安佐南区

あさみなみく ウィキデータを編集
安佐南区
広島広域公園
日本の旗 日本
地方 中国地方山陽地方
都道府県 広島県
広島市
市町村コード 34105-3
面積 117.03km2
総人口 244,936[編集]
推計人口、2024年10月1日)
人口密度 2,093人/km2
隣接自治体
隣接行政区
広島市東区西区安佐北区佐伯区
安佐南区役所
所在地 731-0193
広島県広島市安佐南区古市一丁目33番14号
北緯34度27分6.7秒 東経132度28分17.9秒 / 北緯34.451861度 東経132.471639度 / 34.451861; 132.471639座標: 北緯34度27分6.7秒 東経132度28分17.9秒 / 北緯34.451861度 東経132.471639度 / 34.451861; 132.471639
安佐南区役所
安佐南区役所
外部リンク 広島市 安佐南区役所
安佐南区位置図
ウィキプロジェクト
安佐南区(緑井・権現山より緑井・古市方面)

安佐南区(あさみなみく)は、広島市を構成する8つの行政区のひとつ。

概要

1980年昭和55年)4月1日、広島市の政令指定都市移行に伴い設置された。広島市域のほぼ中央、広島の中心市街地から見て北に位置し、区域はいずれも1971年から1973年にかけて広島市に編入された祇園町佐東町安古市町沼田町の旧安佐郡南部4町の領域にあたる。区役所は旧安古市町の古市地区にあり、祇園、佐東、沼田の各地区には区役所の出張所が置かれている。

人口は広島市の8つの区の中で最多の約24万人(2017年6月現在)。区東部の境界を流れる太田川やその支流に沿った平地を除き、区域のほとんどが丘陵地や山間部で、古くは農業主体の地域であったが、昭和40年代後半から昭和50年代にかけて山間の地域も含む大規模な宅地開発が進み[1]、広島市郊外のベッドタウンとして急速に都市化・交通網の整備が進んだ。現在は広島高速交通広島新交通1号線(アストラムライン)等により広島市中心部と結ばれ、マンション・住宅・商業施設の増加もあって人口が増え続けている。計画都市である「西風新都」の一部が区域内に含まれる。

また大学、高校などが多く置かれた文教地区としての側面も持ち、区章はペンを模している。

地理

祇園方面から見た武田山(佐東銀山城址/安佐南区)

町名

市外局番・郵便番号

市外局番
  • 区内全域:082
郵便番号

人口の変遷

  • 1980年 157,728
  • 1985年 169,430
  • 1990年 174,912
  • 1995年 185,414
  • 2000年 204,636
  • 2005年 219,343
  • 2010年 233,733
  • 2015年 242,512
  • 2020年 244,923

公共施設

文化施設

※公民館は、「教育」の項を参照

官公庁

  • 広島市安佐南区役所
    • 祇園出張所
    • 佐東出張所
    • 沼田出張所
    • 戸山連絡所
警察
消防

水道施設

産業

工業は、以前三菱重工業の広島(祇園)工場が存在したが2003年に閉鎖された。旧油谷重工はコベルコ建機株式会社広島事業所となって創業している。

農業は、川内(旧佐東町)では「広島菜漬」が生産されている。江戸時代に京菜を導入したと言われている[誰によって?]

安佐南区に本社を置く企業

デパート・大規模商業施設

以下に記載する商業施設は大規模で広域集客力のある物に限定し、店舗の大まかな説明も記載している。百貨店はサテライト店舗でない物、ショッピングセンターは原則10,000m2以上(参照)としている。ただし、施設が集積しているなどしている場合は、例外的に掲載している場合もある。

商店街

  • 毘沙門通り商店街(緑井)
  • 古市商店街
  • 中筋東野商店街

交通

大町駅
広島高速交通1号線(アストラムライン)
西日本旅客鉄道 (JR) 可部線

鉄道

道路

高速道路

一般国道

主要地方道

一般県道

バス

高速バス

上記のバスのほか、アストラムライン中筋駅(中筋バスターミナル)には名古屋・大阪・神戸・岡山・福山・尾道市・府中市・世羅町方面の高速バスが停車する。大塚駅には鳥取・米子・松江・出雲・浜田方面の高速バスが発着し、広域公園前駅には東京・京都・大阪・神戸方面の高速バスが発着している。岩国・徳山・防府・山口・北九州・福岡方面の高速バスは大塚駅と広域公園前駅の両方に停車する。

