ハリソン東芝ライティング株式会社(ハリソンとうしばライティング、英語: HARISON TOSHIBA LIGHTING Corporation)は、かつて存在した産業用光源機器メーカーである。
東芝グループで産業用光源機器を手がけており、かってはウェッジベースランプで世界シェア40%、液晶バックライト用冷陰極放電灯で世界シェア60%を占めていた[1]。
1944年に東京芝浦電気(現:東芝)の疎開工場として発足。立地場所として今治市が選ばれた理由として「海陸交通の要衝で製品および原材料の輸送に便利である」、「他に石炭・ガスの大口消費者がなく、工場設立に際して最も需要とされるガスの供給を十分なガス発生炉を持つガス会社から優先的に受けられる」、「綿業地で企業の転廃業による遊休工場がある」がある[2]。
戦後に東芝が過度経済力集中排除法の適用を受けた事を受けて分離独立され「ハリソン電機株式会社」として設立された。設立に当たっては東芝系列の日興実業と四国配電(現:四国電力)および地元有力者と従業員が出資した[3]。社名の「ハリソン」は発明王として知られるトーマス・エジソンが炭素電球を生み出したアメリカ合衆国ニュージャージー州ハリソンから採られた。
創業当初は家庭用電球などを手がけていたが、1965年にウェッジベースランプ(自動車用小型電球)、1986年に液晶バックライト用光源(冷陰極放電灯)の生産を開始し主に産業用光源を手がけるようになった。2000年には東芝ライテックの産業機器用光源事業を移管され、東芝グループの産業用機器光源事業が同社に一本化された。
冷陰極放電灯の需要増加を背景に本社工場内に新工場を建設するなど増産を進めてきたが、世界的な不況や海外企業との競争などで経営が悪化。主力事業の冷陰極放電灯事業の海外子会社への生産移管や横須賀事業所の閉鎖などが進められた。2010年には主力事業の海外子会社移管に伴い、約580名について国内の東芝グループ各社に配置転換を示す方針を示したが、配転に応じたのは約120名にとどまった[4]。このため早期退職を促す新たな制度を作り、全従業員の約4割弱にあたる約470名が早期退職制度に応募し5月末までに退職した[4]。
東芝グループの照明事業のグループ再編に伴い2012年10月1日をもって当時の親会社である東芝ライテックに吸収合併され消滅した。愛媛県今治市の本社工場は、東芝ライテック今治事業所となった。ハリソンからは技術者ら数十人が本社の開発部門などに異動し、国内2社、海外8社の関連会社は新会社に引き継がれた[5]。