コパノフウジンは日本の競走馬。中央競馬の短距離競走で芝・ダートを問わず走り、重賞競走で4回2着となるなどの実績を挙げ、引退後には種牡馬となった。
馬主の小林祥晃はDr.コパの名で活動する風水師で、本馬の名前の由来は、冠名の「コパノ」に風神[4]をカタカナ表記にした「フウジン」を組み合わせたものである。ちなみに同じ2002年生まれには、コパノスイジン(水神、35戦4勝)という名前の馬もいた。
戦歴
競走馬時代
競走馬デビューは2歳時の2004年7月[1]、阪神競馬場の芝1200メートル戦で2着[5][6]。翌週、連闘でダートの未勝利戦に出走し初勝利を挙げた[5]。12月には朝日杯フューチュリティステークスに格上挑戦したが12着だった[7]。
3歳時の2005年、1月に出走した飛梅賞で2着に6馬身差をつけて勝利[7][8][1]しオープン馬となる。次に出走したバイオレットステークスでは単勝オッズ1.7倍の1番人気に支持されたが、2着だった[9]。その後は芝のレースを走り、クリスタルカップで10番人気ながら2着[10][1]、マーガレットステークスでも2着となる[11]。NHKマイルカップでは11着[12]、ファルコンステークスでは3番人気だったが16着に終わった。休養中に1600万円以下クラスに降級したが、12月に市川ステークスを勝ち[13]再度オープン馬となって3歳を終えた。
2006年、古馬となってからは重賞を中心に走り、1月から3月にかけてガーネットステークスで優勝馬と同タイム[1]の3着[14][1]、シルクロードステークスで4着[15]、オーシャンステークスで2着[16][1]と好走し、高松宮記念に出走したが15着に終わる[17]。10月には福島民友カップでひさびさに勝利を挙げ[3]、次に出走した京阪杯で2着となる[18][1][19]。12月、中京競馬場で行われた尾張ステークスでは3歳時のバイオレットステークス以来の1番人気に支持されながら15着に終わった[20]が、騎手を務めた鮫島良太によれば、左回りコースにおけるコーナリングに問題があったという[20]。
5歳時(2007年)は不振を極め、7戦して8着が最高順位で、5回が二桁着順という結果に終わる。6歳時(2008年)2戦目のシルクロードステークスにて11番人気[21]で2着となった[21][1]がその後はふたたび低迷し、7歳時(2009年)4月のコーラルステークスで[19]16着に敗れた[2]のを最後に[19][2]、4月9日付で日本中央競馬会 (JRA) の競走馬登録を抹消され、引退した。
引退後
2009年春から日本で最初のヘネシー後継種牡馬[19]となり、レックススタッドで供用された[2][1][19]。小林の自家用種牡馬との位置付け[4]であるが、20万円の種付料が設定され[19]、他の生産者の繁殖牝馬にも種付けが行われた。4年間で24頭に種付けした[22]。2013年の種付けシーズン後、へいはた牧場へ移動。
2014年2月5日に急性心不全で世を去った[23]。12歳没。
血統登録された14頭の産駒の中から、3頭の地方重賞勝ち馬を出している。
主な産駒
年度別競走成績
- 2004年(2歳)4戦1勝[1]
- 2005年(3歳)9戦2勝
- 2006年(4歳)9戦1勝
- 1着 福島民友カップ(オープン特別)
- 2着 オーシャンステークス (GIII)、京阪杯 (GIII)
- 3着 ガーネットステークス (GIII)
- 2007年(5歳)7戦0勝
- 2008年(6歳)10戦0勝
- 2009年(7歳)3戦0勝
血統表
血統背景
脚注
外部リンク