一般路線バス

広電バス[2] は以下の路線を運行している。

広島交通[3] は以下の路線を運行している。

  • 70 毘沙門台・サンハイツ線:広島駅・広島バスセンター・横川駅方面 - 祇園大橋北 - 古市小学校前 - 安佐中学校前 - びしゃもん台・サンハイツ方面
  • 71:広島駅・八丁堀・紙屋町方面・横川駅方面 - 新庄橋 - 祇園が丘 / 春日野 / 山本東亜ハイツ / 広島経済大学 / 矢口駅
  • 72:広島駅・広島バスセンター・横川駅方面 - 祇園大橋北 - 古市小学校前 - 中緑井 - 太田川橋 - 可部駅前 - 南原 / 大林車庫 / 桐陽台方面
  • 73:広島駅・広島バスセンター・横川駅方面 - 祇園大橋北 - 古市小学校前 - 中緑井 - 太田川橋 - 可部駅前 - 星が丘 / 安佐営業所 / 勝木台 / 大畑 / 虹山県住
  • 74:広島駅・広島バスセンター・横川駅方面 - 祇園大橋北 - 古市小学校前 - 緑井五丁目 - 別所団地 - 可部駅前・南原研修センター方面 / 上原方面
  • イオンモール広島祇園線:イオンモール広島祇園 - 山本小学校前 - 春日野
  • 緑井・高陽・北部医療センター線:中緑井 - 安佐中学校前 - 安東駅 - 弘億団地 - 中央ゴルフ場前 - 柳瀬・北部医療センター方面
  • 高陽・毘沙門台線:びしゃもん台 - 安佐中学校前 - 中緑井 - 八木梅林 - 玖村駅前・高陽車庫方面

フォーブル[4] は以下の路線を運行している。

  • あさおか台・武田山団地線:上安駅 / 大町駅 - 武田山団地・あさおか台方面
  • サンハイツ線:(大町駅 - )上安駅 - サンハイツ
  • 飯室線 (才の原経由) / あさひが丘線:上安駅 - 安佐動物園 - 県営あさひが丘住宅 - 安佐営業所
  • 東亜ハイツ線:上安駅 - 東亜ハイツ
  • 第一・第二高取団地線:上安駅 - 第一高取団地 - 第二高取団地
  • 平和台線:(大町駅 - )高取 - 平和台上
  • 瀬戸内ハイツ線 / ふじが丘団地線:上安駅 - 長楽寺駅 - ふじが丘団地 - 瀬戸内ハイツ
  • 三菱団地線:大原駅 - 三菱上 - 長楽寺駅
  • 奥畑線:大原駅 - 奥畑方面
  • 椎原線:大原駅 - 椎原・下大下方面
  • くすの木台・戸山線 / 飯室線 (久地経由):大原駅 - くすの木台 - 戸山方面 / 安佐営業所方面
  • 若葉台線:(伴学校 - )大原駅 - 若葉台
  • 大塚・伴地区「ふれあいバス」(下城ハイツ線):下条ハイツ上 - 伴中央駅 - 大原駅 - 伴中央駅 - 下条ハイツ上 - A.シティ中央 - 下条ハイツ上
  • 緑井循環バス(南循環):緑井駅 - 川内5丁目 - 緑井駅
  • 緑井循環バス(北循環):緑井駅 - 八木梅林公園 - 七軒茶屋 - 緑井駅
  • 筒瀬線:八木小学校前 - 太田川橋 - 筒瀬 - あさひが丘中

史跡・歴史的建造物

広島市の文化財(1) 有形文化財:建造物広島市の文化財(10) 記念物:史跡広島市の文化財(11) 記念物:名勝広島市の文化財(12) 記念物:天然記念物広島市の文化財(13) 登録文化財 より。

