入江 徳郎(いりえ とくろう、1913年(大正2年)7月15日 - 1989年(平成元年)9月5日)は、日本のジャーナリスト、ニュースキャスター、エッセイスト。朝日新聞社論説委員、JNNニュースコープキャスター。
来歴・人物
福岡県遠賀郡芦屋町出身。福岡県立東筑中学校を経て、1936年(昭和11年)東京帝国大学文学部社会学科卒業後、朝日新聞社に入社[1]。
長野支局を振り出しに社会部記者一筋に活躍[1]。ノモンハン事件では従軍記者として死線をさまよい、事件を描いた『ホロンバイルの荒鷲』で記者としての才能を認められ[2]、戦後の著書『泣虫記者』は話題になった[1]。
社会部次長、週刊朝日副編集長などを経て、1961年(昭和36年)に編集委員、63年に論説委員となり、同年5月から70年4月まで朝日新聞の1面コラム「天声人語」を担当した。
1970年(昭和45年)に退社後[1]、1983年(昭和58年)3月までTBSテレビの報道番組『JNNニュースコープ』のメインキャスターを務めた[2][3]。またこれに就任する前の1960年代には、フジテレビの『テレビ新聞』にも出演していた。
1989年9月5日、呼吸不全のため死去[1]。76歳没。
著書
- 『ホロンバイルの荒鷲 ノモンハン千四百機撃墜記』鱒書房、1941年。
- 『ストライキ記者』国際出版、1948年。
- 『泣虫記者』鱒書房 1952年。のち春陽文庫。
- 『續泣虫記者』鱒書房 1952年、のち春陽文庫。
- 『泣虫記者 続々』鱒書房(ニュースマン・シリーズ)、 1953年。
- 『サムライ記者』鱒書房 (ニュースマン・シリーズ)、 1954年。
- 『輪転機は笑う』鱒書房、 1956年。
- 『現代千一夜物語』春陽堂書店、1958年。
- 『僕は一浪』秋元書房、1962年。
- 『日日の随想 書いたりしゃべったりー私の人生哲学』日本文芸社、1972年。
- 『マスコミ文章入門 よい文章を書くための24章』日本文芸社、1972年。
- 『新しい手紙文例集 年賀状の書き方付き』有紀書房、1975年。
- 『作文の技術 就職作文・ビジネス作文のすべて』実業之日本社(実日新書)、1977年。
- 『天声人語』5-6 朝日新聞社、1981年。
- 『われら熟年』社会保険出版社、1981年。
- 『マスコミの渦の中から』講談社、1983年。
- 『歩きながら笑う話』現代出版、1985年。
- 『戦後昭和史うらおもて』ミリオン書房、1986年。
- 『昭和追想 マスコミ生活50年』騒人社、1989年。
共著編
- 扇谷正造『書かれざる特ダネ』話社、1948年。
- 映画『白昼の決闘』(新東宝、1950年)の原作となった。
- 編著『新世界の名文句』日本文芸社(NBハウツー・シリーズ) 1974年。
その他
脚注
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期間 |
平日 |
休日
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メインキャスター |
アシスタント |
スポーツ |
お天気 |
メインキャスター |
スポーツ
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月曜日 |
火曜日 |
水曜日 |
木曜日 |
金曜日 |
土曜日 |
日曜日
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1962年10月1日 |
1964年3月28日
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田英夫 |
戸川猪佐武 |
なし |
なし |
なし |
戸川猪佐武 |
(放送なし) |
なし
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1964年3月30日 |
1965年3月27日
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田英夫 |
古谷綱正 |
藤原弘達
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藤原弘達
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1965年3月29日 |
1968年3月31日
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藤原弘達
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1968年4月1日 |
1968年9月29日
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古谷綱正
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1968年9月30日 |
1969年9月28日
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近江正俊 |
近江正俊☆
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1969年9月29日 |
1975年3月30日
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古谷綱正 |
入江徳郎
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1975年3月31日 |
1981年3月29日
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浅野輔 |
入江徳郎
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1981年3月30日 |
1983年10月2日
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新堀俊明
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1983年10月3日 |
1984年9月30日
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新堀俊明☆ |
浅野輔 |
浅野輔
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1984年10月1日 |
1987年10月4日
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田畑光永 |
吉川美代子 |
松下賢次 |
浅野芳 |
多田護
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1987年10月5日 |
1988年10月2日
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なし |
森田正光1・2・3・5 |
木場弘子4
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1988年10月3日 |
1989年10月1日
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平本和生 |
三雲孝江3
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1989年10月2日 |
1990年4月1日
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吉川美代子2 |
戸崎貴広2
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