橋本 大二郎(はしもと だいじろう、1947年〈昭和22年〉1月12日 - )は、日本の政治家。第13 - 16代高知県知事、元NHK記者、ニュースキャスター、東アジア共同体研究所理事、武蔵野大学法学部政治学科客員教授。
兄は第82代・第83代内閣総理大臣の橋本龍太郎。
経歴
生い立ち
大蔵官僚・橋本龍伍の次男として東京都にて出生。
日本女子大学附属豊明幼稚園、学習院初等科、麻布中学校・高等学校を卒業後、1浪して慶應義塾大学経済学部経済学科に入学[1]。1970年に卒業後、同大学法学部法律学科に学士入学し[1][2]、1972年に卒業。NHKに入局し、福岡放送局記者を皮切りに主に社会部畑を歩く。その後、『NHKニュースTODAY』の社会部門キャスターとして活躍し、昭和天皇の闘病と崩御を始めとした皇室報道で有名になった。
高知県知事
1991年(平成3年)、NHKを退職、高知県知事選挙に立候補し、高知県知事選挙史上最多の31万6968票を獲得して初当選。当選時は44歳で、初の戦後生まれかつ全国最年少の知事であった。
1995年(平成7年)には当時の流行語になるほど問題になった官官接待を、全国の地方自治体に先駆けて廃止した[3]。
2000年(平成12年)、政治の透明化を目指し、知事室にライブカメラを設置。
2001年(平成13年)1月8日、高知市が開催した成人式での挨拶の際、知事に「帰れ」などと言って騒ぐ新成人を「静かにしろ!」「出て行け!」と怒鳴った[注 1]。なお、翌年以降の成人式は全て欠席している。
2002年(平成14年)に開催されたよさこい高知国体では、他県からの選手の引き抜きを行わない方針を示し[4]、高知は男子・女子総合とも優勝とはならなかった。これは開催地優勝が常態化していた国体で39年ぶりのことである[5]。
2004年(平成16年)9月に高知県議会百条委員会が「1991年(平成3年)の知事選において元後援会事務局長が1億円を借り、県工事受注業者からの資金で借金を返済したと判断できる」との報告書をまとめた。この問題に関して10月8日、知事辞職勧告決議が提出され可決された(賛成22票、反対15票)。
この結果を受けて知事を辞任し、出直し選挙が行われ、橋本が再選された。出直し選挙の背景には、次男による強制わいせつ事件への批判も挙げられている。
2007年(平成19年)8月1日、同年11月執行の高知県知事選挙に出馬せず、引退することを記者会見にて発表した。
同年12月6日、任期満了に伴い高知県知事を退任。
知事退任後
その後、2009年(平成21年)の(第45回)衆議院議員総選挙に高知1区から無所属で出馬することを表明した。当初は与野党を問わず、既存政党からは距離を置く姿勢を見せていたが、後に鳩山由紀夫(民主党幹事長)と会談し、同党と協力関係を構築することで一致、新党結成にも含みを持たせた[6]。しかし、選挙戦では民主党も対抗馬として候補者を擁立した。出馬当初は橋本の当選が確実視されていたが、選挙直前に民主党候補が大きく支持を伸ばして票を奪われたこともあり、福井照(自民党公認候補・現職)に敗れ、落選した。以降、選挙への立候補歴は無い。
2010年(平成22年)4月に早稲田大学大学院公共経営研究科客員教授、2011年(平成23年)4月に慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科特別招聘教授、2013年(平成25年)4月に武蔵野大学客員教授に就任した。
2014年(平成26年)4月よりテレビ朝日『ワイド!スクランブル』のメインキャスターを務めることとなり、24年ぶりのキャスター復帰となった。
2018年(平成30年)秋の番組改編に伴い、9月末をもって『ワイド!スクランブル』のメインキャスターを降板[7]。
年譜
家族・親族
橋本家
- (岡山県総社市・倉敷市、東京都渋谷区・港区)
- 実家
- 自家
出演
テレビ番組
報道・情報番組
バラエティ番組・その他
ラジオ番組
映画
著書
脚注
注釈
- ^ その後すぐ新成人に「お前が出て行け!」と言い返されたものの「みなさん、どう思いますか」と他の出席者に意見を聴く形で反撃した。しかし、野次を飛ばした新成人たちは、後日知事の元を直接訪れ、騒いだことを謝罪し、橋本もそれを受け入れた。
出典
外部リンク