株式会社ブロンコビリー(英: BRONCO BILLY Co., LTD.[WEB 3])は、東海地方(愛知県・岐阜県・三重県・静岡県)を中心にステーキレストランチェーンを運営している会社。当ページでは、レストランチェーンとしてのブロンコビリーについても述べる。
概要
1978年に名古屋市北区で開業した「ステーキハウスブロンコ」を母体として、1983年にレストランチェーンを設立した。名前はスペイン語で「野生の馬」「荒々しい」という意味のブロンコと、アメリカの少年の名前であるビリーの名前を組み合わせたもので、「元気で少年少女のような夢を持った会社」でありたいという意図で命名したという。ブロンコはかつて加盟していたステーキハウスのフランチャイズ店の名称だった。
東海地方を中心に、東京都・埼玉県・神奈川県・千葉県・滋賀県・京都府・大阪府・兵庫県・奈良県にも出店[WEB 4]。1997年からは、営業を終了していた名古屋市名東区内の店舗を、本社の社屋に転用している。
2020年12月末時点での店舗数は128店舗。全店直営の郊外型店舗で、駐車場を完備している。2014年度には、創業以来初めて日本の飲食業界で最高水準の売上高経常利益率(15.4%)を達成した[WEB 5]。
「ステーキハウスブロンコ」の開業当初から、オープンキッチンやサラダバーを店舗に設置。炭火焼きによるオープンキッチンでのステーキ・俵型ハンバーグの調理や、サラダバーにおける新鮮な野菜・季節料理の食べ放題サービスなどを提供している。しかし、スープについてはメイン料理が運ばれる前に従業員がカップ1杯を運ぶだけに留まり、同業他社に散見されるようなスープバー形式は提供していない[WEB 6]。
1998年には、炭火焼きによる調理やサラダバーを休止したうえ、当時日本の外食業界を席巻していた低価格競争に参入するが、メニューの質が低下したことなどで客離れを招いた[WEB 7]。さらに、主な食材である牛肉を日本国外(オーストラリアなど)からの輸入で賄っていることを背景に、2001年に発生したBSE問題で一気に5億円規模の赤字を計上[WEB 8]。株式会社ブロンコビリー(以下「運営会社」と略記)は一時、倒産の寸前にまで陥った。
創業者の竹市靖公(たけいち やすひろ、以下「靖公」と略記)は、以上の問題をきっかけに、経営の軸足を「低価格戦略による事業規模の拡大」から「顧客に提供する価値の向上」へ転換。「他では真似のできないもので客を喜ばす」「客も従業員もすべて幸せにする」という本来の信念に立ち返りながら、質の高いメニューの提供と、徹底的なコスト削減(自社所有のセントラルキッチンを活用した食材製造・加工の内製化など)によって業績を回復させた[WEB 8]。
2007年には、運営会社がJASDAQに上場。2011年には、東証1部・名証1部への銘柄変更を果たした。当時代表取締役社長を務めていた靖公は、自身が保有していた同社株の一部を2009年に現場の幹部へ贈与。2010年9月には、勤続1年半以上の社員と勤続8年以上のパート・アルバイト店員を対象に、1名当たり100株を無償で割り当てた[WEB 9]。2013年3月からは代表取締役会長に就任する一方、長男の克弘を代表取締役社長に昇格させている[WEB 7]。
現在は、炭火焼きによる調理やサラダバーを再開させているほか、各店にかまども設置。通常の業務用米より2倍高い価格で仕入れた新潟県中魚沼郡津南町産のコシヒカリをかまどで炊きあげ、顧客に提供している[WEB 7]。その一方、年2回のアメリカ研修へパート・アルバイト店員を交互に参加させるなど、人材教育や勤務環境の充実にも力を入れている[WEB 8]。靖公によれば、同業他社の事例を反面教師として、売上高の1%以上に相当する費用を人材教育に充てているという[WEB 10]。
沿革
2013年8月5日に、当時営業していた足立梅島店で、アルバイト店員が食材を保管していた店内の冷凍庫に腰の付近まで入った姿を別の店員が写真に撮影。撮影した画像を、Twitter上の自身のアカウントに投稿した。さらに、翌6日に外部からの指摘で投稿が発覚した[WEB 16] ことをきっかけに、当該アカウントは炎上状態に陥った。バカッター事件の一つでもある。
運営会社では、この問題を受けて、「店内の消毒と冷蔵庫の食材の廃棄・交換、店員の社員教育の再徹底を図る」として8月6日から当面休業をすることを発表。当該店員2人を解雇した[WEB 17]。
運営会社では当初、店舗の消毒や清掃を徹底しながら、営業の再開を目指す方向を模索していた。しかし、「衛生上の問題でブランドイメージを完全に損なった」ことから、「顧客の声を聴く限り、今後の信頼回復は難しい」との判断で方針を変更。8月12日の臨時取締役会議で、足立梅島店を完全に閉店[注釈 2]することを決定した。この影響で、足立梅島店に勤務していた他の店員も全員解雇。5500万円の損害となり[WEB 18]、当該投稿に関与した当該店員に対しては、損害賠償を請求する姿勢を明らかにした[WEB 19]。ブロンコビリーの退店後、跡地にはりらくる(マッサージ店)が入居している。
竹市靖公は、この問題を通じて、人材が会社の未来を決めることを改めて確信。自身や運営会社の理念が現場の隅々にまで浸透していなかったことへの反省から、現場の若手社員の悩みを直々に聞く目的で、ビールを酌み交わしながらの合宿研修を毎月実施している[WEB 8]。
テレビ番組
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関連書籍
関連項目
脚注
注釈
- ^ 創業者竹市靖公の著書によると「トミヤマコーヒー」の店名だったとする。
- ^ 事実上の撤退で、ホームページでは「退店」と表記。
出典
WEB
書籍
外部リンク
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