『歌謡ヒットプラザ』(かようヒットプラザ)は、1975年7月4日から1976年3月26日までフジテレビ系列局で放送された、バラエティ番組を兼ねた歌謡番組である。放送時間は、1975年9月までは20時00分 - 20時55分 (JST) だったが、同年10月から『FNNニュース』(20時55分 - 21時00分)の開始時刻が20時54分になったため、20時00分 - 20時54分となった。
概要
前番組『歌だ!飛び出せ2万キロ』が、3か月で打ち切られたため、『2万キロ』の前に放送された『ゴールデン歌謡速報』のように様々な笑いのコーナーなどを設けた歌謡番組へと変更された。そしてその笑いを取るために、当時から人気を博していた桂三枝(現・6代目桂文枝)をサブ司会に起用していたが、後にメイン司会へと変更した。
出演者
司会
- 土居まさる(初代メイン) - 『歌だ!飛び出せ2万キロ』から引き続き出演。
- 桂三枝(現・6代目桂文枝。初代サブ → 2代目メイン)
- 小林大輔(当時フジテレビアナウンサー、2代目メイン)
レギュラー
主なコーナー
- おしかけ歌謡曲
- 毒蝮が歌手1組と共に、様々な場所に現れ、歌を披露するコーナー。
- セットショー
- 三枝がゲストとミニコントをするコーナー。
- スターはらはら情報
- 三枝ときん枝が、ゲストの秘密をすっぱ抜くコーナー。
ネット局
ネット局に関する備考
- 広島県では、初期は当時のネット局である広島テレビ(フジテレビ系列・日本テレビ系列のクロスネット)が『太陽にほえろ!』を同時ネットしていたため、NETテレビ系列である広島ホームテレビが広島テレビの編成からあふれ出た日本テレビ・フジテレビ両系列の番組も編成していた[3]ことから同局で放送された[4]。1975年10月1日、フジテレビ系列フルネット局としてテレビ新広島が開局し同局へ移行した。
- 同じフジテレビ系列でも、新潟総合テレビ(現・NST新潟総合テレビ)とテレビ大分では未ネット。両局とも『太陽にほえろ!』をネットしていた。この2局は当時、日本テレビ系列・NETテレビ系列とのトリプルネット局であった。また、テレビ岡山(現・岡山放送。当時はフジテレビ系列・NETテレビ系列のクロスネットで、放送対象地域は岡山県のみ)は『ワールドプロレスリング』をネットしていたため、『ゴールデン歌謡速報』などと同様土曜12:00からの遅れネットで放送していた[5]。
参考資料
関連項目
脚注
- ^ a b 『福島民報』1975年7月18日付朝刊、テレビ欄。
- ^ a b c 『北國新聞』1975年10月9日付朝刊、テレビ欄。
- ^ その余波で、中国放送(TBS系列)でも広島ホームテレビの編成からあふれ出たNETテレビ系列の番組(腸捻転時代の毎日放送・ネットチェンジ後の朝日放送制作を含む)が一部放送された。さらに編成によっては広島テレビ・広島ホームテレビからもあふれ出た日本テレビ・フジテレビ系列の番組(読売テレビ・関西テレビ制作を含む)が中国放送でも放送されることがあった。
- ^ その関係で、『ワールドプロレスリング』は同日22:00から当日放送分のものを時差ネット。さらに本来のNETテレビ系列で22:00から放送されていた『必殺シリーズ』(朝日放送制作。当時放送されていたシリーズは『必殺仕置屋稼業』)は土曜12:00に放送された。また、テレビ新広島開局の影響で、『仕置屋稼業』第13話「一筆啓上過去が見えた」(1975年9月26日放送)は放送されなかった(しかし後年の同局での再放送で初回放送扱いとして放送された)。
- ^ 出典:産経新聞(岡山版)1975年9月27日、テレビ・ラジオ欄。
フジテレビ系列 金曜20時台 |
前番組 |
番組名 |
次番組 |
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歌謡ヒットプラザ (1975年7月 - 1976年3月)
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フジテレビ系列 金曜20:54 - 20:55枠 |
歌だ!飛び出せ2万キロ (20:00 - 20:55)
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歌謡ヒットプラザ (1975年7月 - 1975年9月) 【1分縮小して継続】
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現在の出演番組 | |
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過去の出演番組 |
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関連項目 | |
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関連人物 | |
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