佐藤 仁哉(さとう じんや、1952年12月26日[1][2][3][4][5][6][7] - )は、日本の俳優。本名同じ[1][3]。新倉事務所[3]に所属した後、現在はI・T企画所属[8]。
岩手県[1][5][7]釜石市出身[2][4][6][注釈 1]。
中学在学中に父の転勤によって一家で東京都へ転居[6]。劇団日本児童に所属して活動し、高校在学中の1969年に東宝映画『バツグン女子高校生 16才は感じちゃう』(公開は翌年)で本格デビュー[7][6]。
1975年、特撮テレビドラマ『正義のシンボル コンドールマン』(NET)で初主演を果たし[7][6]、1976年、テレビ小説『絹の家』(TBS)の坊ちゃん役で注目される[9]。1978年には映画『人間の骨』の主役に抜擢(ばってき)された[10]。以降、刑事ドラマや時代劇で善人から悪人まで幅広く演じ分ける。特に、東海テレビ制作の昼ドラマには常連として多数の作品に出演し、さまざまな役柄を演じた[9]。
また、映画『サーキットの狼』(東映)への出演がきっかけで、26歳でプロレーサー・デビューし、3年に亘って活躍[6]。富士フレッシュマンレースで優勝するなど、好戦績を残している[9][6]。
趣味は、カメラ[2]、アウトドアスポーツ[2]、ゴルフ[5]、スキー[5]、水泳[5]、ギター[5]、ドラム[5]、イタリア料理[5]。特技は、歌[1][3][5]、A級ライセンス[11][1][5]、スポーツ[5]、音楽[5]。既婚で一男あり[12]。
『仮面ライダーV3』など、『正義のシンボル コンドールマン』以前にも複数のオーデイションを受けていた[6]。『コンドールマン』のオーディションでも落ちると思っていたが、最終選考で『コンドールマン』の原作者である川内康範に赤坂のホテルに呼び出され、川内から目の上と口を隠すポーズを取っただけで即決したときは呆然としたと述懐している[13][6]。
『コンドールマン』の愛車・マッハコンドルのカースタントは全てこなしていた[14][6]。
監督の村石宏實とは村石が助監督だった時期より親交があり、映画『人間の骨』への出演を勧めたのは村石だった[10][6]。