マイスール (Mysuru , カンナダ語 : ಮೈಸೂರು [Maisūru] )、旧称マイソール [ 注釈 1] (英語: Mysore, /maɪˈsɔər/ )はインド 南部カルナータカ州 で2番目の規模を持つ都市。
カルナータカ州の州都ベンガルール から南西146kmの位置にある。かつてはマイソール王国 及びマイソール藩王国 の首都として知られた。
概要
チャームンディーの丘 の頂上にある、魔神マヒシャの像
インドの伝統工業地帯のひとつであり、絹サリー 、白檀 、香油 、象牙 などを産する。
都市南部のチャームンディーの丘、およびその頂上にあるチャームンディーシュワリー寺院はヒンドゥー教徒 の巡礼地としても名高い。
都市の名称は、ヒンドゥー教 の神話において女神チャームンディーシュワリーに倒された魔神マヒシャ に由来する(「マヒシャ」とは「水牛」の意味)[ 1] 。
都市の名称はシヴァ の妃ドゥルガー が、水牛 の頭を持つ魔神マヒシャを討伐した地としてマヒシャブール(水牛の町)と名付けられた事に由来している。
ヒンドゥー教の神話によれば、マイスール周辺の地域は古くは「マヒシュール(Mahiṣūru )」と呼ばれ、魔神マヒシャに支配されていたが、マヒシャは女神チャームンディーシュワリーに倒された[ 1] 。
「マヒシュール」という名前は次第に「マヒスール(Mahisūru )」「マイスール(Maisūru )」と変化し[ 2] 、後にカンナダ語 の「マイスール」が英語化され「マイソール(Mysore )」となった[ 1] 。
2005年 12月 、カルナータカ州政府は英語式の「マイソール」という名前を「マイスール(Mysuru )」に変更する意思を表明し[ 3] 、2014年に改名が正式に許可された。
歴史
チャームンディーの丘の頂上にあるチャームンデーシュワリー寺院
マイスールは1947年 までマイソール王国 の首都であり、18世紀 にハイダル・アリー とティプー・スルターン が支配した時期(マイソール・スルターン朝 )以外はオデヤ朝 に支配されていた。
オデヤ家は芸術を後援しており、これがマイスールの文化面での成長に大きく寄与しており、マイスールが文化的首都 と呼ばれる背景にもなっている。
現在のマイスール市街地は、15世紀 まで「プラゲレ(Puragere )」と呼ばれていた[ 4] 。
1524年 にはチャーマ・ラージャ3世 によりマヒシュール城が建設され、後に王位は息子のティンマ・ラージャ2世 、チャーマ・ラージャ4世 に受け継がれた。この地域が一般的に「マヒシュール」と呼ばれるようになるのは16世紀 のことである[ 4] 。
ヴィジャヤナガル王国 の統治下においては、オデヤ家の治めるマイソール王国はヴィジャヤナガル王国の封建国 であったが、1565年 にヴィジャヤナガル王国がターリコータの戦い で敗北し衰退すると、マイソール王国は半独立の立場をとるようになった[ 5] 。
1610年 にラージャ・オデヤ1世 がシュリーランガパトナ を治めるヴィジャヤナガル王国の総督を追放すると、シュリーランガパトナがオデヤ家による支配の中心となった。
その後王国を支配したティプー・スルターンにより、オデヤ家による統治の痕跡を消すため、マイスールの街のほとんどは一度取り壊されている[ 6] 。だが、1799年 にティプー・スルターンが第四次マイソール戦争 で戦死すると、マイスールは再び王国の首都となった[ 7] [ 8] 。
この際、イギリス の保護の下で再建されたマイソール藩王国 の君主クリシュナ・ラージャ3世 はまだ幼なかったため、政治はディーワーン のプールニヤー によって行われた。プールニヤーはマイソール市街の発展に関する功績で知られており、特に公共事業が有名である[ 9] 。
1831年 、イギリスの行政官Mark Cubbonは王国の統治紊乱を理由に内政権を接収し、藩王国の中心をバンガロール に移し、マイソールは藩王国の支配の中心としての地位を失った[ 10] 。
マイソール宮殿 の入口
だが、1881年 になるとイギリスは権力を藩王チャーマ・ラージャ10世 に返還し、マイソールは再び藩王国の首都となった[ 11] 。
マイソールの街は、マイソール宮殿 とともに1947年までオデヤ家による支配の中心であり続けた。
マイソールが自治体となったのは1888年 のことで、市街は8つの区に区分けされた[ 12] 。
1897年 には腺ペスト の流行により人口の半数が死亡した。[ 13]
