安岡 力也 (やすおか りきや、1947年〈昭和22年〉7月19日 - 2012年〈平成24年〉4月8日) は、日本の俳優・ロック歌手・キックボクサー・タレント。シャープ・ホークスのボーカル。イタリア名:リカルド・ニコ・バレンティーノ(安岡力也は日本国籍名)。身長187cm、体重108kg、血液型はO型。イタリア・ジェノヴァもしくは宮城県仙台市出身。埼玉県行田市育ち。長良グループ所属。
デビュー以来、本名の「安岡力也」名義で活動していたが、「安岡リキヤ」と表記していた時期もある。2001年、離婚を機に姓のない芸名「力也」に改名したが、2010年からは再び「安岡力也」名義で活動した。子は俳優の安岡力斗[1]。
来歴
シチリアンマフィアの祖父と父を持ち、イタリア人の父と日本人の母の間にジェノヴァで生まれる[2]。6歳のとき、父の死亡に伴い日本へ帰国したとされる[3]。一方、東京スポーツで生前の2011年4月に掲載された自身の連載「息子へ」では、祖父・父ともシシリーのマフィアであり、米軍と癒着していた関係で来日し、日本人で教師の母との間に宮城県仙台市で生まれた[4]。その後母親と転居を繰り返した後、4歳から埼玉県行田市の祖母宅で育った[4]。父は表向きは貿易商でイタリアと日本を往復したため、父が日本にいる時は麻布の父宅によく行ったが、イタリアで育ったことはないと話している[4]。
高校在学中の[5]1964年に、東宝映画『自動車泥棒』に混血児の少年役で主演し、芸能界デビュー。その後、グループ・サウンズ「シャープ・ホークス」にボーカルとして参加し、1966年にはシングル『ついておいで』でキングレコードよりレコードデビューを果たす。同年末に発売したシングル『遠い渚』と翌1967年夏発売で新メンバーとしてジミー・レノンを加えレコーディングした『海へ帰ろう』がグループの代表曲となりザ・タイガースにとって最初のライバルグループとなる。
シャープ・ホークスと並行して一時期は、ヘビー級とミドル級でキックボクサーをしており、4試合で3勝1敗の成績を残した。ただし相手は素人が多かったと自ら述べている[6]。後に山上ボクシングスポーツジムの副会長も務めていた[7]。1969年にグループ解散後は主に俳優として活動。東映では若山富三郎の派閥に属して、山城新伍の下についていた[8]。仕事を干されていた時期に梅宮辰夫の口利きで[9]梅宮主演映画『不良番長シリーズ』にレギュラー出演して以降、梅宮を兄貴分として信奉している。
1973年の千葉真一主演作品『ボディガード牙シリーズ』を皮切りに、キックボクシングの経験と体格の良さで、東映が製作する千葉や志穂美悦子主演の格闘映画に次々と出演していった。1975年の映画『少林寺拳法』に出演をしたのが縁で少林寺拳法を稽古し、最終的に伍段を允許されている。テレビ番組で相手の回し蹴りに対し、「喧嘩じゃあ、内側に回りこむこういう技がある」と、払い受け段突きを披露していた。
1982年11月に、『オレたちひょうきん族』の1コーナーである「タケちゃんマン」に出演中、台詞である「ほら貝」を「ほたて貝」と思わず間違えて言ってしまったのをきっかけに「ホタテマン」として出演[10]。上下関係には厳しく、強面の風貌とは裏腹に洒落というのを自身で理解出来ており、バラエティ番組などでも重宝されていた。『ひょうきん』でも共演していたビートたけしとは、仕事終わりに毎晩のように遊郭に行っていたという。以降、1980年代からは、バラエティ番組にも進出。2001年、春日井製菓のコマーシャルで「黒飴マン」に扮した。
