元寺町(もとてらまち)は、江戸期から現在にかけての青森県弘前市の地名。郵便番号は036-8355。2017年6月1日現在の人口は142人、世帯数は69世帯[1]。
地理
町域の北部から北東部にかけて東長町、東部は元寺町小路・上鞘師町・下鞘師町・鉄砲町・一番町、南部は親方町・元長町、西部から北西部にかけて下白銀町に接する。
歴史
- 寛永末年頃 - 東側に町屋5軒・寺院(浄土宗5・法華宗3・浄土真宗6・天台宗1)があり、西側に町屋がある(津軽弘前城之絵図)。
- 正保3年 - 寺院(浄土真宗4・天台宗1・法華宗3)が見える(津軽弘前城之絵図)。
- 慶安2年 - 寺町とあり、西側は31軒の屋敷割りがされる。その他では堺屋等の商家、大工・煙草屋等も見られ、職種は雑多であった。
- 同年5月3日 - 横町(現:東長町)の算盤屋から出火した火災が、当地の4つの寺院を焼く(平山日記)。この火災により、当地の寺院は南側に移されると、新たに新寺町が形成される(津軽歴代記類)。当地は以後、本寺町(または元寺町)と呼ばれることになる。
- 延宝6年 - 現在の一番町が本寺町一丁目、現在の鉄砲町が本寺町二丁目、現在の上鞘師町が本寺町三丁目、現在の下鞘師町が本寺町四丁目、現在の元寺町小路が本寺町五丁目とあり、合わせると町屋を中心に81軒の屋敷がある。
- 享保4年頃 - 本寺町一~五丁目は、現在の一番町・鉄砲町・上鞘師町・下鞘師町・元寺町小路となる。
- 宝暦6年 - 町名は見えず、延享元年に本町一丁目の大火後に武家屋敷街に変化(弘前町惣屋舗改大帳)。
沿革
- 江戸期 - 弘前城下の一町。
- 明治初年~明治22年 - 弘前を冠称。
- 1899年(明治22年) - 弘前市に所属。
施設
医療
商業
宿泊
マスコミ
教会
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。
交通
上元寺町(弘前駅・小比内経由 - さくら野弘前店 復路、他)停留所。
脚注
参考文献
角川日本地名大辞典 2 青森県(角川書店)
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※地域区分(弘前市国勢調査報告書p.14で使用されているもの)ごとに表示する。 |
旧弘前市 |
新市街地域 |
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桜ヶ丘・緑ヶ丘地区 | |
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向外瀬・青山地区 | |
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城東・外崎地区 | |
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松原・取上地区 | |
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中野・城南地区 | |
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浜の町・石渡地区 | |
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田園地域 |
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清水地区 | |
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和徳地区 | |
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豊田地区 | |
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堀越地区 | |
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千年地区 | |
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藤代地区 | |
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東目屋地区 | |
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船沢地区 | |
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高杉地区 | |
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新和地区 | |
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石川地区 | |
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