立教女学院中学校・高等学校(りっきょうじょがくいんちゅうがっこう・こうとうがっこう、英: St.Margaret's Junior & Senior High School[1])は、東京都杉並区久我山四丁目に所在し、中高一貫教育を提供する私立女子中学校・高等学校。立教大学への推薦入学制度がある。
1877年(明治10年)、英国国教会(イングランド国教会)の流れを汲む米国聖公会の宣教師チャニング・ウィリアムズとその協力者であるクレメント・T・ブランシェ長老により、日本の女子の教育機関のさきがけとして、現在の文京区湯島に設立された立教女学校を前身とする伝統校である。日本聖公会系のミッションスクール。 創立以来、神の前で主体的に、自由に生きることを教育理念として、キリスト教に基づく女子教育を行っている。英語名の「St.Margaret's School」は11世紀のスコットランドの王妃・聖マーガレットに由来する。
閑静な住宅街の中に位置し、四季折々の草花に木々が彩る緑豊かな自然と、歴史と伝統ある校舎群が織りなす環境は、洗練された美しさと清楚な雰囲気があり、豊饒な学びの場を作り出している。スパニッシュコロニアル様式の高等学校校舎と講堂は、1930年(昭和5年)に竣工。ロマネスク様式の聖マーガレット礼拝堂は、1932年(昭和7年)に竣工し、杉並区指定の有形文化財となっている[2]。いずれの建物も聖路加国際病院のチャペルや立教大学のいくつかの建物なども手掛けたバーガミニーが設計した建造物である。
制服は創立以来なく、自由服であるが、一定のドレスコードに基づき、生徒が自分で選ぶスタイルとなっている。
創立者が同じである学校法人立教学院とは別法人であるが、基本的な信条を同じにしており、連携が行われている。2021年度、高校3年生より、卒業論文を提出するなどの要件を満たす者は、受入総数151名で、立教大学に推薦入学することができる[3]。2006年度入学の高等学校1年生から2年生進級時に理系・文系・文系(立教大学推薦)の3つのコースに分かれ、立教大学以外の大学受験にも対応した指導を行っている。
2020年から高等学校校舎、講堂、聖マーガレット礼拝堂など、大規模改修工事を開始。改修にあたり、内外観の保存を原則として、建て替えするのではなく、これまで愛されてきた古い建造物を活かす工事が行われた。最新の学習環境も同時に取り入れ、WiFiなどのICT環境整備や各教室へのディスプレーやプロジェクター設置に加えて、スクリーンを3方向に5面配置したマルチメディアルームなどの新設を行い、2021年秋に工事が完了した。改修を終えて、アクティブラーニングも可能な充実した環境となっている。また、2022年4月に、中高供用のラーニングセンターが開設される[4]。
1877年(明治10年)、英国国教会(イングランド国教会)を始祖とする米国聖公会の宣教師チャニング・ウィリアムズとその協力者であるクレメント・T・ブランシェ長老により、湯島天神町[5](現:文京区湯島2・3丁目)に立教女学校が設立される。初代校長のブランシェ夫人 (Annie M. Blanchet) の働きを来日したばかりのミス・フローレンス・ピットマンが支え、2代目校長を務め、立教女学院の創生期を形作る。ピットマンは来日以来、熱心に日本語を習って、生徒に英語を教えた。
1879年(明治12年)に築地に移り、翌1880年(明治13年)に小宮珠子が教員となる。1882年(明治15年)3月には、ミス・サラ・リデック (Sarah L. Riddick) がピットマンのアシスタントとして日本へ派遣され、5月16日には、ピットマンはジェームズ・ガーディナー(立教学校初代校長・建築家)と結婚した[6]。翌6月には、立教女学校の全責任はガーディナー夫妻の手に委ねられ[6]、ガーディナー夫妻が住む築地居留地26番の住居の2部屋が女学校の教室として使用されることになったが[7]、ピットマンは立教女学校のほぼ最初から学校運営に携わった[6]。
1883年(明治16年)には、アメリカから学校を卒業したばかりの米国聖公会宣教師のミス・エマ・フルベッキ(グイド・フルベッキの二女)が来日し、20歳になったその年の春から英語と音楽を教える。この年、立教女学校の生徒数は35名となり[7]、50人の生徒を収容できる新校舎の建設が進められた[6]。
1884年(明治17年)には、ジェームズ・ガーディナーの設計で築地居留地内26番に新校舎が完成。校舎は洋風三階建ての美しい建物で、居留地内でも評判の建物であったといわれている。立教女学校は新校舎とともに校則教則も整えられ、ミス・サラ・リデックが校長となる。
1890年(明治23年)には、国粋主義が広がり始め、欧化主義への反動的な時代風潮もあったことから、聖公会の教育者、清水友輔を校長として学校を日本人の手に委ねることとなる[注釈 1]。
1899年(明治32年)に、私立立教女学校と改称し、ジョサイア・コンドルの設計で築地居留地38番に新校舎が完成する。1907年(明治40年)、ミス・キャロライン・ヘイウッドが英語教師となる[8]。
1923年(大正12年)の関東大震災により立教女学校を含む築地の洋館はすべて焼失し、翌年にヘイウッドの尽力により、現校地の東京都杉並区久我山に移転する。ヘイウッドは、J.V.W.バーガミニーが設計した1930年(昭和5年)の新校舎建設や1932年(昭和7年)の聖マーガレット礼拝堂の建設にも努めた。
1945年(昭和20年)春以降に起きた連合国軍による空襲を免れたのは、1941年(昭和16年)の本国政府からの帰国指示によってアメリカに帰国したヘイウッドが、空襲の対象とならないよう尽力したためといわれている[4]。
1947年(昭和22年)、学制改革により学校法人立教女学院を設立し、翌1948年(昭和23年)に新制立教女学院高等学校を設立した。
創立以来制服はない。ただし、スカートの着用(中学生はキュロットスカートも可)が義務付けられている。服も私服を着る者は皆無に近く、皆なんちゃって制服(個々人が組み合わせた、見た目が制服のような衣類)を着るのが伝統となっている[19]。また、ノースリーブ、胸元の大きく開いた服またはそのような着方は禁止されている。中学生はパーマ、脱色などは認められないが、高校生のみパーマをかけることができる。化粧は中高ともに禁止。脚に関してもかかとの高い靴やスニーカーソックスは禁じられている。また、登校の際は校章着用が義務付けられている[19]。指定鞄持参も義務づけられていたが、2021年からはリュックでの登校も可能となった[4]。
長らく携帯電話の持ち込みが禁止とされ、違反が発覚した際には面談や立教大学の推薦取り消しといった措置がなされていたが、2019年度より持ち込み可能となった。
中学入試のみである。帰国生入試が12月下旬に、一般入試が毎年度2月1日(2月1日が日曜日の年度は2月2日)に行われ、ともに4教科の学力筆記試験と面接試験もある。2006年度より一般入試では募集人員が90名から110名に増加し、学力筆記試験と同日に行われていた面接試験は別日程で1月下旬となり、保護者同伴形式に変更された。
試験当日に教室で生徒が学校を紹介して心をほぐす「トーク」が恒例である。
立教女学院小学校の卒業生約72名のうちほぼ全員が立教女学院中学校に進学する。
なお、一時期、高校からの生徒募集も行っていたが、1999年を以て停止している。
卒業論文を提出するなどの要件を満たす者は、生徒全員分に相当する受入総数201名で、立教大学に推薦入学することができる[3]。
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