1984年に結婚、14年ほど結婚生活は続いたが、力也の女性問題を理由に離婚。妻との間に一男一女をもうけた。離婚後は長男の親権を取り、男手ひとつで育ててきた。長男に対する愛情は非常に深く、晩年療養生活が続いていた頃には彼の見舞いをことのほか楽しみにしていたという[11]。前妻との間にもうけた娘がおり、力也という名の孫が居ることを死去の6日前のブログで披露していた[12]。
2005年に肝臓病で入院、一時復帰したが2006年6月下旬にギラン・バレー症候群罹患である疑いのため東京都内の病院に入院、同年7月から出演予定だった舞台を降板して、2008年時点では山梨県の病院でリハビリをしていた[13]。2009年8月にはキックボクシングのKICKGUTSの大会で公の場に姿を見せ、肩を借りて歩いている姿が目撃された[14]。この療養生活で、かつての100kg以上の強靱な肉体は、一時70kg台にまで激減したが、療養生活を終える頃には元の体格に戻っている。
2010年5月17日放送の『徹子の部屋』にリハビリ後の復帰初仕事として出演。かつてはヘビースモーカーだったが[15]、大病を患ってから禁煙、禁酒を始めたと語り、復帰とともに芸名を安岡力也に戻した。同年8月30日から9月1日にかけて、肝細胞癌、C型肝硬変のため、日本赤十字社医療センターで長男の提供による生体肝移植手術を受けた[16]。しかし2012年4月6日に容態が急変し、一時血圧も50まで低下。一時小康状態を保ったが[17]、2012年4月8日午前6時に東京都内の病院で心不全により死去した。64歳没[18][19]。幼馴染の稲川淳二は[20]、訃報を聞き「(彼は)シャイでとても優しかった」とコメントした。中学生になると一時疎遠になるが、芸能界入りした後にばったり再会し、以後交友が続いていた[21]。
逝去1か月半後の2012年5月24日に東京都港区の青山葬儀所にて、自身が兄貴分と慕った梅宮辰夫を発起人としてお別れの会が執り行われ、長年親交が深かった内田裕也、堺正章、中村玉緒などが参列し、力也を偲んだ[22][23]。戒名は「鑑薔院濤力仁道大居士」(かんしょういんとうりきじんどうだいこじ)。堺は「飲み会で金がない時に貸してやったら、その翌朝に返金してくるような律儀な男」と力也の人柄を表現している[24]。墓所は千葉県君津市の圓明院。2012年5月27日に四十九日法要並びに納骨式が執り行われた[25]。
人物
- 王様ゲームの開発者であるとされる[26]。ただし、これについては諸説あるため、断定することが難しい。
- 松田優作とは盟友で、松田が生前に病気のことを告白していたのは撮影関係者では安岡のみである。松田の葬儀にて「どっちが喧嘩強いんだろう、なんて話してた」と気丈にエピソードを語っていた安岡だったが、「もうどちらが強いか試す機会も無くなったのですね……」というインタビュアーの言葉に絶句、悔しそうにボロボロと涙を落とし「あいつとは喧嘩ももう出来ないんだよ……喧嘩も出来ねぇんだ……」と嗚咽した。[要出典]
- 赤坂のディスコでプロレスラーアブドーラ・ザ・ブッチャーと一悶着あり喧嘩になった際、ブロックで頭を殴り負傷させた。その後ブッチャーと偶然再会して意気投合、以後親交を深めたという[27][26]。
- 2004年の広島市長選挙に立候補した古葉竹識の応援演説に登場したが、落選した。
- 『オレたちひょうきん族』出演の時に「タケちゃんマン」や「ひょうきんベストテン」のコーナーにてホタテマンを演じ、評判となり『ホタテのロックンロール』をリリース。民放の歌番組にも出演し、約40万枚のヒット曲となった。これがきっかけでホタテ普及に貢献した事が認められ、後日北海道のホタテ漁業組合から感謝状が贈られた。これまで子供嫌いだった安岡は、子供好きとなり結婚後、一人息子の力斗が産まれてからは子煩悩であり、息子の学校行事によく参加していた。後に春日井製菓のCMにて「黒飴マン」を演じた。
