ヘディ・ラマー (Hedy Lamarr 、本名:Hedwig Eva Maria Kiesler、1914年 11月9日 - 2000年 1月19日 )は、オーストリア ・ウィーン 出身の女優 ・発明家 である[ 1] 。1930年 に女優としてデビュー し、1933年 の『春の調べ 』で全裸シーンを披露した[ 2] 。同年、結婚を理由に映画界から引退したが、当時の夫への不満が高まったことから、1937年 に夫の元から逃げ出し、密かにパリ に転居した。そこで彼女はMGM の創始者ルイス・B・メイヤー に出会い、彼の力を借りて1930年代 から1950年代 までの間、ハリウッドスター の1人となった[ 3] 。
シャルル・ボワイエ 、ロバート・テイラー 、スペンサー・トレイシー 、クラーク・ゲーブル 、ジェームズ・ステュアート 、ヴィクター・マチュア など[ 4] 有名な俳優との共演経験が多い。
発明家としての彼女は第二次世界大戦 期に作曲家 のジョージ・アンタイル と共に、連合国 側の魚雷 の無線誘導システムが枢軸国 側からの通信妨害 の影響を受けないための周波数ホッピングスペクトラム拡散 の初期的な技術を開発し、その特許を取得した[ 5] [ 6] 。アメリカ海軍 は1960年代 になってからようやくこの技術を導入したが、この技術の原理は現代の符号分割多元接続 ・Wi-Fi ・GPS ・Bluetooth などの技術にも応用されている[ 7] [ 8] [ 9] 。また、彼女とアンタイルはこの発明の功績により、亡くなった後の2014年に「全米発明家殿堂」入りを果たした[ 6] [ 10] 。
来歴
ユダヤ系 の両親のもとにヘドウィヒ・エヴァ・マリア・キースラー としてウィーンで生まれ、父親エーミール・キースラー(Emil Kiesler)はレンベルク 出身のユダヤ人銀行家、母親ゲルトルート・キースラー(旧姓リヒトヴィッツ、Gertrud née Lichtwitz)はブダペシュト のユダヤ人上流階級家庭出身のピアニスト である[ 11] 。彼女はユダヤ教 から改宗 したカトリック教徒 であり、よく教会 に通っていた[ 12] 。
女優に憧れ、プロデューサー のマックス・ラインハルト とともにベルリン に行き、演劇 の訓練を受けた。その後またウィーンに戻り、スクリプター として映画界に入り、まもなく女優となり、17歳のときに端役として映画に出演した。1933年 、18歳の時にヘディ・キースラーの名前で性の解放を謳ったグスタフ・マハティ 監督のチェコ 映画『春の調べ 』に出演し、ヒロインの若妻・エヴァ役に扮して全裸シーンでオーガズム を披露した[ 3] 。当時としては、この映画はかなりセンセーショナルであり、アメリカでは上映禁止になっている[ 3] [ 13] 。
1933年 8月10日 、19歳となった彼女はヒルテンベルク弾薬工場(現・ヴェラースドルフ製作所) (ドイツ語版 ) の所有者である裕福な兵器製造業者フリッツ・マンドル (ドイツ語版 ) と結婚した。マンドルは非常に嫉妬深い男で、彼女の濡れ場 への出演には大反対し、誰も彼女のヌードが見られないようにするため『春の調べ 』のプリントを買い占めようとした[ 14] 。彼女の自伝 『Ecstasy and Me』によると、マンドルは独占欲が強く、彼女を当時の住居であるシュヴァルツェナウ城に幽閉し、映画界を半ば強制的に引退させた。親の片方がユダヤ人にもかかわらず、マンドルはドイツ のナチス政権 とイタリア のファシスト党 とは親密な社会・経済的な関係にあり、ムッソリーニ政権 に軍需品 を売ったことがある[ 11] 。また、マンドル宅の高級パーティー にムッソリーニとヒトラー が出席したこともある。その時期、彼女はよくマンドルを伴ってビジネス の場に出席し、そこで軍事技術 に携わる科学者 や専門家 たちに会うことになった。こういった経験が彼女に応用科学 分野への興味をもたらし、その後の科学的才能を培う土壌となった[ 15] 。
最終的に彼女はマンドルとの結婚に嫌気が差し、夫の元、そしてナチス の影響力が強くなる母国オーストリアを離れることに決心した。自伝によると、彼女は1937年 にメイド 姿に変装 しパリ へと逃げた。ただし、噂では彼女はある晩餐会の前に、マンドルに宝飾品 を身につけるため部屋に戻りたいという嘘をついて逃げたという[ 16] 。
ハリウッド時代
『同志X』(1940年)の静止画写真
