播磨町(はりまちょう)は、兵庫県南部にある町。加古郡に属す。
東播磨県民局の管轄区域。兵庫県下では最小の面積の自治体であるが、人口密度は全国でも有数の高さである。
概要
兵庫県の播磨地区南東部に位置し、印南野台地から流れる喜瀬川流域に街が広がる。弥生時代後期から古墳時代までには大中に当時としては兵庫県下最大の集落が形成され、奈良時代からは阿閇荘と呼ばれており加古郡に属していた。
町村制施行後は阿閇村(あえむら)として自治体を成しており、「兵庫県最後の村」として残っていたが、明石・加古川両市との合併交渉で町内が対立。結果として単独町制の道を選び、1962年4月1日に旧国名である播磨国から取り、播磨町として町制施行した。これにより、兵庫県は日本で初めて自治体として村がない都道府県になった。平成の大合併においても単独町制の継続を選択し、現存する県内の自治体で芦屋市と共に、周辺自治体と合併を経験していない[1][2][3][4][5][6][7][8]。
町内にはJR山陽本線土山駅・山陽電気鉄道本線播磨町駅各駅があり、双方の駅前にはビジネスホテルや中層マンション、業務ビルがある。
町面積の30%を占める人工島(新島・東新島)には重化学工業の工場が操業し、播磨臨海工業地帯の一翼を構成する。都市化は他の郡部と比較するとかなり進んでおり、隣接する明石、加古川両市と遜色ない。平成の大合併により県内で瀬戸内海に面する町が次々と消滅し、残るは播磨町のみとなった。
マンションの新築着工は停滞傾向にあるが、宅地化の著しい進展により、耕地面積は年々減少の一途をたどっている。
自動車に交付されるナンバープレートでは「姫路」エリアに相当するが、町の東部では市外局番が神戸市・明石市と同じ078であり、本町は神戸都市圏であることから、県の二大都市である神戸市と姫路市の経済的・行政的な中間地点が本町付近であるといえる。
マスコットにいせきくんとやよいちゃんがおり、播磨町が「共に生きようふれあいのまち」宣言を行ったとき、イメージ・キャラクターとして生まれた。[9]
地理
東を明石市、北から西を加古川市と隣接している。同じ加古郡の稲美町とは、隣接していた加古郡平岡村などが市制を施行して加古川市になった為、1kmほど離れている。南は瀬戸内海に接しており、新島・東新島の2つの人工島がある。うち東新島の東側半分以上は明石市になっている。兵庫県で一番狭い町である。水の便が悪いために干害に悩まされてきたが、今里伝兵衛によって、用水溝を建設した為に干害がなくなり、農業地帯となった。そのため、ため池が12箇所ある。[1][2][10][5]
河川
平野
池沼
[10]
海岸
人口
町制施行前の1960年10月1日国勢調査による調査時の人口は8814人であり、町制施行時は9363人であった。町制施行当時は人口が1万人に満たなかったが、鉄道で神戸(三宮駅)まで40分、姫路(姫路駅)まで30分という利便性から、交通至便の町として、宅地や工業地などの開発で著しい人口増加を続けてきた結果、1964年8月には1万人を1975年9月には2万人を1985年3月には3万人を超え、学校や施設の基盤整備がすすめられた。しかし、近年は少子高齢化の影響を受け、2000年以降の人口は停滞あるいは微減傾向にあったが、2010年度・2011年度の住民基本台帳によると増加している。また、大半が市街化されており、市街化調整区域は町土の1割程である。東西南北とも3キロほどしかない小さな町で隣接市へ出るのが容易であり、神戸への通勤圏でもある為、町外に通学・通勤する人が就業者・通学者の8割近くを占める[1][2][11][12][13][14]。
人口・人口密度は、兵庫県下の町において最も高かったが、近年は揖保郡太子町が当町の人口を抜き、2位になることもある。しかし、僅差であるために入れ替わりが激しい状態になっている。
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播磨町と全国の年齢別人口分布(2005年)
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播磨町の年齢・男女別人口分布(2005年)
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■紫色 ― 播磨町 ■緑色 ― 日本全国
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■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性
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播磨町(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年)
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13,116人
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1975年(昭和50年)
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20,011人
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1980年(昭和55年)
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26,527人
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1985年(昭和60年)
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29,757人
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1990年(平成2年)
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30,813人
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1995年(平成7年)
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33,583人
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2000年(平成12年)
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33,766人
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2005年(平成17年)
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33,545人
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2010年(平成22年)
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33,183人
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2015年(平成27年)
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33,739人
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2020年(令和2年)
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33,604人
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総務省統計局 国勢調査より
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年齢区分
