ロベルト・コルチアゴ (伊: Robert Colciago、1968年4月4日 - ) は、イタリア・サロンノ出身のレーシングドライバー。1990年のイタリアF3選手権チャンピオン。
苗字はコルチアーゴまたはコルシアゴなどと表記される場合もある。
経歴
19歳の時にレーシングカートを初め、1984年FIA世界カート選手権で3位に入賞する。1987年にイタリアF3選手権にステップアップし1勝を挙げランキング9位、以後1988年ランキング8位、1989年ランキング5位と着実にランクを上げ、1990年にアレッサンドロ・ザナルディとシーズンを通したチャンピオンシップ争いの末、3ポイント差で上回りシリーズチャンピオンを獲得した。
1991年にクリプトンと契約し国際F3000にステップアップするも、チームは資金面に苦しんでおりチームメイトには延べ5人のスポンサー資金持ち込みドライバーを起用するなどチーム体制が弱く、最高成績は8位でノーポイントに終わる。
1992年はイタリアF3に戻り1勝を挙げランキング3位、11月の第3回インターF3リーグ富士ではペドロ・ラミーを抑えて優勝。1993年にドイツF3選手権へ参戦し1勝を挙げランキング5位とキャリアの再構築を計る。同年は全日本F3選手権にもスポット参戦し、第4回インターF3リーグ富士ではトム・クリステンセンとバトルの末に2位表彰台を獲得。1994年までイタリアとドイツのF3で参戦を続けたが、再びF3000のシートを獲得することは叶わなかった。
その後ツーリングカーレースへ転向し、1995年から1999年までイタリア・スーパーツーリングカー選手権やスペイン・ツーリングカー選手権にオペルのドライバーとして参戦する。その後もアルファロメオ、ホンダ、アウディのワークスドライバーとして活躍した。
2001年はアウディ・A4を駆り、スウェーデン・ツーリングカー選手権(STCC)にトミー・クリストファーソンのチームから参戦。ボルボのヤン・ニルソン、ジェーンズ・エドマンや日産のカール・ローゼンブラッド、オペルのポンタス・メルスなど同レースで活躍するライバルを押さえ、シリーズチャンピオンを獲得。2002年も5勝を挙げて2年連続のチャンピオン獲得を達成した。また、ヨーロッパツーリングカー選手権(ETCC)にもSTCCと平行して参戦していた。2005年からは、世界ツーリングカー選手権にホンダやセアトから3年間参戦したが、このレースでは好成績を残すことは出来なかった。
2017年、49歳となったコルチアゴはTCRインターナショナル・シリーズにホンダ・シビックタイプRでフル参戦、7月のオッシャースレーベンのレース2でクラッシュに巻き込まれ肋骨を3本骨折するが、シーズン3勝を挙げランキング5位となった[1]。
レース戦績
イタリア・フォーミュラ3選手権
ドイツ・フォーミュラ3選手権
マカオグランプリF3
国際フォーミュラ3000選手権
FIA ツーリング・カー・ワールド・カップ
イタリア・スーパーツーリング選手権
スウェーデンツーリングカー選手権
脚注
外部リンク
|
---|
WTC (1987年) |
|
---|
WTCC(2005年 - 2017年) |
|
---|
WTCR(2018年 - ) |
|
---|