柴沼 直(しばぬま なおし、1903年(明治36年)2月22日 - 1973年(昭和48年)3月17日)は、昭和時代の日本の文部官僚、教育者[1][2]。
茨城県生まれ[1]。
水戸高等学校 (旧制) に学び、江戸英雄らが同級生であった[3]。
1926年に東京帝国大学法学部を卒業し、文部省に入省した[1]。1929年、東北帝国大学助教授兼事務官となった後、1932年に文部省に戻り、以降、体育局長、国民教育局長などを経て、第二次世界大戦後の1946年には社会教育局長となった[1][2]。
1946年6月1日に東京教育大学が設置された際に、その初代学長となり、当時、組織統合をめぐって紛争状態にあった大学の主導権を東京文理科大学 (旧制) の教授陣に握らせることで事態の収拾にあたった[4][5]。1956年には学長を退任した[1][2]。
東京教育大学学長在任中の1951年、子供のための音楽教室の運営に関して江戸英雄からの相談を受けた柴沼は、当時理事長を兼任していた桐朋学園でこれを受け入れるべく調整し[3]、1952年の音楽部門の創設に道を開いた[6]。
この間、文部省関係では、社会教育審議会、保健体育審議会、教員養成審議会、大学設置審議会などの委員を務め[7]、ほかにも、学校法人東京家政学院理事長(1960年1月 - 1973年3月)[8]、日本私学教育研究所所長(初代:1963年 - 1968年)[9]など、多数の委員、役職を歴任した。
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