J・V・W・バーガミニー

ジョン・バン・ウィ・バーガミニー(John van Wie Bergamini 1888年-1975年)は、アメリカ人ミッション系の建築家米国聖公会から「聖路加国際病院顧問技師」として派遣され来日。聖路加国際病院立教女学院の校舎や講堂を始め、全国各地に多くの教会を設計した。息子は『天皇の陰謀』『数の世界』『宇宙』などの著書で知られる数学者物理学者デビッド・バーガミニー(デイビッド・バーガミニー)。

生涯

チェコ生まれ。来日前、バーガミニーは現在の中国湖北省武漢市である漢口(Hankow)の英国人租界にいたことが知られ、1926年頃、関東大震災による聖公会関係施設復興のため、米国聖公会エピスコパル宣教団)から派遣された。1928年には子息デビッドが東京で誕生している。1938年に離日しその後一家で漢口にもどり、上海を経てフィリピンに1943年ごろ渡っているが、終戦前に収容所に収容され、1945年にアメリカ軍に救出されたとされる。

代表作

建造物名 年月 所在地 状態 備考
立教学院校宅9号館・10号館(旧宣教師館) 1927年(昭和2年) 東京都豊島区 解体材、倉庫保管[1]
日本聖公会浦和諸聖徒教会礼拝堂(二代礼拝堂) 1928年(昭和3年) 埼玉県さいたま市浦和区仲町 現存 上林敬吉(実施設計)、坪谷熊平(施工)、竣工当時は3層塔屋付
学校法人平安女学院 昭和館 1929年(昭和4年) 京都市上京区 登録有形文化財 内藤多仲が構造設計。施工が清水組
日本聖公会盛岡聖公会二代礼拝堂 1929年(昭和4年) 岩手県盛岡市 現存 上林敬吉(実施設計)、桂島組(施工)
日本聖公会高崎聖オーガスチン教会礼拝堂 1929年(昭和4年) 群馬県高崎市山田町 現存 上林敬吉(実施設計)、熊野組(施工)
日本聖公会浅草聖ヨハネ教会礼拝堂(三代礼拝堂) 1929年(昭和4年) 東京都台東区蔵前 現存 上林敬吉(実施設計)、隅田組(施工)、1945年(昭和20年)の東京大空襲で大きな被害を受けたが、上林敬吉が自ら丁寧に復元し、1955年(昭和30年)に元の姿を取り戻した。
日本聖公会京都聖三一教会実施設計 1930年(昭和5年) 京都市中京区丸太町 登録有形文化財 園部秀治が基本設計
日本聖公会秋田聖救主教会概略設計 1930年(昭和5年) 秋田市保戸野中町 秋田市指定文化財 実施設計は上林敬吉
立教女学院(旧立教高等女学校)講堂 1930年(昭和5年) 東京都杉並区 現存
立教女学院高等学校(旧立教高等女学校)校舎 1930年(昭和5年) 東京都杉並区 現存
立教学院校宅11号館・12号館(旧宣教師館) 1931年(昭和6年) 東京都豊島区 解体材、倉庫保管。バーガミニーも日本滞在中に同宅を使用
日本聖公会東京教区東京諸聖徒教会礼拝堂 1931年(昭和6年) 東京都文京区千石 登録有形文化財 清水組(施工)。空襲で一度コンクリート構造物を除き焼失。現在のものは復元されたもの
日本聖公会福井聖三一教会礼拝堂 1931年(昭和6年) 福井県福井市春山 現存 上林敬吉(実施設計)、戸田組(施工)
小浜聖ルカ教会増築 1931年(昭和6年) 福井県小浜市 登録有形文化財 1897年(明治30年)ガーディナーが献堂したものを増築
日本聖公会郡山聖ペテロ聖パウロ教会礼拝堂 1932年(昭和7年) 福島県郡山市麓山 現存 上林敬吉(実施設計)
立教女学院(旧立教高等女学校)聖マーガレット礼拝堂 1932年(昭和7年) 東京都杉並区 杉並区指定有形文化財
聖路加国際病院旧病棟 1933年(昭和8年) 東京都中央区明石町 東京都選定歴史的建造物 アントニン・レーモンドに変わって設計を引き継ぐ
聖路加国際病院トイスラー記念館 1933年(昭和8年) 東京都中央区明石町 中央区民有形文化財
聖路加国際病院礼拝堂 1936年(昭和11年) 東京都中央区明石町 東京都選定歴史的建造物

その他

  • 立教学院校宅2号館 1927年(昭和2年)- 立教学院校宅9号館、10号館と竣工時期が同時期で、バーガミニーの設計と考えられる[1]

出典

  1. ^ a b 小西正捷追憶の建築群」『史苑』第64巻第2号、立教大学、2004年、1-12頁、doi:10.14992/00001551 

参考文献

  • 「立教大学校宅2号館建物調査報告書」(1996年)
  • 「立教大学近代建築調査報告書」(1985年)
  • 「総覧 日本の建築2」(新建築社、1989年、ISBN 9784786900624
  • 「東京を歩こう!」 (エクスナレッジムック、宮本和義建築知識編集部、2001年)