五反城町(ごたんじょうちょう)は、愛知県名古屋市中村区の地名。五反城町1丁目から五反城町8丁目[2]。住居表示未実施[6]。
地理
名古屋市中村区南部に位置する。南は岩塚本通、北は上石川町に接する。
歴史
地名の由来
岩塚町の字五反城に由来する。
沿革
- 1954年(昭和29年)10月1日 - 以下の通り、中村区岩塚町および向島町の各一部により、同区五反城町として成立。
- 五反城町1丁目が、向島町5丁目・6丁目および岩塚町字五反城の各一部により成立。
- 五反城町2丁目が、岩塚町字五反城の一部により成立。
- 五反城町3丁目が、岩塚町字五反城の一部により成立。
- 五反城町4丁目が、岩塚町字五反城・字向田・字七畝割・字足洗の各一部により成立。
- 五反城町5丁目が、岩塚町字向田・字足洗・字七畝割の各一部により成立。
- 五反城町6丁目が、岩塚町字向田・字足洗・字七畝割の各一部により成立。
- 五反城町7丁目が、岩塚町字向田・字足洗・字七畝割の各一部により成立。
- 五反城町8丁目が、岩塚町字向田・字足洗・字七畝割の各一部により成立。
世帯数と人口
2019年(平成31年)2月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[3]。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移
1955年(昭和30年)
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1,507人 |
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1960年(昭和35年)
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1,675人 |
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1965年(昭和40年)
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1,585人 |
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1970年(昭和45年)
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1,478人 |
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1975年(昭和50年)
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1,395人 |
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1980年(昭和55年)
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1,268人 |
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1985年(昭和60年)
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1,226人 |
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1990年(平成2年)
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1,209人 |
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1995年(平成7年)
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1,148人 |
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2000年(平成12年)
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1,102人 |
[16]
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2005年(平成17年)
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985人 |
[17]
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2010年(平成22年)
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965人 |
[18]
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2015年(平成27年)
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939人 |
[19]
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学区
市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる[20]。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる[21]。
交通
鉄道
道路
施設
その他
日本郵便
脚注
参考文献
- 名古屋市総務局企画室統計課 編『昭和31年版 名古屋市統計年鑑』名古屋市、1957年。
- 名古屋市総務局企画部統計課 編『昭和41年版 名古屋市統計年鑑』名古屋市、1967年。
- 名古屋市総務局統計課 編『昭和51年版 名古屋市統計年鑑』名古屋市、1977年。
- 名古屋市総務局統計課 編『昭和60年国勢調査 名古屋の町・丁目別人口(昭和60年10月1日現在)』名古屋市役所、1986年。
- 中村区制施行50周年記念事業実行委員会記念誌編集委員会 編『中村区誌―中村区制施行50周年記念―』中村区制施行50周年記念事業実行委員会、1987年10月1日。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5。
- 名古屋市計画局『なごやの町名』名古屋市計画局、1992年3月31日。
- 名古屋市総務局企画部統計課 編『平成2年国勢調査 名古屋の町(大字)別・年齢別人口(平成2年10月1日現在)』名古屋市役所、1994年。
- 名古屋市総務局企画部統計課 編『平成7年国勢調査 名古屋の町(大字)・丁目別人口(平成7年10月1日現在)』名古屋市役所、1996年。
関連項目
外部リンク
- ウィキメディア・コモンズには、五反城町に関するカテゴリがあります。
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あ行 | |
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か行 | |
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さ行 | |
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た行 | |
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な行 | |
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は行 | |
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ま行 | |
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や行 | |
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註 |
☆ - 住居表示実施地区 / ★ - 道路・河川・鉄道等用地のみ / ■ - ウィキメディア・コモンズカテゴリ有
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旧町名 | |
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