彼女はパリで俳優をスカウト 中の映画プロデューサー のルイス・B・メイヤー と出会い[ 17] 、メイヤーは彼女と契約を結んだが、話題作『春の調べ』のヒロインとして名を馳せた彼女に対し改名を要求した。最終的に彼女はサイレント映画 時代の女優バーバラ・ラ・マー [ 14] の苗字 を取って「ヘディ・ラマー」と名前を変えてハリウッド に渡った[ 17] 。1938年 、メイヤーは「世界で最も美しい女性」と銘打ち彼女を宣伝 した[ 18] 。
ハリウッド デビュー 作は1938年 、シャルル・ボワイエ と共演する『カスバの恋』であった[ 19] 。当時のアメリカ人 にとって彼女の名前こそ分からないが、話題のオーストリア人 女優として観客に期待を持たせることができた。メイヤーは彼女がグレタ・ガルボ やマレーネ・ディートリヒ のような大女優に成長することを期待したという[ 19] 。黒髪を中央で分けた彼女の髪型は、『風と共に去りぬ 』でヴィヴィアン・リー も真似をしている。その後のハリウッド映画 では、彼女は同じような異国風で魅惑的な女性を演じ続けた。1940年 の『ブーム・タウン 』でスペンサー・トレイシー 、『ブーム・タウン』と同年の『同志X 』でクラーク・ゲーブル と、1941年 の『美人劇場 』でジェームズ・ステュアート 、ラナ・ターナー 、ジュディ・ガーランド と、1942年 の『Tortilla Flat』でトレイシーとジョン・ガーフィールド と、1949年 の『サムソンとデリラ 』でヴィクター・マチュア と共演するなど[ 4] 、有名な俳優との共演経験が多い。
彼女は1940年 から1949年 までの間、18本の映画に出演したとともに、2人の子供を出産した。1945年 にMGM を去った後、セシル・B・デミル 監督の『サムソンとデリラ 』にヴィクター・マチュア とともに出演した。彼女がデリラ に扮したこの映画は1949年 の最高興行収入 を記録した。しかし、1951年 のボブ・ホープ 出演のコメディ映画 『腰抜けモロッコ騒動』でヒロイン を務めた後、彼女の事業は不振期に入った。それ以降も断続的に映画に出演していたが、1958年の『ザ・フィーメイル・アニマル』をもって彼女は映画界を引退した。
発明
女優だけではなく発明家としての才能もあった。初期の発明として、交通信号機 の改良型と水に溶かして炭酸水 を作る錠剤 が挙げられる[ 20] 。
第二次世界大戦 が激化していた最中、彼女は海軍 の作戦において重要な役割を果たした魚雷 の無線誘導システムが、頻繁に枢軸国 側の通信妨害を受け、目標を攻撃することに失敗したことを知り、作曲家 で友人のジョージ・アンタイル に協力を求めて、妨害の影響を受けないような無線誘導システムを開発しようとした。彼女は最初の夫であるマンドルと結婚していた間に得た無線 の知識を元に、ピアノロール の仕組みを参照しながら、彼女たちは魚雷に送る電波 の周波数 を頻繁に変えれば妨害されにくいと考え、周波数ホッピング システムの設計案を作成した。彼女は1942年 8月11日 に、ヘディ・キースラー・マーキー (Hedy Kiesler Markey)の名義でアンタイルとともにこの技術に関する特許 を取得していた[ 5] [ 21] [ 22] 。
取得年:1942年
特許番号:2,292,387
名称:"Secret Communications System "[ 5] [ 22]
しかし、この技術の実装が困難であることに加え、アメリカ海軍 は軍隊の外から来た発明を受け入れがたい体制であった事から、この技術は長い間棚上げにされた[ 20] 。1962年 のキューバ危機 の時になってからようやくこの技術の改良版が軍艦 に使われようになった[ 23] 。
この技術は現代の周波数ホッピングスペクトラム拡散 技術の前身の1つであり、その原理はWi-Fi ・GPS ・Bluetooth ・携帯電話 などの技術にも応用されている。この功績を讃えられて、彼女たちは1990年代 のEFF Pioneer Awardを受賞した[ 24] 。2014年 に彼女はアンタイルとともに「全米発明家殿堂」入りを果たした[ 6] [ 10] 。
また、大戦期に彼女はこの発明で「全米発明家協議会」(National Inventors Council)に入りたがったが、会員のチャールズ・ケタリング や他の会員に有名人の地位を利用して戦争債券 を売った方がより良いではないかと勧められ、それ以降戦争債券キャンペーン に頻繁に参加したという[ 25] [ 26] 。
