ナカヤマナイト(欧字名:Nakayama Knight、2008年3月24日 - )は、日本の競走馬[1]、誘導馬。主な勝ち鞍に2011年の共同通信杯、2012年のオールカマー、2013年の中山記念。
馬名の由来は、冠名+「騎士」。
2010年8月8日、新潟競馬第5競走の芝1800m新馬戦に柴田善臣騎乗で初出走で2番人気に支持されたが、後方からの競馬となってしまい3着だった。次走の同じ新潟の未勝利戦は先行から直線抜け出しをはかるも2着、3戦目となった中山の未勝利戦は1番人気に推され、初勝利となった。その後11月の東京の500万下の百日草特別は直線追い上げるも2着に敗れる。次のベゴニア賞は逃げ切って2勝目を飾り、オープン入りをした。しかし年末のホープフルステークスは先に行くペルシャザールを捕らえることが出来ず、またも2着惜敗となった。
初重賞となった共同通信杯は先に抜け出したユニバーサルバンクをゴール前で差しきり、重賞初制覇を果たした。陣営はトライアルを使わずに皐月賞へ直行した。皐月賞は2番人気に推されたが5着に敗れた。騎乗した柴田善臣は、馬場を敗因に挙げるコメントを残した[4]。東京優駿では後方から追い上げるも4着だった。
秋はナカヤマフェスタの帯同馬としてフランスへ遠征し、ニエル賞をステップとして、結果次第で凱旋門賞かドラール賞のどちらかに出走することとなった[5]。ニエル賞では最後方追走から伸びを欠き、最下位6着に終わった。この結果を受けて出走したドラール賞ではダーバンサンダーの逃げをマークして2番手を追走したが直線で馬群に飲み込まれブービーの10着に終わった。
帰国後のディセンバーステークスでは後方待機から直線で鋭く脚を伸ばし、スマートステージ以下の後続に2馬身半差をつけて1着となり、騎乗した柴田善臣がJRA通算2,000勝を達成する勝ち星ともなった[6]。
初戦のアメリカジョッキークラブカップ(AJCC)では好位を進み、直線で脚を伸ばしルーラーシップの2着となった。その後産経大阪杯では中団に控える形となったが直線で伸びず5着だった。鳴尾記念でも同様の競馬で4着となった。宝塚記念では後方から追い上げるも8着だった。夏場の休養を経て、9月23日のオールカマーに出走、雨の中のレースを制して前年の共同通信杯以来、1年7ヶ月ぶりの重賞制覇を果たした。しかし天皇賞(秋)は後方からの競馬となり9着に敗れた。有馬記念では外枠(8枠15番)が響き1.1秒差の7着と大敗。
前年同様、初戦にAJCCを予定していたが、歩様の乱れから出走回避することとなった(後にフレグモーネと判明)[7][8]。年内初戦は2月24日の中山記念になった。シルポート(3着)が逃げ、ダイワファルコン(2着)と追い込み、クビ差で勝利した。前年のオールカマーに続き、重賞3勝目を挙げる。しかし、その後は勝ちきれないレースが続いた。
この年は6戦するが全て着外だった。
初戦の中山金杯9着、中山記念8着と不振が続いていたが、5月の新潟大賞典で2着と健闘する。その後長期休養に入った。
エプソムカップで復帰したが17着、続く七夕賞でも16着に終わる。レース後屈腱炎を発症、現役を引退した[9]。引退後は中山競馬場にて乗馬となる[10]。
現役引退後は中山競馬場で誘導馬となった[11]。
2020年にホーストラスト北海道に移動し、余生を送る[11]。2022年より引退名馬繋養展示事業の対象馬となっている[12]。
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