キアン
この項目では、アイルランド神話の神について説明しています。古代エジプトのファラオについては「キアン (ファラオ) 」をご覧ください。
キアン [ 3] またはキァン [ 4] 、キャン [ 5] (アイルランド語 : Cian mac Dían Cecht [ 6] IPA 発音: /kʲiːən/ 。英: Cian )は、アイルランド神話 (神話サイクル )に登場する神。トゥアハ・デ・ダナーン 神族(ダーナ神族)で、ルー の父親。
仔犬(豚)に化けて逃げようとしたが、同じトゥアハ・デ・ダナーン族でも確執あるトゥレンの子ら三兄弟に殺害される。キアンの遺児のルーは、キアンの死の賠償品(エリック )として数多く魔法の品々を加害者たちに求めた[ 注 1] 。
民話に拠れば、キアン(キャン)は、豊穣の牛グラス・ガヴナン をめぐりバロールという郷士と争い、あるいは殺され、あるいは海神マナナーンの手を借りて牛も奪還し生還する。いずれにおいてもキャンはバロールの娘と通じて子をもうけ、その遺児(ルーとみなされる)が後年、バロールを殺害する。
名の意味
キアンとは"持続する者"というような意で、普通名詞ととれば"長い、持続する、遠い"等を指す形容詞と定義されている[ 7] [ 8] 。
『来寇の書』によれば、キアンは「唖者の亡霊/勇士」(Scal Balb )という綽名 でも呼ばれていた。これは複数の人物に充てられている綽名である[ 注 2] [ 9] [ 11] 。
なお、エスリウ(エスレン、エスニウ)という名はふつうキアンの妻(ルーの母親)の名と取られているが[ 12] 、エスレン (Ethlend, Ethlenn)がキアンの別名だと述べる挿入文が『来寇の書』にあり[ 13] 、ルーが自分の父親をティゲルンワスの息子エスリウ とする物語『幻影の予言 (英語版 ) 』 も存在する[ 注 3] [ 15] 。
家系
キアンはダーナ神族 の出だが、フォウォレ族のバロール の娘エスリウを妻としその間に息子ルーをもうけた[ 16] 。そしてキアンはその息子をフィル・ヴォルグ 族のタルティウ (英語版 ) 王妃に養子として預けている[ 9] 。
古文書『来寇の書』によればキアンはディアン・ケヒト の三人息子 (Cú, Cethen, Cian ) のひとり、あるいは四男二女のひとりとされているが[ 17] 、近世版物語『トゥレンの子らの最期 』によれば、キアンはキャン・マック・カンチャ[ 5] (現代発音。アイルランド語 : Cainte )であるという[ 18] [ 注 4] 。
概要
キアンは、同じトゥアハ・デ・ダナーン神族だが宿怨の相手であるトゥレンの子ら(トゥリル・ビクレオの息子たち)との対決を避けようと、豚(小犬)に変身し難を逃れようとしたが、見破られて殺された。キアンの息子ルーは、殺害者から数々の財宝を賠償金(エリック)として求めている。キアンがバロールの娘とめぐりあい、二人の間から子供(ルーとみなされる)が生まれたという物語は、口承文学(民話)により伝えられるもので、アイルランド神話の再話版などの材料につかわれる(宝牛グラス・ガヴナン にまつわるバロールの娘とキアンの民話 を参照)。
伝承文学
『トゥレンの子らの最期』
近世(17世紀以降)の写本にのみ伝わる物語『トゥレンの子らの最期 』によれば[ 19] 、題名主人公たる三兄弟(ブリアン、ヨハル、ヨハルヴァ)と、キアンら三兄弟(キアン、クー、ケータン[ 3] )とのあいだには氏族間の紛争があった。キアンは、運悪くブリアンら兄弟と遭遇するが、時はマグ・トゥレドの戦い の火ぶたが切られたばかり、内輪もめをしている状況ではなかった。キアンは豚に変身して難を避けようとした。しかしブリアンはこの変身を看破し、弟たちを魔法の杖で犬に変化させて追わせ、槍を投じて豚の姿のキアンを負傷させた。自分がキアンだと名乗る豚は、たっての願いにより、殺される前に人間の姿に戻ることを許される。ところがキアンは人間に戻るやいなや、次のような台詞を吐いた。「まんまとだましてやったぞ、お前たち。もし豚の姿のわしを殺したならば、豚の賠償を払えばよかったものを。しかし、わし自身の姿で殺すならば、古今金輪際、比肩するものない大きな賠償が支払われされることになろう。わしを殺した凶器が、犯人が誰だかわが息子(ルー)に訴えるだろう」という意味の宣告をした。そこでブリアンらは、そこらの石ころを打ちつけて証拠隠しを図った。肉塊となったキアンを埋葬したが、大地はこの同朋殺しを受け入れることを拒み、六度にわたり地上に吐き出した。結局、父親の埋められた場所をルーは突き止め、真相を察知してしまう[ 20] [ 21] [ 22] 。
