伏見宮貞教親王(ふしみのみや さだのりしんのう)は、江戸時代末期の皇族。世襲親王家の伏見宮第21代当主。伏見宮邦家親王の第6王子。母は鷹司政熙の娘の鷹司景子。幼称は、睦宮(よりのみや)。
天保7年(1836年)9月17日、伏見宮邦家親王の第6王子として生まれ、「睦宮」と命名される。晃親王ら異母兄がいたが、正室・鷹司景子の子である睦宮が嫡子となる。天保13年(1842年)8月、父の邦家親王の隠居に伴い、7歳で伏見宮を継承する。弘化4年(1847年)5月、仁孝天皇の猶子となる。翌嘉永元年(1848年)3月、孝明天皇から親王宣下を受け、「貞教」の諱を賜る。同年4月、元服して兵部卿に任ぜられ、5月には三品に叙せられる。伏見宮家は琵琶を家芸とし、琵琶の秘曲伝授を代々受け継いでいたが、貞教親王はその琵琶に秀でた。なお、祐宮(のちの明治天皇)が親王宣下を受ける万延元年(1860年)までの間、有栖川宮幟仁親王、有栖川宮熾仁親王と並び、皇位継承の候補であった[1][2]。
文久2年(1862年)10月19日、二品に叙せられるが、同月25日(実際には14日)薨去。享年27。法名、真実相院。伏見宮は同母弟の貞愛親王が継承した。
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