1903年 に都市改良トラスト(City Improvement Trust Board (CITB))が設立されると、マイソールはアジアで初めて都市計画が行われるれ都市の一つとなった[ 14] 。
1940年代前半に「インドを去れ」運動 が起こると、マイソール市はその一翼を担うことになった。
H. C. DasappaやSahukar Channayyaといったインド独立運動 のリーダー達は扇動の最前線に立った[ 15] 。
Maharaja's Collegeの宿舎はマイソール地区における運動のコントロールの中心であったし、Subbarayana Kereのグラウンドは公衆のデモにとって重要な場所であった。
インド独立後、マイソール市はマイソール州 の一部となったが、マイソール藩王チャーマ・ラージャ11世 は肩書を持ち続けることを許され、また州知事にも指名された。
彼が1974年 に逝去した際には、マイソール市において火葬されている[ 16] 。
その後、マイスールは観光の中心として有名になり、また時折発生するカーヴェーリ川の水の分配に関する論争 に関係した騒ぎを除けば、非常に平和な都市となっている[ 17] 。
近年マイスールで起こったと全国的なニュースとしては、多くの人命が失われたPremier Studios の火災、マイソール動物園で発生した動物の大量突然死、Infosysのキャンパスで発生したインド国歌 に関する論争などが挙げられる。[ 18] [ 19] [ 20]
地理
Mysore
雨温図 (説明 )
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
気温(°C )
総降水量(mm) 出典:IMD
インペリアル 換算
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
気温(°F )
総降水量(in)
チャームンディーの丘 の麓にマイスール市街地が広がっている
デカン高原 南部のカーヴェーリ川 上流に位置し、半乾燥気候 に属する。都市は新旧に分かれ、旧市の中央に台形状の城壁と、1897年 から1913年 にかけて建設されたイスラーム様式の壮麗な藩王宮殿(現在は州立博物館として機能)がある。現在の市街地はチャームンディーの丘のふもとに広がっている。
面積は128.42km2 、標高は平均770mである[ 21] 。
季節は夏季(3~6月)、モンスーン(7~11月)、冬(12~2月)に分けられ、観測史上最高気温は38.5℃(2006年5月4日)[ 22] で、また同じ年の冬には観測史上最低気温9.6℃を観測した。年平均降水量は798.2mmである[ 21] 。
マイスール自体は比較的地震の少ない土地であるが、近辺ではリヒタースケール 4.5以上の地震が観測されたこともある[ 23] [ 24] 。
Karanji湖
マイスールにはKukkarahalli湖、Karanji湖、Lingambudhi湖をはじめとして大小いくつかの湖がある。2001年時点での土地利用面積は以下の通りである[ 25] 。
宅地
道路
公園
工場
公共施設
商業施設
農用地
水面
39.9%
16.1%
13.74%
13.48%
8.96%
3.02%
2.27%
2.02%
行政
人口統計
2011年の国勢調査によれば、マイスール市の総人口は約90万人であり、カルナータカ州で2番目に人口の多い都市である[ 26] [ 27] 。男女比は男性1000人に対し女性967人で、人口密度は6223.55人/km2 である。宗教は76.8%がヒンドゥー教徒 、19%がムスリム 、2.8%がキリスト教徒 で、 残りがその他となっている[ 28] 。
市の人口が100,000人を超えたのは1931年 の国勢調査の際で、1991年〜2001年の間の人工の伸び率は20.5%であった。識字率は82.8%で、これはカルナータカ州の平均である67%を上回っている[ 25] :p.32 。
最も広く話されているのはカンナダ語 だが、ヒンディー語 やウルドゥー語 も通じる。貧困線以下の生活にある人口は19%で、9.0%がスラム に住んでいる。カルナータカ州の都市部に住んでいる人口の35.7%が労働者である一方、マイスール市の人口のうち労働者階級にあるのは33.3%だけである[ 27] 。 指定カーストと指定部族 に属する市民は人口の15.1%である[ 27] 。マイスールは2005年に届出のあった犯罪件数は805件で、2003年の510件と比べて急増している[ 29] 。
