宮徹 |
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第138回 目黒記念パドック(2024年5月26日) |
基本情報 |
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国籍 |
日本 |
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出身地 |
兵庫県 |
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生年月日 |
(1960-07-11) 1960年7月11日(64歳) |
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騎手情報 |
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所属団体 |
JRA |
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所属厩舎 |
栗東・田中四郎(1981.3 - 1986.12)→ 栗東・吉田三郎(1986.12 - 1987.9)→ 栗東・古川平(1987.10 - 1990.2)→ 栗東・フリー(1990.2 - 1990.2)→ 栗東・大久保光康(1990.3 - 1990.10)→ 栗東・大久保正陽(1990.10 - 1991.1)→ 栗東・上田三千夫(1991.1 - 1993.2)→ 栗東・フリー(1993.3 - 1993.11)→ 栗東・上田三千夫(1993.11 - 引退) |
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初免許年 |
1981年 |
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免許区分 |
平地 |
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騎手引退日 |
1996年2月28日 |
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通算勝利 |
2285戦136勝 |
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調教師情報 |
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初免許年 |
1996年(1997年開業) |
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経歴 |
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所属 |
栗東T.C. |
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宮 徹(みや とおる、1960年7月11日 - )は日本中央競馬会 (JRA) 栗東トレーニングセンター所属の調教師。
略歴
父が競馬好きで、阪神競馬場に連れて行ってもらったのが競馬へのきっかけである[1]。
1981年3月馬事公苑騎手長期課程を修了し栗東・田中四郎厩舎所属の騎手としてデビュー[2]。
以降引退までの16年間、途中2度のフリー転向を含め古川平・大久保正陽などの有力厩舎を渡り歩き、通算で136勝をマーク。またデビュー初年度の小倉3歳ステークスをはじめ1986年・1989年菊花賞など重賞競走にも10戦あまり騎乗しているが勝ち鞍を挙げるまでには至らず、1982年のスワンステークス2着が最高成績となっている。
1996年調教師免許の取得にともない同年2月をもって現役を引退、翌年栗東に厩舎を開業[2]。その初年度にアインブライドで阪神3歳牝馬ステークスを制し騎手時代に成し得なかった重賞勝利をGIで遂げたほか、1999年から2000年にかけてはマイターンが中央競馬・地方競馬双方で活躍するなど、調教師転向後は多くの実績馬を輩出している。
騎手成績
|
1着 |
2着 |
3着 |
騎乗数 |
勝率 |
連対率
|
平地
|
136 |
157 |
173 |
2285 |
.060 |
.128
|
|
日付 |
競走名 |
競馬場 |
馬名 |
頭数 |
人気 |
着順
|
初騎乗・初勝利 |
1981年3月1日 |
4歳未勝利 |
阪神 |
エプソムクイーン |
6頭 |
2 |
1着
|
重賞初騎乗 |
1981年8月30日 |
小倉3歳S |
小倉 |
バラシアグリーム |
16頭 |
14 |
7着
|
GI初騎乗 |
1986年11月9日 |
菊花賞 |
京都 |
アラオスイセイ |
21頭 |
18 |
19着
|
調教師成績
|
日付 |
競馬場・開催 |
競走名 |
馬名 |
頭数 |
人気 |
着順
|
初出走 |
1997年3月2日 |
1回阪神4日9R |
ゆきやなぎ賞 |
メジロシェルティ |
7頭 |
5 |
7着
|
初勝利 |
1997年7月26日 |
2回函館7日1R |
3歳未勝利 |
シャインポイント |
9頭 |
1 |
1着
|
重賞初出走 |
1997年5月3日 |
3回京都5日11R |
アンタレスS |
ホウエイコスモス |
16頭 |
15 |
16着
|
GI初出走 |
1997年10月26日 |
4回東京8日10R |
天皇賞(秋) |
ホウエイコスモス |
16頭 |
13 |
14着
|
GI初勝利 |
1997年11月30日 |
5回阪神2日11R |
阪神3歳牝馬S |
アインブライド |
16頭 |
7 |
1着
|
おもな管理馬
※括弧内は当該馬の優勝重賞競走、太字はGI級競走。また競走名は出走当時のもの。
おもな厩舎スタッフ
太字は門下生。
脚注
出典
関連項目