[14]
統計名 |
年齢 |
人数
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2010年国勢調査
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15歳未満
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4,764人
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15歳から64歳まで
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21,434人
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65歳以上
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6,956人
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人口の変遷
[11][13]
面積
町制施行以来、兵庫県下で一番狭い町であり、埋め立て前の面積は約6 km2であり、その後は町土の沿岸部を埋め立てて結果新島と東新島が誕生し、町土の3割が埋め立て地である。[1][2]
産業
産業人口
年 |
産業種別 |
比率(%)[14]
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2005年国勢調査
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第一次産業
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0.5
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第二次産業
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33.9
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第三次産業
|
64.0
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漁業
はえ縄漁を主にしており、海苔、マアナゴ、スズキ、タコなど[14]。
工業
一般機械器具製造、化学工業など。
町内に拠点を置く工場
約60社の企業が立地している。[1]
商業
町域が狭いこと等から、大規模商業施設の立地はない。加古川市のアリオ加古川、明石市のイトーヨーカドー明石店は播磨町から至近距離にあり、イオン明石ショッピングセンター(イオン明石店・明石ビブレ)等の大型商業施設が近隣に多数立地することから、町内の商業施設は苦戦を強いられている。町内唯一の全国チェーンスーパーマーケットのマックスバリュ古宮店が2023年で閉店しており、商業が衰退している。
行政
役場
歴代町長
播磨町議会
衆議院
- 任期 : 2021年(令和3年)10月31日 - 2025年(令和7年)10月30日(「第49回衆議院議員総選挙」参照)
友好都市・姉妹都市
合併構想
- 1951年7月10日 - 加古川市・旧別府町から各市町の議員などが来訪し、口頭での合併申し入れ。
- 1956年9月16日 -明石市から口頭での合併申し入れ。
- 1958年9月1日 - 明石市から文書により合併仮調印の申し入れ。明石市により、各戸に合併呼びかけの文書配布。
- 1958年9月8日 -加古川市から口頭での合併申し入れ。
- 1958年12月5日 -明石市から文書により早急な意思決定の申し入れ。市長・市議議長の来訪。
- 1959年1月6日 -加古川市から文書により合併条件を挙げての合併申し入れ。市長・市議議長・合併委員長の来訪。
- 1959年5月23日 - 加古川市から文書により短期間の合併実現申し入れ。市長・市議議長・合併委員長の来訪。
加古川市・明石市の播磨町への合併の働きかけは過熱し、両市有志発行の文書合戦など異様な空気に包まれた。一時は上記のように、活発な合併協議が実施されたが、町の東部住民は明石市への合併を希望、西部住民は加古川市への合併を希望する等の難題が多く、住民投票の行われぬまま結局終止符が打たれることとなった。[13]
財政
- 財政状況は厳しい状況であったが、大和紡績などの企業立地が進んだ。それにより、この後の財政状況は県下の中では安定し、平成の大合併においても他市町と合併すること無く現在に至っている。[2]
町章
町域
国土地理院地理情報によると播磨町の東西南北それぞれの端は以下の位置である[14]。
- 東端:東経134度53分30秒・北緯34度43分12秒
- 西端:東経134度50分24秒・北緯34度41分47秒
- 南端:東経134度51分46秒・北緯34度41分25秒
- 北端:東経134度52分47秒・北緯34度43分50秒
隣接する自治体
通勤率は、加古川市へ20.0%、明石市へ17.0%、神戸市へ15.7%である(いずれも平成22年国勢調査)。
歴史
地方
大字
郵便番号 |
大字名
|
675-0142
|
大中
|
675-0157
|
上野添
|
675-0158
|
北野添
|
675-0148
|
北古田
|
675-0144
|
北本荘
|
675-0163
|
古宮
|
675-0155
|
新島
|
675-0160
|
西野添
|
675-0151
|
野添
|
675-0141
|
野添城
|
675-0164
|
東新島
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675-0159
|
東野添
|
675-0156
|
東本荘
|
675-0162
|
二子
|
675-0146
|
古田
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675-0154
|
本荘
|
675-0147
|
南大中
|
675-0150
|
南野添
|
675-0143
|
宮北
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675-0145
|
宮西
|
警察・消防
稲美町とともに、警察は加古川市の加古川警察署が管轄し、消防は加古川市消防本部に委託している。[16]
福祉
[16]
病院
図書館
公園
[11][13]
郵便局
[16]
※町内の郵便配達は加古川東郵便局(加古川市)が行う。
金融
その他の施設
教育
中学校給食化未自治体であったが、2011年(平成23年)1月から町内の全中学校で給食が始まる[11][13]。播磨町立蓮池小学校の児童数が町内の小学校では最も多い[14]。
幼稚園・小学校・中学校
高等学校
特別支援学校
交通
鉄道
かつては別府鉄道土山線が営業していたが、1984年2月1日に廃線。[11]
バス
道路
1958年に都市計画決定された町道浜幹線が2015年03月21日開通。
港湾
市外局番
上述の通り面積が兵庫県内で最も狭く、かつ1889年の町村制制定以来一度も自治体合併を経験していないにもかかわらず、市外局番は町の東西で二分されており、相互間の通話は市外通話扱いとなる[34]。兵庫県道382号本荘平岡線が境界線となっている。
- 078(神戸MA)・・・上野添、北野添、古宮、西野添、野添、野添城、東野添、東新島、二子
- 079(加古川MA)・・・本荘、東本荘、北本荘、宮北、宮西、古田、北古田、大中、南大中、新島、南野添
なお、町役場の市外局番は「079」である。
特産物
[35]
名所・旧跡
祭事・催事
著名な出身者
関連項目
参考文献
脚注
注釈
- ^ 山陽電鉄本線を境に、北側は播磨中、南側は播磨南中の区域となる。
出典
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、
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