ドイツ語圏 の3カ国(ドイツ ・オーストリア ・スイス )では彼女の誕生日である11月9日 が「発明家の日」として定められている[ 27] 。
彼女の生誕101年に当たる2015年 11月9日 には、彼女のアニメーション動画が制作され、Googleのロゴ に採用されると共に[ 28] [ 29] [ 30] 、YouTube にもアップロードされている[ 31] 。
引退後
彼女は1953年 4月10日 、38歳の時にアメリカ合衆国 に帰化 した。1966年 、彼女はロサンゼルス で万引き によって逮捕 されたが、起訴 がまもなく取り下げられた。1991年 に彼女はフロリダ州 で合計21.48ドル の下剤 と目薬 を万引きしたためまた逮捕された。この時、彼女は不抗争 (Nolo contendere)を申し立て出廷を回避できたが、引き換えに1年間には如何なる法律も破らない事を約束した。起訴もその後また取り下げられた[ 32] 。
1966年に彼女の自伝『Ecstasy and Me』が出版された。そこにはいくつかのエピソード が書かれている。例えば、最初の夫であるマンドルから逃げた時、彼女は売春宿 の空き部屋に飛び入りしたが、マンドルはその売春宿を捜していたところ、買春する男が部屋に入ったので、彼女は保身のために仕方なくその男と性交渉 をした。また、彼女は夫の元から逃走するために、自分とよく似た女性をメイドとして雇い、そのメイドに睡眠薬 を飲ませ、昏睡状態のメイドの服を着替えてからパリへ逃げ出した[ 33] 。まもなく彼女は出版社を訴え、本の中にある下品なエピソードのうち多くが真実ではなく、ゴーストライター のレオ・ギルド(Leo Guild)によって創作されたものであると主張し始めた[ 34] [ 35] 。一方、『スクリーン・ファクト』という雑誌 に投稿したジーン・リンゴルド(Gene Ringgold)という人物は連邦裁判所 で彼女を提訴し、自伝の中には彼が1965年に投稿した文章の一部を無断引用した部分があると主張した[ 36] 。
この本の出版は万引き事件とアンディ・ウォーホル の短編映画 『ヘディ』の公開から1年ぐらい経った時のことである。また、彼女の映画界への復帰も頓挫してから、この自伝の序章は消沈なムードの読み取れる以下の文章から始まっている。
最近のある夜、私は1人で家で座り込んだ。
百貨店 での出来事による
警察署 での扱いや映画で(それがどれぐらい自分を満足させるかを想像してください)
ザ・ザ・ガボール に換えられたことなどをいっぱい考えて、苦しんでいる。私は自分が3000万ドルぐらいのお金を稼いで、そして使い果たしたことを思い出したが、その日には
シュワブス薬局 で
サンドイッチ を買えるお金すらなかった。
1970年代 になると、彼女は更に人目につかなくなった。映画 の台本 やCM 、舞台劇 への出演依頼がまだ彼女の所に来たが、彼女は何一つ興味も示さなかった。しかしながら、1974年 に彼女はメル・ブルックス 監督の映画『ブレージングサドル 』に彼女の芸名をもじった「ヘドリー・ラマー」という登場人物が存在することを知ると、名前の不正使用としてブルックスらをプライバシー侵害 の疑いで提訴し、1000万ドルの賠償金 を要求した。最終的にこのケースは法廷外で和解した[ 37] 。1981年 、視力 が低下していた彼女は大衆の目を避けて、フロリダ州のマイアミビーチ に転居した[ 11] 。ドキュメンタリー 映画 『Calling Hedy Lamarr 』によると、その時期から電話 は彼女が外の世界とコミュニケーションをとる唯一の手段となった[ 38] 。
1996年 、コーレル で描かれたラマーの写真は当年度のソフトウェアスイート カバー用デザイン コンテストで優勝したので、1997年 からCorelDRAW のソフトウェアスイートは彼女の写真で飾るようになった。彼女はこのことを知った後、自分の写真が無許可で使用されたと主張しコーレルを提訴した。逆に、コーレル側は彼女がこれらの画像の権利を持っていなかったと反論した。1998年 、当事者たちが非公開に和解した[ 39] [ 40] 。
彼女の映画産業 への貢献を顕彰するために、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム で1つの星が与えられた[ 41] [ 42] 。