ルーは賠償として、シチリア島の王の二頭の馬 、ペルシア王ピサールの持つ槍、アーサル(Easal)の七匹の豚、仔犬ファリニシュ 等々を請求した[ 23] [ 24] 。
この物語では、家系譜が古書と異なっている。物語ではディアン・ケヒトとミアハ父子(家系図参照 )は登場するが[ 25] 、前者はキアンの父とされておらず、かわりにカンチャがキアンの父親となっている[ 18] 。
『アイルランド来寇の書』
『来寇の書』にある、キアンの殺害と賠償についての段落(¶319)には、次にように書かれている:" トゥリル・ビクレオとその息子たちブリアン、ヨハル、ヨハルヴァの冒険。.. デルバイス・マク・オグマは、トゥイレル・ピクレオと言い、その息子らは、ルーの父親[で]エスレン[の夫]キアンを殺した。キアンが小犬(小型の飼犬)の姿に変じて、ブルー(ナ・ボーニャ) に行くときのことであった"[ 26] [ 注 5] 。
この古書によれば、キアンは膝乗りの大きさの愛玩犬(ラップ・ドッグ )に変身したのであり、豚になったのではない。アイルランド語で二つの言葉が似ているので間違えられたのだと考察されている[ 28] [ 29] [ 30] 。
また、ルーが要求した賠償の内訳も、アッサルの槍 (アイルランド語 : Gāei Assail )など微妙に違っている[ 31] 。
婚姻譚
キアンとバロールの娘 ―
H・R・ミラー (挿絵), Charles Squire,
Celtic Myth and Legend (1905)
キアンの婚姻についての詳細を語ったグラス・ガヴナン (グラス・ガヴレン)の説話は、文献例はなく19世紀に収集された英語での口承文学の記録しかないが、中世の伝承の名残をとどめるものとして学界でも扱われている[ 34] 。
民話でのキアンの名
主人公の名は、正しくはアイルランド語でキャン・マック・カンチャ [ 5] (Cian mac Cáinte)である[ 注 6] 。
しかし英語で刊行された民話では、音写でキャン・マック・コンチェ(Kian mac Kontje)等と伝わっている(ラーミニー (英語版 ) 話集版)[ 35] 。
あるいはマック・キニーリー もしくはマッキニーリー [ 注 7] に名前が変じてしまっている例もみられる(オドノヴァン (英語版 ) 版、下に要約[ 注 8] [ 38] )。このアイルランド名は、‘狼頭の息子’の意味だと説明される[ 39] 。
また、フィン・マッキニーリー という名になっている類話もあり、内容のほぼ近い英語版とアイルランド語版で確認できる[ 注 9] 。こちらでは兄弟の名がギョラ・ドヴ(黒き若者)とドンである[ 注 10] [ 40] [ 41] [ 注 11] 。
婚姻譚の梗概
以下、19世紀中葉頃、トーリー島の住民からオドノヴァンが採集した民話を要約するが[ 38] 、グレゴリー夫人 の再話にもなっているので、その相違点も注釈する。
火の丘陵という地(現今のドニゴール県 ドラムナティニー)には[ 注 12] 、鍛冶師ガヴィダとマック・サヴィン、マック・キニーリーの三兄弟が住んでおり、海を隔てたトーリー島 にはバロール将軍が住んでいた[ 注 13] 。
(マック・キニーリーが、キアンに相当し、再話でもキアンに置き換えられている人物である[ 注 14] 。)
このマック・キニーリーが、やがてバロールの娘と契りを交わして一子をもうけることとなる。バロールはしかし、配下のドルイド僧 より、自分の孫に殺される運命だと聞いていた。よって、バロールは娘のエフネを[ 注 15] 、「巨塔(トール・モール)」と呼ばれる天険の岩柱にそびえる塔に幽閉した[ 注 16] 。