  • 史跡(県指定)
    • 佐東銀山城址(祇園町・山本町・相田町) - 鎌倉時代以降、天文10年(1541年)に毛利氏に滅ぼされるまで安芸武田氏が居を構えた。現在は武田山の名称で、ハイキングやトレッキング、縦走コースとして親しまれている。安佐南区のシンボル的な山として、周辺各地域の住民による保全・整備活動が活発に行われており、多数のコースがある。
    • 八木城址(城山地区・八木五丁目) - 毛利氏一門香川氏の居城跡。承久3年(1221年)の承久の乱で活躍した香川経景が褒賞として安芸国八木を与えられ、その子香川景光が八木城を築城した。その後、毛利元就によって太田川を守る要塞となった。
  • 天然記念物(県指定)
    • 正伝寺のクロガネモチ
    • 長束の蓮華松
  • 天然記念物(市指定)
    • 阿刀明神社の社叢
    • 中の森八幡神社のアラカシ
    • 温井八幡の乳下りイチョウ
    • 新宮神社のイチイガシ及びイヌマキ

神社

  • 安神社(祇園) - 祇園社と称す。創立の年代は定かでない。素戔嗚尊稲田姫を祀る。
  • 平山神社(山本) - 平山八幡宮と称す。八幡神を祀る。永禄頃、毛利家が改築し社領を寄附したといわれる。
  • 長束神社(長束) - 八幡神、伊弉諾神尊大年神を祀る。
  • 安藝津彦神社(長束) - 安藝津都命、安藝都姫命を祀る。もと青原にあり官幣社と称し厳島兼帯七社のひとつであったが、後にもと新庄にあった安藝津彦神社を合し今の地に移ったといわれる。
  • 熊野神社(祇園) - 伊弉諾命伊弉冉命を祀る。
  • 新羅神社(祇園) - 武田氏の祖、義光霊を祀る。武田信宗の創建。
  • 熊岡神社(祇園) - 八幡神を祀る。武田氏金山城の守護とし鎌倉鶴岡より勧請する。
  • 日吉神社(祇園) - 大山咋神、大己貴神を祀る。
  • 冬木神社(西原)
  • 瑞穂神社(西原)
  • 光廣神社(八木) - 八幡神を祀る。毛利氏時代の神領は、文禄3年に4石9斗8升1合、慶長中に7石6斗2升4合と記録がある。また、香川勝雄が大蛇を退治した太刀が奉納されていた。
  • 細野神社(八木) - 応神天皇を祀る。明治4年(1871年)に可部中屋の大歳神社と下細野の伊勢神社を合祀して八幡三神となっている。太田川の舟運の守護神。
  • 地主神社(八木) - 大国主命を祀る。秋に神楽舞などのお祭りが行われる。
  • 田中山神社(安東)-創建は1299年(正安元年) 武田信宗銀山に築城した際、鬼門を除くために勧請した。
  • 大元神社(高取) - 高取第一公園に鎮座する。

仏閣

  • 立専寺(山本) - 武将山と號す。昔は禅宗で、浄土真宗本願寺派に改宗。
  • 専念寺(山本) - 清徳山と號す。昔は禅宗で、浄土真宗本願寺派に改宗。
  • 蓮光寺(長束) - 栢原山と號す。もと仏護寺十二坊のひとつ。昔は天台宗で、浄土真宗本願寺派、時宗となり、慶長4年(1599年)蓮光寺と改める。
  • 勝想寺(祇園) - 龍水山と號す。元禄元年(1688年)の創立。浄土真宗本願寺派。
  • 明福寺(西原) - 原洞山と號す。昔は真言宗大蔵坊という。応永4年(1397年)の改宗。浄土真宗本願寺派。
  • 浄源寺(東原) - 小原山と號す。
  • 浄樂寺(八木) - 柏渓山と號す。元和5年(1619年)に須超により開基される。浄土真宗本願寺派。第十四代浄楽寺住職は心理学者の桐原葆見
  • 光明寺(高取) −長瀧山と號す。弘安2年(1279年)に真言宗圓妙院として建立される。寛正元年(1460年)に圓妙院第13代の性空が本願寺宗主の蓮如上人に弟子入りし、蓮空と改名し、浄土真宗に改宗。明応7年(1498年)に光明寺と改める。正安2年(1300年)に武田信隆より寄進された鰐口は広島県内で最古の物とみられている。第24代の遠藤治宣は中国放送 (RCC) の元スポーツディレクターであり、退職後、2000年4月8日〜2007年3月31日に放送されていたRCCラジオの土曜日朝のワイド番組「治宣の千客万来」のパーソナリティも務めていた。
  • 浄光院の虚空蔵さん(八木) - 木像の虚空蔵が祀ってあり、テレビアニメまんが日本昔ばなしで「浄光院の虚空蔵さん」として放送された。
  • 願成寺真言宗権現山毘沙門堂(緑井) - 正安元年(1299年)、毘沙門天を尊信していた武田氏により、北方の守護として僧覚信坊が須彌山元成寺跡に建立。毘沙門堂に行基菩薩の作とされる毘沙門尊像が安置されている。脇侍として吉祥天、並びに禪尼師童子の御尊像・聖観音像・七福神石像・修業大師像・縁結び岩・福石・びしゃもん子ねこが祀られている。毘沙門天は佛教守護神四天王七福神の一つで、世人に福徳を与えるとされ、商売人の信仰が厚く、商売繁盛・家内安全・縁結びの神様として、毎年旧暦初寅の日とその前夜の「毘沙門天初寅祭」(広島三大祭りの一つ)には参道に多くの露店が並び、広島県内はもとより中・四国から大勢の参詣者が訪れてにぎわう。里見の岩からは広島市街地を一望できる。

