和58年)
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3,806
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(10.4)
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1984年(昭和59年)
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2,474
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(6.8)
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[10]
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1992年(平成04年)
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(1.0)
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[11]
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1日平均乗降客数2人
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駅周辺
駅南方には、ハナサキガニの水揚げで知られる根室港(花咲港区、通称・花咲港)がある。
廃止後の状況
廃止後、2016年(平成28年)6月7日から9日にかけて重機でホームが解体された[新聞 3]。以降、解体整備完了後引き続き旧駅前整備が始まり、8月24日には駅舎が松浦牧場に譲渡された[新聞 1]。
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駅舎跡(2018年9月)
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ホーム跡(2018年9月)
隣の駅
- 北海道旅客鉄道(JR北海道)
- 根室本線(花咲線)(駅廃止時)
- 西和田駅 - 花咲駅 - 東根室駅
脚注
注釈
- ^ 駅舎の取り壊しを条件に公開入札が行われたが、落札者はいなかった。駅舎は同年10月20日までに解体された。
- ^ アイヌ語ラテン翻字: poro-not
- ^ 本来「ノッ」は顔の顎のことで、転じて「顎のように突き出た岬」を指す言葉でもある。
出典
JR北海道
新聞記事
参考文献
書籍
雑誌
関連項目
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、
花咲駅に関連するカテゴリがあります。
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貨物支線(天寧〔初代〕 1940年廃止) | |
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貨物支線(天寧〔2代〕 1984年廃止) | |
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貨物支線(浜厚岸 1982年廃止) | |
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貨物支線(根室港 1965年廃止) | |
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*打消線は現役路線上の廃駅 |