この話例では、マック・キニーリーが不思議の牛グラス・ガヴナン の所有者であった[ 注 17] [ 注 18] 。しかしある日、牛番をしていた兄弟がバロールに騙されて牛を盗まれてしまう。マック・キニーリーは、ドルイド僧に相談するが、邪眼のバロールが生きているうちは牛の奪還は不可能と諭される。するとキアンは女性守護霊(リャナン・シー )である「山のビローグ (英語版 ) 」の助力を得[ 注 19] 。また、グレゴリー夫人やロールストンは女ドルイドと書き換えている。) 、バロールの娘の塔に潜入し、男を見たことのない彼女はたちまち恋におちて、子供を妊娠してしまう。なお、塔の世話役は女性ばかりだったので、この妖精(バンシー )は、マック・キニーリーに女装させてから島へと運んでいる。
やがて三つ子が生まれると、バロールはこれらを溺死させようとするが、嬰児の一人は生き残り、この話例では名前が明かされないが、長腕のルー に当たる[ 注 20] [ 注 21] 。
バロールのキアン殺し
オドノヴァンの採集話によれば、結局マック・キニーリーことキアンは、バロールに殺害されてしまう。バロールが首を刎ねたとき、その血しぶきは白い岩にかかって染みついた。その岩と伝わる赤い脈の入った大理石の塊は、地元で石柱に据えられ「ニーリーの岩」("Clogh-an-Neely"; 復元アイルランド語 : cloch Chinnfhaolaidh )と呼ばれて祀られていた[ 38] 。
ウェールズ文学との比較
一部の学者によれば、ウェールズ神話のグウィディオン がキアンに相当するという。
スェウ・スァウ・ゲファス (英語版 ) の生誕については、マビノギオン の第四枝篇『マソヌウイの息子マース (英語版 ) 』に記述されている。このなかで、スェウの実父が誰なのかは明記されていないが、グウィディオンが姉との近親相姦でもうけたのがスェウと導く論旨があり[ 51] 、よってスェウのグウィディオンとルーの父キアンは対称関係となる。
ただ、神話同士の直接比較というより、ウェールズ神話のグウィディオンと民話のマック・キニーリーことキアンとの比較として、ジョン・リース (英語版 ) の学説は展開している。
ひとつの共通モチーフとして挙げられるのが、生まれた子を、その肉親が捨てさせる(しかし子は生存する)モチーフである[ 53] 。またこれは、世界的に分布がみられる「王とその死の予言」モチーフであるとの指摘がある。確かに、王族が予言通り子や孫に殺される展開は、キアンとバロールの民話にも、古代ギリシアのペルセウス やオイディプース の伝説にもみられる類似点である[ 54] [ 55] 。
脚注
注釈
^ 古典『アイルランド来寇の書 』および近世の説話『トゥレンの子らの最期 』)
^ Macalister は訳名を使わないが、p. 101で綽名について触れており、scál を"亡霊 (apparition)"の意とみている。"唖者の英雄 (dumb champion)"の意は、ボーラス(W.C. Borlase)による。ボーラスの説明によれば、意味が通じない多国語をしゃべる者を"唖者"と形容したのであり、"Scal Balb"の名はフォウォレ族 の王についている。
^ 厳密にはルーが自分を "Lug mac Ethlend maic Tigernmais (ティゲルンワスの息子エスリウの息子ルー)と父称 形で名乗る。しかしこれはルー神の祖父をアイルランド上王ティゲルンワス (英語版 ) としており、伝説群の混合がはなはだしい作品だとマカリスターが罵倒している。
^ オカリーに拠れば、このカンチャの正体は不明。
^ この段落¶319は R1 の亜本である Miniuguid 稿本のみに所収される[ 27] 。
^ Cian mac Cáinte と題するアイルランド語の文学作品はかつて存在しており、キアンによるグラス・ガヴレンの牛引きの話だった可能性もあるとアラン・ビュフォード が憶測している(Bruford 1966 , p. 162)。