晩年になると、彼女は自身の容姿が老けることを恐れ、それを維持するために整形手術 を受けた。しかし、手術の結果があまり良くなかった。また、彼女の息子アンソニーによると、その時彼女は薬物依存症 であった[ 43] 。
死去
ウィーン 中央墓地にある彼女の記念碑
2000年1月19日、85歳であった彼女はフロリダ州のカッセルベリー にて亡くなった。彼女の死亡届 には心不全 、慢性の心臓弁膜症 、虚血性心疾患 と3つの死因 が書かれている[ 11] 。息子のアンソニーは彼女の最期の願望に従い、遺骨をウィーンの森 に散骨した。
2014年、ウィーンの中央墓地に彼女を偲ぶ「名誉墓」が建てられた[ 24] 。
私生活
彼女は1933年から1965年の間に、6人の男と結婚 ・離婚 を繰り返した。
フリードリヒ・マンドル(1933年結婚、1937年離婚):兵器 製造業者。
ユージン・ウィルフォード・マーキー(1939年結婚、1941年離婚):脚本家 、プロデューサー 。
ジョン・ローダー(1943年結婚、1947年離婚):俳優 。
アーンスト・ハインリッヒ・シュタウファー(1951年結婚、1952年離婚):ナイトクラブ ・レストラン 経営者、元バンド リーダー。
W・ハワード・リー(1953年結婚、1960年離婚):石油 業者。離婚後、女優のジーン・ティアニー と結婚。
ルイス・J・ボイス(1963年結婚、1965年離婚):彼女の専属離婚弁護士 。
子供は3人いる。
ジェームズ・ラマー・マーキーことジェームズ・ラマー・ローダー(1939年1月9日生まれ):マーキーと結婚した間に養子(実はジョン・ローダーとの間の婚外子であることが2001年に明らかになった)にされ、のちローダーに改姓。
デニーズ・ローダー=デルーカ(1945年1月19日生まれ):娘。
アンソニー・ローダー(1947年2月1日生まれ):息子。
養子のジェームズは12歳であった時、彼女との関係を絶ち、他の家庭の養子となった。それから約50年間、ジェームズは彼女と何の言葉を交わすこともなかった。彼女は遺言 においても、ジェームズに相続権 がないと表明したが、ジェームズは2000年 に彼女の330万ドルの遺産 を相続できるように訴えた[ 44] 。結局5万ドルを受けとることで示談になった。
主な出演作品
公開年
邦題 原題
役名
備考
1931
O・F氏のトランクDie Koffer des Herrn O.F.
ヘレン
1932
春の調べ Extase
エヴァ
ヘディ・キースラー名義
1938
カスバの恋 Algiers
ギャビー
1939
レディ・オブ・ザ・トロピクスLady of the Tropics
キラ・キム
1940
ブーム・タウン Boom Town
カレン・ヴァンネア
コムレイドXComradeX
ゴルブカ/テオドール/ヤフピッツ/リザネツカ
1941
美人劇場 Ziegfeld Girl
サンドラ
1942
クロスローヅCrossroads
ルシエンヌ
ホワイト・カーゴWhite Cargo
トンデラヨ
1943
ザ・ヘブンリー・ボディThe Heavenly Body
ヴィッキー
1944
復讐!反ナチ地下組織/裏切り者を消せ The Conspirators
イレーネ
恐ろしき結婚 Experiment Perilous
アリダ
1945
夢のひととき Her Highness and the Bellboy
ヴェロニカ王女
1946
奇妙な女 The Strange Woman
ジェニー・ハガー
1947
ディスオナード・レディDishonored Lady
マデリーヌ・ダミエン
1948
キッス・タイム Let's Live a Little
J・O・ローリング
1949
サムソンとデリラ Samson and Delilah
デリラ
1950
パスポートのない女 A Lady Without Passport
マリアンヌ
銅の谷 Copper Canyon
リサ
1951
腰抜けモロッコ騒動 My Favorite Spy
リリー
1957
ザ・ストーリー・オブ・マンカインドThe Story of Mankind
ジャンヌ・ダルク
1958
ザ・フィーメイル・アニマルThe Female Animal
ヴァネッサ
脚注
出典
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論文
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、
ヘディ・ラマー に関連するメディアがあります。