- 性格について、古くからのグループサウンズ仲間は「意外と可愛いところがある」(エディ藩)「本当はかなりおとなしい性格」(瞳みのる)と振り返っている[28]。
- 元祖どっきりカメラで、若山富三郎・清川虹子らにドッキリを仕掛けられ、ハラハラさせられた経験がある。
出演作品
テレビドラマ
映画
Vシネマ
- ネオチンピラ 鉄砲玉ぴゅ〜(1990年、東映ビデオ=東北新社) - 菊池
- 空想科学任侠伝 極道忍者ドス竜(1990年) - 乱獣寺組組長
- お嬢さま刑事 ギャル・ザ・コップ(1990年)
- タフ PART 1 -誕生篇- (1990年)
- マドンナの復讐(1991年)
- ジゴロ・コップ 六本木・赤坂 美少年倶楽部(1991年)
- 豪快さん 嵐のカツ丼(1992年)
- こちら凡人組(1992年) - 凡人組若頭補佐 土方道彦
- 続・こちら凡人組(1992年) - 凡人組若頭補佐 土方道彦
- 俺達は天使(カタギ)じゃない(1993年、安部譲二原作、三池崇史監督) - 主演
- 新書ワル4 決着篇(1994年)
- プリズンホテル(1996年)
- ふたつの顔を持つ男 鉄爪(トリガー)(1996年) - 主演・十文字力
- 突撃 ラクガキ愚連隊(1997年)
- 兎-野性の闘牌-(1998年) - 山城連合会長
- 銀鮫 銀座金融伝説(1999年)
- 日本極道史シリーズ
- 日本極道史 仁義絶叫2 修羅の仁義(1999年) - 焼き鳥屋の大将 カキザキ
- 日本極道史 龍神三兄弟(2000年)全2作 - 天満島田組組長 島田栄五郎
- ケンカ包丁 義(2000年、東映ビデオ) - 市野興業 市野(元 立板)
- ケンカ包丁 義2(2000年、東映ビデオ) - フランス料理店 料理人 市野(元 立板、元 市野興業)
- 示談屋(2000年) - 三蛇組組長 三蛇
- 雀狼伝2,3(2000年) - コタニ(日本料理屋の大将)
- 闇の天使〜DREAM ANGELS(2001年、ケイエスエス)※特別出演
- 銭牝(2001年)
- 殺しの軍団(2001年)
- 極道ジハード 〜聖戦〜(2001年)
- 民事介入暴力 非合法領域(2002年) - 郷田組組長 郷田サトル ※特別出演
- 残侠伝説 覇王道(2002年) - 浦賀組組長代行 鶴田組組長 鶴田
- 新・空手バカ一代2(2003年)
- 実録・北海道やくざ戦争 北海の挽歌(2003年) - 斉藤茂造の兄弟分 大木栄一
- 実録・九州やくざ烈伝 兇健と呼ばれた男(2003年)
- 実録・山陽道やくざ戦争 覇道 完結編(2003年)
- 実録・北九州ヤクザ戦争 侠嵐(2004年)
- 実録・北九州ヤクザ戦争 侠嵐 完結編(2004年)
- 新・日本の首領(2004年)- 義仁会若頭 後藤賢治
- 実録・関東やくざ戦争2 修羅の代紋(2004年、GPミュージアム) - 錦城会常任相談役 大林孝次
- 実録・九州やくざ抗争 誠への道(2006年) - 初代大場一家総長 大場由昭
- 極道の紋章 第11章〜第15章(2010年 - 2011年) - 関東睦会会長 弘和会総裁 権藤伊佐夫
劇場アニメ
舞台
バラエティ
ラジオ
CM・広告活動
- サッポロ一番 ほたてラーメン (ほたて味らーめん、サンヨー食品) - ホタテマンに扮し、CMソングも歌っていた。
- BASFジャパン ハイポジション用カセットテープ「CR-X」 - ホタテマン名義として起用された。