^ アイルランド語 : Mac Cinnfhaelaidh ; アイルランド英語 :Mac Kineely, MacKineely,[ 36] MacKenealy[ 37]
^ トーリー島 (英語版 ) 在住の Shane O'Dugan より1835年採集。
^ Fin MacKinealy; アイルランド語 : Fionn mac Cionnfhaolaidh 。
^ Gial Duv; アイルランド語 : Giolla Dubh 。Donn。
^ アーサー・C・L・ブラウンが、カーティンの一冊の話集に、類話が三篇あると指摘しており、ロイド Laoide 編のアイルランド語版の情報を得たとしている[ 42] 。
^ 原典では Druim na Teine ドゥリム・ナ・テーネで、館野 2011 年訳は"火の尾根"。
^ 話では明言されないがバロールは、フォウォレ族 の将軍で、ダーナ神族 と戦ったことは、当時のアイルランドで広く記憶されていたとオドノヴァンは解説している。また、語り手によるバロールの描写はかなり潤色に富んでいて、片目が額の真ん中に、邪眼が後頭部にあり、そこからバシリスク のごとく「光線(ビーム)や有毒の色素」が発せられ、相手を石化してしまう、等とある。そうした部分はグレゴリー夫人は割愛している。
^ また、兄弟の名も「サヴィン」等と端折るなど、グレゴリー夫人 は他にも名を変えている。
^ Ethnea 現代発音は「エフニャ」あたり(?)。
^ グレゴリー夫人は、これを「ガラスの塔」に置き換えている。トーリー島には、フォウレ族のコナン (英語版 ) の塔があり、ネンニウス は、その塔の記述と思われる箇所で、それをガラスの塔と呼んでいる。
^ 例えばラーミニーの採集話では、牛の持ち主は鍛冶師である。しかしそこでは兄弟ではないので、牛を逃がしてしまうキアンに対して、死で持って償う罰は、三日間猶予はされるが、免除はされない[ 35] 。
^ 原話では"Glas Gavlen"だが、このグラス・ガヴレンの正しい表記がグラス・ガヴナンであるとオドノヴァンが注釈している。
^ 原話では Biroge、ロールストンはBiróg とつくる[ 36]
^ この作品では無名だが、ラーミニーの話例ではドルダナ Dul Dauna と呼ばれており、そのままだと「盲目で依怙地な奴」 (dall)や「暗くて横柄な者」(<doilbh?)ととれるが、じつはルーの綽名「イルダナハ Ildanach」‘諸芸の達人’の転訛であると指摘される[ 47] 。 また、赤子がルイ・ラヴァーダ Lui Lavada のように長腕のルーに近い名で呼ばれる類話もある[ 40] [ 49] 。
^ ウィリアム・ジョン・グリフィズ (英語版 ) の仮設によれば、赤子に名は与えられていなかった。なぜなら、本来の説話はウェールズの説話『マソヌウイの息子マース (英語版 ) 』と同源であり、アリアンロッド が三つの禁忌を与えて名付もしなかったように、おそらくバロールも孫にゲッシュ を与えて名をつけさせなかった展開があったのだとする(Gruffydd (1928) , pp. 102–106[ 50] )。
出典
^ ミアハがディアン・ケヒトの息子であることは『来寇の書』の校訂本によっては否定的に扱われている。
^ 『来寇の書』の段落¶319によれば、『キアンはトゥリル・ビクレオの母方の伯父(叔父)にあたるわけだが、他の段落の記述とへだたりがあり、続柄は必ずしも整然としていない。しかし親戚であることは確かである。トゥリルの父親はオグマ とされ、これはディアン・ケヒトの再従兄弟(はとこ )にあたる。
^ a b ブレキリアン 2011 年、50頁のカナ表記
^ 井村 1983 年『ケルトの神話』の表記
^ a b c 以下のアイルランド語歌の題名の邦訳のカナ表記:イーファ・ニ・アーリ (歌手) (1997年). Úrchnoc Chéin Mhic Cáinte [キャン・マック・カンチャの丘 ]. イーファ (CD). ケルティック・クロス (アイルランド語). ビクターエンタテインメント. 国立国会図書館サーチ :R100000002-I000008965237 。