教育

大学・短期大学

公立
私立

専門学校

高等学校

区内の公立高校は1975年(昭和50年)以降の創立で、広島市の旧市内(中、南、西各区全域と東区の一部)と違い総合選抜が行われなかった。結果、安古市高等学校が県立高校屈指の難関校となって旧市内の私立高校への上位層流出をある程度食い止めた反面、安古市高等学校のある毘沙門台団地の生徒で安古市高等学校へ入学できない生徒は、必然的に区内および安佐北区の他校への遠距離バス通学が必至となった。このため、毘沙門台団地の住民の一部より「安佐南・北区での総合選抜の実現」の運動がされていたが、アストラムラインの開通による通学事情の改善と旧市内での総合選抜廃止の動きの流れの中で実現せずに立ち消えになった。

公立
私立

中学校

公立
私立

小学校

公立

幼稚園

公立
私立

保育園

公立
私立

公民館

安佐南区出身の有名人

政治・経済

学術

文化

芸能

スポーツ

その他

ゆかりのある人物

  • 河井案里(広島県議会議員、参議院議員、河井克行の妻)
  • 河井克行(広島県議会議員、衆議院議員、河井案里の夫)

安芸武田氏

安芸武田氏は、承久3年(1221年)の承久の乱の戦功によって安芸国守護に任じられたことから始まる。武田信時元寇に備えて佐東銀山城(安佐南区祇園町)を築き、南北朝時代に武田信武足利尊氏に属して戦功を上げ、甲斐国と安芸国の守護に任命され、武田氏信が安芸守護となった。大内氏と対立関係にあり、応仁の乱でも東軍方につき、以降、尼子氏らと組んで大内氏に対抗したが、1541年天文10年)6月に大内氏の命を受けた毛利元就によって銀山城は落城した。戦国時代末期から安土桃山時代にかけて毛利氏の外交僧として活躍した安国寺恵瓊武田信重の子にあたり、江戸時代前期、朝廷や徳川将軍家、諸侯の診療にあたった武田道安も、安芸武田氏の流れを汲むとされる。また、子孫には呉武田学園理事長の武田信寛がいる。

安芸香川氏

安芸香川氏は、承久3年(1221年)の承久の乱の戦功によって安芸国に地頭職を得て、香川景光が八木城(安佐南区八木)を築いた。安芸武田氏に従ったが、武田氏の滅亡により、毛利氏一門となって香川光景が家臣として活躍。毛利水軍の一角(川内水軍)も担って、多くの戦に参加して功績を上げた。毛利氏の防長移封以後の香川氏は、岩国領吉川氏家老職を務め、香川正矩は『陰徳記』を記す。その次男の景継は延宝元年(1673年)、宣阿として『陰徳記』の加筆・修正を行い『陰徳太平記』を出版するなど、歌人として京(京都)に在住するようになり、「梅月堂」と称して徳大寺家に仕えた。また、その子孫も代々徳大寺家に仕え、著名な歌人を輩出した。香川正経(正恒)は岩国市に残る「香川家長屋門」を建て、香川景晃文化3年(1806年)、今津・室の木沖干拓事業を進め、「麻里布開作」と名付けて、岩国を海上交通や物流の拠点とした。また、文人・歌人としての家系である香川氏らしく、国文学者や歌人としても活動。岩国市藤生の「松巌院」には、景晃の書が遺っている。

脚注

関連項目

外部リンク