- ほたて風味フライ (かねてつ食品) - ホタテマンの格好で出演。
- 春日井製菓 黒あめ - 黒あめマンに扮し、「♪黒あめなめなめ、黒あめなめなめ、黒あめなめてみろ♪」とCMソングを歌っていた[29]。
ゲーム
ディスコグラフィ
シングル
タイアップ一覧
脚注
注釈
- ^ 新進気鋭の外国人歌手で売り出そうと“ニコ・ヴァレンティーノ”名義で発表された。
出典
- ^ a b “安岡力也Jr.を誘った大物プロレスラー”. デイリースポーツ online (デイリースポーツ). (2014年12月10日). https://www.daily.co.jp/opinion-d/2014/12/10/0007573055.shtml 2015年5月21日閲覧。
- ^ 「ホタテマン」で人気/安岡力也さん略歴 nikkansports.com 2012年6月3日閲覧
- ^ “父マフィア、銃撃見て育つ…安岡さん人生”. nikkansports.com (2012年4月9日). 2013年3月12日閲覧。
- ^ a b c 東京スポーツ・2011年4月7日付 連載「息子へ 安岡力也」③
- ^ 安岡力也さん死去…最後にポツリ「俺負けたな…」
- ^ 浅草キッド『濃厚民族』スコラマガジン、2003年、pp.99-103。浅草キッドとの対談より
- ^ 天笠が初防衛!力也さんに捧げた サンケイスポーツ 2012年4月10日閲覧
- ^ 『濃厚民族』pp.112-113
- ^ 『濃厚民族』p.110。
- ^ 「オレたちひょうきん族クロニクル」『笑芸人』1999冬号VOL.1、高田文夫責任編集、白夜書房、1999年、p.38.
- ^ 2012年4月8日放送「スッキリ!」等のTV番組で長男本人が記者会見して語った内容による
- ^ 隠してた訳じゃねぇが、 安岡力也オフィシャルブログ「閻魔様にも断られちまった! - 2012年4月2日
- ^ 「激ヤセ安岡力也は山梨の病院でリハビリ中」『週刊新潮』2008年6月5日号。
- ^ 吉田豪「新書評の星座」『ゴング格闘技』2009年10月号
- ^ ある番組で催眠術の力で力也が煙草を吸えなくなるといった企画も行われた
- ^ 安岡力也、生体肝移植手術成功!医師8人がかりで42時間 安岡力也が生体肝移植 長男提供大手術 - スポーツ報知.com 2010年9月2日
- ^ 力也頑張れ! 友人らベッド脇で勇気づける - スポーツ報知,2012年4月8日
- ^ 安岡力也さん、心不全で死去…64歳 Archived 2012年7月24日, at Archive.is - デイリースポーツ 2012年4月8日
- ^ 安岡力也さん死去…「ホタテマン」で人気 - 読売新聞 2012年4月8日
- ^ 『人間コク宝』p.137。
- ^ 東京スポーツ・2011年4月13日付 連載「息子へ」
- ^ 安岡力也さん「お別れの会」に500人参列 内田裕也「“ロック”まで生きてほしかった」 共同通信 2012年5月24日閲覧
- ^ 裕也“69”まで生きてほしかった 日テレNEWS24 2012年5月24日閲覧
- ^ 内田裕也“ホタテロック”で力也さんとお別れ サンケイスポーツ 2012年5月25日閲覧
- ^ 皆様へ 『閻魔様にも断られちまった!』安岡力也オフィシャルブログ 2012年5月28日閲覧
- ^ a b 週刊ポスト2012年4月27日号
- ^ ブレイクマックス2003年9月号
- ^ 近田春夫『グループサウンズ』(2023年 文藝春秋 ISBN 9784166613816)p.183。
- ^ 安岡力也 - オリコンCM出演情報
関連項目
外部リンク