^ 『アイルランド来寇の書 』、Macalister 1941 , R2 (第2稿本)¶330
^ Ellis, Peter Beresford (2011). “2 The Sons of Tuirenn” . The Mammoth Book of Celtic Myths and Legends . Little, Brown Book Group. pp. . ISBN 9781780333632 . https://books.google.com/books?id=YcrABAAAQBAJ&pg=PT39
^ eDIL s.v. "cían ": "long, enduring, far, distant" "long, enduring, far, distant".
^ a b 『来寇の書』、Macalister 1941 , p. 101, ¶311 p. 116–, ¶330 p. 148–, ¶368 p.186–
^ eDIL s.v. "scál (1) ": "supernatural or superhuman being, phantom, giant, hero. Later also man, human being ".
^ 『来寇の書』、Macalister 1941 p. 101; ¶319 pp. 135–137; ¶368 pp. 186–187
^ 『来寇の書』、Macalister 1941 , p. 101; ¶319 pp. 135–137; ¶368 pp. 186–187。後世の挿入文 (英語版 ) (序、p. 101 "interpolation")。
^ Meyer, Kuno (1901) Baile in Scáil @ CELT corpus
^ 『マグ・トレッドの戦い 』。Stokes 1891 , p. 59; Gray 1982 §8 p. 25.
^ 『来寇の書、Macalister 1941 , 第1稿本( R1) ¶314, R2 ¶314, R3 ¶368。まず三人の息子がいる、と記述しておきながら、次いで四人目の息子についても記述するので、加筆の形跡がある。
^ a b O'Curry 1863 , pp. 168–171, notes 161, 162, 165.
^ 例)王立アイルランドアカデミー RIA 23 M 25 (1684年)。Bruford (1966) , p. 264
^ 『トゥレンの子らの最期』, O'Curry 1863
^ 井村 1983 年『ケルトの神話』
^ ブレキリアン 2011 年、35–52頁
^ 『トゥレンの子らの最期』, O'Curry 1863 pp. 190–191。
^ ブレキリアン 2011 年、40–41頁
^ 『トゥレンの子らの最期』, O'Curry 1863 pp. 158–161, 222–223(詩中)。
^ 『来寇の書』、Macalister 1941 ¶319 pp. 134–135: "The adventures of Tuirill Biccreo and of his sons, Brian, Iuchar, and Iucharba.. Delbaeth s. Ogma had the name of Tuirill Piccreo, and it is his sons who slew Ehtlend father of Lug, whose name was Cian, when he went in the form of a lapdog to the Brug."
^ Macalister 1941 p. 135. 脚注 (c)
^ LGE, Macalister 1941 , p.135(e) "Oirc, not (here at least) 'a pig' (orc.)"
^ Thurneysen 1896 , p. 243: ""Er hat orce “Schosshund” als orc missverstanden".
