画面右には噴水が設置され、イルカに乗った愛と美の女神ヴィーナスの像が庭園の光景を見つめている。場面全体を主宰するのはこのヴィーナス像である。イルカの口からは水が流れ、ヴィーナス像の胸からも水が噴出している。柱廊式玄関の内部にはヴィーナスの侍女である三美神の像が設置されており、別の貴族たちが集まっている。彼らはルーベンスの『村人の踊り』(Dansende boeren in een landschap)を思い出させる[2]。
ルーベンスはティツィアーノの多くの作品を模写し、またティツィアーノに触発された作品を残している。本作品の場合は特にティツィアーノがフェラーラ公爵アルフォンソ1世・デステの書斎を飾るために制作し、後にスペイン王室のコレクションに加わった『アンドロス島のバッカス祭』(Baccanale degli Andrii)および『ヴィーナスへの奉献』(Omaggio a Venere)の祝祭的雰囲気とよく似ている。ルーベンスがスペインを訪れた1628年から1629年、ティツィアーノの両作品はまだスペインにはなかったが、おそらく複製を通じて知っていたと考えられている。実際に神話的人物と現実の人物の共存、画面全体を主宰するヴィーナス像、空を飛翔するプットーたち、自然豊かな舞台と豊富な色彩、官能的な雰囲気と性的な暗示、音楽の存在など、『愛の園』の特徴の多くはティツィアーノの絵画を彷彿とさせる[2]。
来歴
絵画はスペイン国王フェリペ4世の寝室に飾られていたことが知られており、国王の死の翌1666年に、マドリードのアルカサル王宮(英語版)のフェリペ4世の寝室で記録された。1686年、また1701年から1703年にかけても国王の寝室で記録された。1703年には王妃の部屋で記録された。その後、1734年に発生したアルカサル王宮が全焼した火災を生き延びると、旧ベドマー侯爵邸に移され、ブエン・レティーロ宮殿(英語版)、新王宮に移された。スペイン国王フェルナンド7世の死後にプラド美術館の前身である王立美術館(Museo Real de Pinturas)に収蔵された[2]。