マイスール市の居住者は英語でMysoreans あるいはカンナダ語でMysoorinavaru と呼ばれている。カルナータカ州 とタミル・ナードゥ州 の間で続いているカーヴェーリ川の水の分配に関する論争 が繰り返しぶり返していることが原因で、小規模な口論や抗議運動が度々発生している[ 30] 。マイスールの人口統計学上の概観は情報技術 産業の成長が原因で変化しており、またこれは一部市民の心配の種ともなっている[ 31] 。
産業と経済
マイスールにあるInfosys 社敷地内の映画館
観光事業がマイスールの主要産業である一方、2000年代にIT関連産業が成長したことにより、マイスール市はベンガルールに次いでカルナータカ州におけるソフトウェア輸出 で第2位となる飛躍を遂げた。
マイスールにはマイソール大学 があり、出身者にはKuvempu 、Gopalakrishna Adiga 、S. L. Bhyrappa 、U. R. Ananthamurthy 、N.R.ナーラーヤナ・ムルティ がいる。インド政府 初のラジオ放送部門であるAll India Radio もこの土地で発足している。
マイスールは伝統的には織物、サンダルウッド の彫刻、青銅細工、石灰や食塩の製造といった産業の中心地であった[ 32] 。マイスール市およびカルナータカ州による計画的な産業振興に関しては、1911年に開催されたMysore economic conference で初めて構想が示され[ 32] [ 33] 、これにより1917年にはMysore Sandalwood Oil Factory、1920年にはSri Krishnarajendra Millsといった産業施設が設立された[ 34] [ 35] 。
India Today のビジネス部門であるBusiness Today が2001年に行った調査によると、マイスールは会社経営に適した都市でインド第5位、また清潔さでチャンディーガルに次ぐインド第2位という評価だった[ 36] 。またマイスールはカルナータカ州の観光事業 におけるハブとしての役割も果たすようになっており、2006年には250万人の観光客が訪れている[ 37] 。マイスールの南60〜100kmにはBandipur National Park およびMudumalai National Park があり、ガウル 、アクシスジカ 、ゾウ 、トラ 、インドヒョウ 、その他絶滅危惧種 の保護区 となっている。
教育
マイソール大学 の管理本部があるCrawford Hall
イギリス式の教育制度が取り入れられる前は、agrahara がヴェーダ に基づく教育課程をヒンドゥー教徒に行い、madrasa がイスラーム教徒に対する教育の中心としての役割を果たしていた[ 38] 。近代的教育が始まるのは1833年に無償のイギリス式の学校が設立されてからのことである[ 39] 。
文化・芸術
古いマイスールペインティングの絵画
マイスールはカルナータカ州の文化的首都 [ 40] とも呼ばれており、通常9月から10月にかけて行われるカルナータカ州の祭りであるダサラ の期間中に行われる祭典はよく知られている。ダサラ祭は1610年に国王ラージャ・オデヤ1世によって行われたのが始まりである[ 41] 。
交通
マイスール市内を走るバス
空路
2010年10月にマイソール空港 (地名から「マンダカリ空港」とも)が開港し[ 42] 、キングフィッシャー航空 によるベンガルール 便およびチェンナイ 便が運行されていた[ 43] が、現在は中断している[ 44] 。
鉄道
マイソール駅 にはそれぞれベンガルール 、Hassan、Chamarajanagarに向かう3つの路線がある。最初にマイソール市内に敷設されたのはバンガロールとマイソールをつなぐメーターゲージ の路線で、1882年に運用が開始された[ 45] 。
しかしながら、敷設されている路線はすべて単線で、都市間の接続の高速化の妨げとなっている。最低でもマイスール-ベンガルール間の路線は複線化する計画があるが、プロジェクトは完了していない[ 46] 。マイスールへ接続するすべての列車はインド鉄道 が運行しており、最も高速な列車はシャターブディー急行 である。
注釈・出典
注釈
^ アルファベット表記では他にも Maisuru , Mhaisur , Mysooru , Mysuru , Maisu-ru 等と綴られることがある。
出典
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外部リンク
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