^ eDIL s.v. "oirce ": "A pet dog, a lap-dog"
^ 『来寇の書』、Macalister 1941 ¶319
^ Brown, Arthur C. L. (August 1924), “The Grail and the English Sir Perceval. V”, Modern Philology 22 (1): 87–88, JSTOR 433319
^ アーサー・C・L・ブラウンも、この牛物語の"近年になって収集された民話版 recently collected folk-tale versions"を、古い伝承をとどめる資料として扱っている。『トゥレンの子らの最期』で、バロルの妻が、もしルーが台頭してきたら我らのアイルランドの支配も終わりだとつぶやいたことも、これら民話例で"確認"でき、"さらなる別の一点をも提供している" (バロルが特別の武器でしか倒せないこと)としている[ 33] 。
^ a b Larminie, William (1893). “The Gloss Gavlen” . West Irish Folk-tales and Romances . 1 . London: Elliot Stock. pp. 1–9. オリジナル の2007-05-09時点におけるアーカイブ。. https://archive.org/details/westirishfolktal00larmuoft } (oral tale told by John McGinty, Achill Island )
^ a b Rolleston, T. W. , Myths and Legends of the Celtic Race , 1911, pp. 109–112.
^ "Glas Ghaibhleann ", Mackillop (1998) ed., Oxford Dictionary of Celtic Mythology .
^ a b c O'Donovan, John (1856), Annála Ríoghachta Éireann: Annals of the Kingdom of Ireland by the Four Masters , 1 , Dublin: Hodges, Smith, and Co., pp. 18–21, https://books.google.com/books?id=8LHSAAAAMAAJ footnote S
^ Rhys 1886 , pp. 305–314, 314–321。アイルランド語 : cenn '頭'+fáel '狼'の属格。
^ a b Curtin (1911) , pp. 283–295「トーリー島のバロル」
^ Laoide, Seosamh (1913) [1909]. “XIII Balor agus Mac Cionnfhaolaidh” . Cruach Chonaill . Dublin: Chonnradh na Gaedhilge. pp. 63–65. https://archive.org/stream/cruachchonaillti00lloyuoft#page/62/mode/2up . 1909 edition ; e-text via Historical Irish Corpus (RIA )
^ Brown (1924) , p. 87 and note 4.
^ Westropp, Thomas Johnson (1921), “The ′Mound of the Fiana′ at Cromwell Hill, Co. Limerick, and a Note on Temair Luachra” , Proceedings of the Royal Irish Academy: Archaeology, Culture, History, Literature 36 : 75, JSTOR 25504223 , https://books.google.com/books?id=OdIXAQAAIAAJ&q=%22Duldauna%22
^ Curtin (1911) , pp. 296–311「邪眼のバロルと孫のルイ・ラヴァーダ」
^ a b Loomis, Roger Sherman (January 1929), “(Review) Math Vab Mathonwy, An Inquiry into the Origins and Development of the Fourth Branch of the Mabingogi, with the Text and a Translation by W. J. Gruffydd”, Speculum 4 (1): 139–144, JSTOR 2847153
^ "Gwydion ", Mackillop (1998) ed., Oxford Dictionary of Celtic Mythology .
