伏見宮 博明王(ふしみのみや ひろあきおう、1932年〈昭和7年〉1月26日 - )は、日本の旧皇族。伏見若宮博義王[注釈 1]第1王子。伏見宮第26代当主。1947年(昭和22年)の皇籍離脱後の氏名は伏見 博明(ふしみ ひろあき)。日本文化振興会総裁。新日本美術院総裁。国際学士院総裁。モービル石油(現在のENEOS)及びPMインターナショナル顧問。上皇明仁の三従兄であり、今上天皇(徳仁)の三従伯父にあたる。
1932年(昭和7年)1月26日午後2時27分、伏見宮邸において博義王と博義王妃朝子の第1王子として誕生[1]。御七夜の2月1日に「博明」と命名された[2]。
1938年(昭和13年)10月19日に、父宮の博義王が薨去。さらに第二次世界大戦後間もない1946年(昭和21年)8月16日に、祖父・伏見宮博恭王が薨去したことに伴い、14歳で伏見宮を継承する。
連合国軍占領下において、1947年(昭和22年)10月14日に他の皇族と共に臣籍降下(皇籍離脱)した[3]。皇籍離脱直前の時点では、皇位継承順位は三笠宮家の寬仁親王に次いで第7位であり、伏見宮系皇族としては筆頭であった。
幼少からの親友李玖[注釈 2]とともに、やがてアメリカ合衆国への留学を熱望するようになった[4]。そして、同国マサチューセッツ工科大学に留学し、帰国後はモービル石油(現:ENEOS)に入社。現在は同社の顧問を務める。
2001年(平成13年)に、日本文化振興会の第5代総裁に就任。皇籍離脱後は一般人の博明だが、授賞式では、かつて皇族だったことを踏まえて敬意を示され「殿下」と呼ばれた。それ以降、周りの者からは殿下付けされている。
2022年(令和4年)、自身が顧問を務めているPM-Japan社がマルチ商法を展開し、これによって薬機法違反疑惑を掛けられていることが報道されたが、本人の回答は「そんなのわかんねえよ」というものだった[5]。
男子がいないため、伏見宮家は第26代当主である博明の代で嫡流が断絶する見込み。
この項目は、日本の皇室、皇族に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Category:日本の皇族)。
Lokasi Pengunjung: 3.15.214.228