^ Rhys 1886 , pp. 314–321。リースはこれをマビノギ四枝『マース』(pp. 307–308) と牛のアイルランド民話(p. 317)と直接比較するようには述べていない。それは、中間的な比較材料としてカルブレ・ムースク(pp. 308–309)やカルブレ・キンハット (英語版 ) (p. 310)にまつわる伝説を類話として比較しているからである。そこで明言的に比較が述べられるのは、マック・キニーリーことキアンの息子ルーと、カルブレ・キンハットの息子モランのあいだである(p. 317)
^ Gruffydd (1928) , pp. 8, 366, apud Loomis (1929) , p. 140[ 50]
^ O'Laverty, James (1859), “Remarkable Correspondence of Irish, Greek, and Oriental Legends” , Ulster Journal of Archaeology, First Series 7 : 342–343, JSTOR 20563514 , https://books.google.com/books?id=0Fo_AQAAMAAJ&pg=PA342
参考文献
『アイルランド来寇の書』
『トゥレンの子らの最期』
井村君江 『ケルトの神話』筑摩書房、1993年(原著1983年)。ISBN 978-4-480-02392-6 。 所収「トゥレン3兄弟の試練の旅」など
ヤン・ブレキリアン 『ケルト神話の世界(下)』田中仁彦;山邑久仁子(訳)、中央公論社、2011年。 所収「トゥレンの息子たちの死に至る探求」35–52頁など
Arbois de Jubainville, Marie Henri d' (1903), The Irish Mythological Cycle and Celtic Mythology , Hodges, Figgis, pp. 117–118, https://books.google.com/books?id=hfIVAAAAYAAJ&pg=PA117
Borlase, William Copeland (1897). The Dolmens of Ireland . 3 . Chapman and Hall. pp. 883–891, 1077–1078. https://books.google.com/books?id=wvJMAAAAMAAJ&pg=PA883
Bruford, Alan (1966), “Gaelic Folk-Tales and Mediæval Romances: A Study of the Early Modern Irish 'Romantic Tales' and Their Oral Derivatives” , Béaloideas 34 : i–v, 1–165, 167–285, JSTOR 20521320 , https://books.google.com/books?id=9xTaAAAAMAAJ&q=%22Ghaibhleann%22
Curtin, Jeremiah, ed (1911). Hero-tales of Ireland . Little, Brown. https://books.google.com/books?id=Z-RGAQAAMAAJ
Gray, Elizabeth A., ed (1982). Cath Maige Tuired: The Second battle of Mag Tuired . Drucker. https://books.google.com/books?id=BjzYAAAAMAAJ 英訳テキスト @CELT; テキスト @sacred-texts.
Gregory, Lady Isabella Augusta (1905), Gods and fighting men: the story of Tuatha de Danann and of the Fianna of Ireland , London: John Murray, pp. 17–21, 27–29, https://books.google.com/books?id=3uDxKXNg8iUC&pg=PA17
Gruffydd, William John (1928), Math vab Mathonwy: an inquiry into the origins and development of the fourth branch of the Mabinogi with the text and a translation , The University of Wales Press Board, https://books.google.com/books?id=topiAAAAMAAJ
Joyce, P. W. , ed (1879). The Fate of the Children of Turenn; or The Quest for the Eric-Fine . C. Kegan Paul & Company. pp. 37–96. https://books.google.com/books?id=14AWAAAAYAAJ&pg=PA37
Macalister, R.A.S. , ed. (1941), “Section VII: Invasion of the Tuatha De Danann” , Lebor gabála Érenn, Part IV , https://archive.org/details/leborgablare04macauoft/page/134 ¶304–¶377 pp. 106–211; Verses LIII–LXVI pp. 212–291; Notes pp. 292–
O'Curry, Eugene , ed. (1863), “The Fate of the Children of Tuireann ([A oidhe Chloinne Tuireann)”], Atlantis IV : 157–240, https://books.google.com/books?id=Z5JEAQAAMAAJ&pg=PA157
Rhys, John (1886), Hibbert Lectures on the Origin and Growth of Religion as illustrated by Celtic Heathendom , London/Edinburgh: Williams & Norgate, pp. 305–314; 314–321, https://books.google.com/books?id=MWRIAAAAMAAJ&pg=PA314
Stokes, Whitley, ed. (1891), “The Second Battle of Moytura” , Revue celtique 12 : 52–130; 306–308, https://books.google.com/books?id=WjVKAAAAYAAJ&pg=PA52
Thurneysen, Rudolf (1896), “Tuirill Bicrenn und seine Kinder” , Zeitschrift für celtische Philologie 12 : 239–250, https://archive.org/details/zeitschriftfrc12meyeuoft/page/243
外部リンク